愛宕神社 出世の石段
住所 | 東京都港区愛宕1丁目5−3 |
電話 | +81 3-3431-0327 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.atago-jinja.com/trivia |
カテゴリー | 観光名所, 史跡, 神社 |
評価 | 4.5 13 件の口コミ |
Stairway of Success | |
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愛宕神社 出世の石段 件の口コミ
13 Slightly steep stairway of success leads to the beautiful shrine. Cute little water fall is made near the Tori gate which is one of the picturesque spots.
I went in the evening time around 7.30 pm, there were no lights near the steep steps, after climbing it, the lights were on.
Quite a number of steps to reach the shrine. First reaction was this shrine exists just in center of Tokyo! Worth the visit.
雨降る中、大切な人の転職祈念に参拝。
86段の階段、雨の中はかなり怖かったが、上に到着した時の達成感もまたひとしお。
どうか立身出世できて自分らしく生きれますように!と願いを込めました。パンパン!
愛宕神社の名所。
マジでキツい階段です。
高所恐怖症の私は振り返ることすら出来ませんでした。
エレベーターもあるので、愛宕神社に行きたいけど階段登りを回避したい方はそちらへどうぞ。
愛宕神社は都内の有名なパワースポットで、そこを登る石段は「出世の石段」と呼ばれてるみたいです。
そしてその石段はとにかく急です。
上る際はスニーカー等、それなりの靴でないと危険な感じなのでご注意を。
登りきるとなんとも言えない達成感があり、本堂脇の池にいる鯉たちも心を癒やしてくれます。
帰りは、せっかく登った出世の運を下げないようにと。。。
側道の石段をゆっくり下るほうが、緩くてよさそうです(笑)
それと御朱印は、紙の提供はしていないので御朱印帳が必要です。
段数がきついというより、角度が急で怖いです。高所恐怖症の人は、無理なんじゃないでしょうか?
よほど足が悪くない限り、ゆっくり登れば誰でも登る事はできると思います
ちなみに頂上に看板があり、「トレーニング禁止」だそう
時々訪れている都会のオアシスです。
階段が…やばい のぼるだけで筋肉痛になりそうです。
上った後は都会のど真ん中なのをわすれそうです。
たまに境内に猫ちゃんがいますのでパチリ。
池の鯉は勢いがすごすぎなのでたまに餌欲しさに陸までかけあがります。。。こわい。でもかわいい。
ネットで調べて仕事で訪問。非常に急な階段で今日は雨だったから気をつけて登った。止まらずに上まであがると息も上がる。
仕事で神様にお願いしたい事があったので参拝。雨で人も少なかったので、神様も聞いてくれたかな?
赤き鳥居をくぐれば見える石段はひとつひとつの段が高く勾配がきつい。その分昇り終えた達成感も得られましょう。
今や新スポット虎ノ門ヒルズの隣にあり
周りもビルに囲まれるので絶景とまでは行かないですが小さい中にも趣ある空間広がり鯉の棲む池もあり都心を少しだけ忘れさせてくれます。池の隅には金色の鳥居があり金運ご利益も期待させます。
徳川家康公が建立した神社、標高26.0メートル弱、江戸時代 (現23区内) では、自然地形で一番標高が高かったらしく、当時は富士山の展望がよく、多くの参拝者で賑わったみたいです。
【出世石段の由来】
※三代将軍家光公が、徳川家の菩提寺増上寺参詣で帰路の際に、境内の梅の花が目にとまり、家臣に馬に乗った間々梅の花を採ってまえれと指示されたが、あまりの急勾配に家臣が尻込みしていると、四国丸亀藩の、曲垣平九郎 (まがき へいくろう) が、馬に乗った間々、急勾配の石段をのぼりくだりして、境内にある梅の花を採取したことで、三代将軍家光公が「日本一の馬術の名人」と評された話はよく知られている。
※後に数人が、同様にのぼりくだりをした方が居たみたいです。
※梅の花は現在でも開花。
都心にあるけど、山の上にあるため空気がきれいな気がする
時期によってメニューは違うと思うけど、神社前にある食事処のうどんが具沢山でおいしいですね。ネコと犬がいるのでいろんな意味でいやされます
数えたら八十五段でした.神社の縁起には八十六段と書いてある.馬で登った武将がいて,以来出世の階段とされているそう.「出世の石段」と呼ばれる由来は、講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなむそうだ。
時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。 しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。 家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」 近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。(愛宕神社の公式サイトより)