建国記念文庫
住所 | 東京都新宿区霞ヶ丘町2−3 |
サイト | www.meijijingugaien.jp/walk/sight |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.7 7 件の口コミ |
National Foundation Memorial Archives | |
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建国記念文庫 件の口コミ
7 今年2022年度明治神宮外苑再開発事情に基づいて撤去が2022年11月ごろ予定となっています。
歴史を知らない人達による開発事業なので残してもらいたい歴史遺産
道路に挟まれた三角地帯にある緑地的空間。フェンスに囲まれ、9時~16: 30閉門。体育館ぐらいの広さで真ん中に御堂的な建物があり、手洗い場と、ベンチ7つが点在。楠木や椎ノ木、けやきの木、桜など樹木に囲まれた印象。
2月11日の建国記念の日制定を記念するモニュメント。
よく知られたトリビアですが、「建国記念"の"日」に根拠は無いという話です。
明治に入り、国威発揚を目的として、初代神武天皇の即位日とされる辛酉年春正月庚辰朔の日(日本書紀より)を新暦に置き換えると紀元前660年2月11日に当たると「決めた」為、その日を「紀元節」と称する祝日にしました。
紀元節は戦後、GHQにより廃止されたものの保守政治家が復活を熱望します。ところが歴史学者から「科学的根拠が乏しい」、リベラル派(当時は左派とか革新派と呼ばれてましたね)政治家からは「戦前の皇国史観が過ぎる」として、法案提出しては反対にあって廃案を9度も繰り返すというありさま。
なんせ神武天皇の存在自体が神話レベルの話であり、2月11日に根拠が無いことは明らかなので、さすがに無理があると考えた保守派は、「神武天皇即位の日かどうかは置いといて、とりあえず日本の建国を偲んでお祝いをする日」という、超ファジーな理屈を展開して法案を通しました。そのため「建国記念"の"日」という、いかようにも解釈できる名称になりました。
ところで、神武天皇の即位日である紀元前660年2月11日はどうやって特定したか、という疑問ですが、これまたハッキリしません。
日本書紀に書かれている歴代天皇の生年月日が即位日、崩御日などを遡って算出した、との説もありますが、100歳以上の天皇が10代続く(最高齢は143歳!)など、辻褄が合わず相当苦しいです。
別の説もありますが、これもまたトンデモ理論でした。
古代の暦を数える干支は十干と十二支の組み合わせにより計60カウントで一周します(両方偶数なので120にはならない)。そのうち辛酉の年は「天命が改まる」といわれており、中でも21回に一度(1260カウント)の辛酉は「大革命が起きる」といわれていました。
日本書紀が編纂された7~8世紀頃の辛酉の年は西暦601年があり、この年は厩戸皇子が斑鳩に法隆寺をはじめとする斑鳩宮を造営したビッグイベントの年でした。そこで明治時代の学者が、この年を基点とした1260年前を大革命である神武天皇即位の年にしてしまえ!とばかりに逆算で編み出したのが紀元前660年という、まさに屁理屈もいいところです。
現在の認識で言えば、ヤマト王権の成立は3世紀頃の弥生末期~古墳時代と言われており、紀元前660年とは800~900年程度の差異がありそうです。
まあ、祝日として会社も学校も休みになるのなら皆ハッピーで無問題ですけどね。
説明板があり、下のように書かれてました。
昭和四十一年十二月九日、建国日制定審議会は二月十一日を建国記念の日として答申、即日法律によって発布された。この間、数十万通に及ぶ、記念日制定の希望・意見書が進達されたので、ここに建国記念文庫を建設し、これを保管する事にした。
建設費は総て国民の浄財である。これは、現下の国民が等しく建国を思う情熱の結果であり、千年万年の子々孫々に伝え、以て後日の語り草にしたいのが、記念文庫設立の目的である。
建物は、わが国が建国当時、米穀を以て立国としたことを想い、奄美大島の高倉様式を移築しその屋上にテンパガラスを施行し、ここに書類を保管した。書は、出雲大社の神門の布施杉の材に佐藤大寛が墨書した。
礎石は、坂上田村麻呂将軍の東征により、平和国家が確立された故事に鑑み、奥州厳作山の石垣白河石を以て施工した。