吉原神社
住所 | 東京都台東区千束3丁目20−2 |
時間 | 09:30-16:30 |
サイト | yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai00.html |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 4.3 16 件の口コミ |
Yoshiwara Shrine | |
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吉原神社 件の口コミ
16 20220110初詣5:下町の大黒様巡り弾丸ツアーに行って来ました!
烏森神社、経王寺、英信寺、小野照崎神社、真源寺、秋葉神社、新吉原花園池で参拝を済ませ、徒歩で数分の「吉原神社」に参拝します!
吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と、遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です!
参拝の後で、社務所にて吉原神社に加えて吉原弁財天の御朱印を書置きではありますが拝受致しました!
吉原神社:東京都台東区千束3丁目20番2号に鎮座
御祭神:稲荷社の五社は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
吉原弁財天は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御利益:家内安全・商売繁昌・方位除け・病気平癒
御由緒:吉原神社は、吉原遊郭とともに歩んできた神社との事です!
吉原遊郭は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めた事に始まるそうです!
この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されたとの事です!
しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655)に現在地である千束村へ移転する事になったそうです!
以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」と呼んでいるとの事です!
この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在したそうです!
吉原の入口である大門の手前に「玄徳 (よしとく) 稲荷社 (吉徳稲荷社) 」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていたたそうです!
その後明治14年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられたとの事です!
当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、残念ながら関東大震災にて焼失したそうです!
震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀したとの事です!
その後昭和20年の東京大空襲で残念ながら2度目の焼失をしますが、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至るとの事です!
吉原神社 / Yoshiwara Shrine 吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社。現在の御祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。江戸時代の祭礼には、吉原遊廓の花魁、太夫(遊女の中でも最高格式を有する者)の道中行列や即興劇「仁和賀(にわか)」などで賑わっていたそうだが、今はひっそりと身を縮めた形で鎮座されている。敷地も非常に小さい。吉原今昔図という関東大震災当時(大正12年)の地図が展示されているのは面白かった
吉原神社にはいたことはありませんけどなんか行ってみたいですね鬼滅の刃遊郭編に出てくるキャラクターの音柱宇髄天元のことを何か願い事をしたいですね! 私も鬼滅の刃キャラクターの中では音柱宇髄天元さんのことが大好きですのでもし行く時があったら行ってみたいですね!
江戸時代から、
このあたりの中心だった
神社みたいです。
江戸時代には、
ここから遊女たちを
見守っていたのかもしれません。
境内には、
アヌンナキの一族のシンボルが
置かれていました。
「アヌ王」、
「エンキ」と「エンリル」ですね。
朱い鳥居の「お稲荷さん」も
います。
「稲荷=イナンナ」ですね。
「イナンナ」という女神は、
ここにも痕跡を残していました。
非常にコンパクトな神社ですが、初詣期間中でしたので参拝客が多く訪れていました。
かつての吉原遊郭の入口に鎮座しており、現在でも吉原の繁栄を見守っているかのようです。
境内にはかつての吉原遊郭の地図が掲示されており、どのような区画だったのか想像することが出来ます。
漫画作品「鬼滅の刃」では、ここ吉原遊郭が舞台となっておりますが、作中で炭治郎たちが潜入捜査したという「ときと屋、京極屋、荻本屋」が実在したかどうかは、こちらではまだ確認出来ておりません。
ソープランド街のスグ近く。吉原の守り神としてあった五つの稲荷社が合祀された神社だそうです。御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。どちらも女神という事で、女性の参拝者が多いですかね。近くに吉原弁財天本宮があります(吉原神社の飛び地境内)ので、あわせて参拝するのが良いと思います。ちなみに、鳥居の横には逢初桜(あいぞめざくら)が植えられており、これは遊女が遊客との出会いを叶える桜という事です。
2022.2.20. 参拝
鷲神社から徒歩ですぐ。ビルに囲まれチョット窮屈そう。此方の神社は朱と云うより紅を基調にした社殿。小さいながらも綺麗な神社。
社務所の方は、神職と云うよりも氏子の方か?接し方がお店の人っぽい。
此方で御朱印帳を新調するつもりだったが、残念ながら市販品?此方のオリジナルが欲しかったので、今回は手持ちの御朱印帳最終ページにさっき方に書き入れて頂いた。書もお上手です。
御神紋が“ 稲 ”なので、此方の神社元々はお稲荷さんだったのか?
ホームページを見てみるとやはり御祭神は稲倉魂命 (宇迦之御魂神) 。
都内の神社用御朱印帳がイッパイになってしまったので、次は御朱印帳も用意している神社にせねば!
と云うことで、鶯谷の元三島神社へ。
江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦三年の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋め立て、日本橋の吉原遊廓が移された。以来、昭和三十三年までの三00年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、特に江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。遊廓造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天ほこらが祀られ、遊廓楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正十二年の関東大震災では多くの人々がこの地に逃れ、四九0人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大きな観音像は、溺死した人々を供養するため大正十五年に造立されたものである。昭和三四年吉原電話局の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。
Quiet shrine with not much to see. Worth visiting if you collect goshuin stamps, but otherwise uninteresting
凄く行きたかった神社️の一つ。
2021年 8月5日 (木) 14時00分頃に行って参りましたので報告します
台東区千束3丁目、仲之町通りにある
『吉原神社️』 本殿とお穴様は御利益があると有名です
わたしも切実なる思いを願いに込めお祈りしました
コロナウィルスの終息、あたり前の生活を取り戻したいです。
今だから分かるあたり前だった生活の素晴らしさ
少し話は変わりますが
今年、花魁 若紫さん、遊女 小夜衣さん、吉原総霊塔のある『浄閑寺』に行き供養のお線香をあげてきました。 (大関横丁交差点近く)
吉原の歴史を調べて行くと、どうしても来たくて仕事の合間に参拝しました
事務所の御姉様方
事務所の方に話を聞く事ができました
吉原神社は明治時代に吉原遊郭が合った場所から移転し移された神社だそうです (知らなかった)
御朱印やお守り、その他
お守り700-や御朱印500-、今昔地図️2500-に吉原手拭い2200-キーホルダー300-~500-
私はほぼ全種類購入しました
弁財天様の金×銀のキラキラカットしたキーホルダーが人気で紐を取り外しチョーカーに付け替えてネックレスにするのが流行らしいので早速作ってみようと思います (ペンダントトップになるくらい綺麗な品物)
️写真にアップしときますね️
コロナ禍で御朱印も書いてあるものだけの販売という事でしたが、私の熱心な気持ちが伝わったのか特別に手書きで台帳に書いて頂きました 本当に嬉しかったです! 有り難う御座いました
残る街並み
遊郭の街として発展してきた吉原ですが、古き良き町並みには️まだまだ古い瓦屋根のお店、柳の木等当時の雰囲気は残っていました
何百年も昔この場所に多くの女性、男性が行き来していたんだ~と 1人1人のドラマがあり人生の歴史が刻まれている地に自分の足を付けて歩く 何かワクワクしました
悲しい事件や、悲しい災害、その他記事にもならなかった事も沢山あったはず…
今も事件や災害は有りますが当時と今では180°
違う。女性も大活躍する平等な時代!
先人達の積み上げてきた歴史があり今の世の中があるのを忘れてはいけないなぁと思いました
横浜在住なのでなかなか直ぐには来れませんが
また必ず来たいと思った神社️です
吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と吉原弁財天を合祀した神社で、弁財天をお祀りし、商売繁昌、技芸上達などに御神徳があるそうです。 とても小さな神社ですが、空気が凛としていて気持ちが良い。 女性の参拝客が多く訪問していて驚きました。 御朱印も素敵です。
大きくはない境内の中には、何と2つもパワースポットが (゜o゜;
「お穴様」は地中の神様で、心を込めて参拝すると願いが成就するとか。
最寄り駅からは少し歩くけど、行ってみる価値は大いにある。
浅草七福神巡りで、平日昼間に参拝しました。吉原弁財天を合祀しているが、この弁財天には関東大震災にまつわる悲しい歴史があるそうです。
こちらから、150mくらいの場所に、吉原弁財天本宮 (吉原神社奥宮) があるので、そちらも合わせてお参りしてほしいです。
他の神社と比べると大きさ、規模等は小さいが境内はキレイに手入れされている。さらに社務所の方の対応も親切・丁寧でした。特に御朱印帳は目の前で書いてくれ、その説明もしてくれるなど、他の神社では感じられないぐらい参拝者に気を配ってくれる、清々しい気分になれる神社でした。
初めに謝っておきます。ずっと、よしはら神社だと思ってました。よしわら神社が正しいようです。発音では、『よしわら』と言っていたのですが、筆記では『よしはら』と書くもんだと思っていたのです。申し訳ございません。
稲荷神社がまとまって出来たそうで、ご利益ありそうです。下町の雰囲気とも良く合います。江戸時代などは、さぞ良かったのでしょうね。妄想を掻き立てると、美しい女性たちの姿もうかんできそうです。目を開けると現実が・・・。いや、失礼。現実にも美しい女性たちがお参りしています。巫女さんたちも、さぞ昔は美しかったのだろうと妄想を掻き立て・・・もとい、今もお美しくございます。まるで美人弁天様の様です。おふざけが過ぎました。
面積こそ小さいですが、歴史が詰まっています。資料となるものもあり、なかなか勉強になりました。
浅草七福神の一社となる弁財天もこちらになりますので、弁財天本宮に立ち寄られた際には、こちらにも足を運んでください。