学習院大学
住所 | 東京都豊島区目白1丁目5−1 |
電話 | +81 3-5992-1191 |
サイト | www.univ.gakushuin.ac.jp |
カテゴリー | 私立大学, 大学 |
評価 | 4.5 18 件の口コミ |
Gakushuin University | |
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学習院大学 件の口コミ
18 経済学部経営学科を卒業しました。現在他大学の教員をしており、さまざまなキャンパスをみていますが、学習院大学は最上位に位置づけられる立地条件の良さと美しさ、広さを備えています。本当に美しい大学です。
学生数が少なめで比較対象となる大学はありません。大手予備校による便宜上のグループ分けには何の意味もありません。全体的に落ち着いた雰囲気があります。学生は真面目です。
周囲の声をまとめると、難関大学とまでは受け取られていません。地方にある高校の仲間たちは旧帝国大学やそれらとほぼ同じ水準の地元国立大学に進んだ人が多く、学習院は格下に見られているようです。しかし、好きで選んだ大学で卒業生を大切にしてくださるので、私には学習院大学が一番合っています。
JR山手線の目白駅から徒歩30秒です。目白は山手線で有名な超がつく高級住宅街。学習院はその目白の住民の誇りの一つでもあります。勉強するにも遊ぶにも最強の環境。山手線30秒ですから。しかも、ビルキャンじゃない広大なキャンパスです。幼稚園、小学校からここありますから、それらから大学まで通っている人は次元が違います笑。(お金のことです)。だからそんな一貫教育がすごいイメージを作り出しているわけです。偏差値以上にブランド力がある理由がここです。その学習院は、豊島区で1番緑がある場所。標高が高いので新宿副都心線のビル群を眺められます。キャンパス内は大学、中高、幼稚園とあり、敷地が広くてさすが伝統校というべき風格があります。なんと言っても正門の美しさはさすが。写真をとりましたが、正門付近から連なる桜並木は都内では有名です。ちなみに校章も桜。学習院は都内屈指に立地が良い大学だと思います。馬術場もあります。大学、中高は早慶に続く位置、小学校は早慶と並ぶ伝統校、幼稚園も伝統校です。近年は校舎の建て替えが進んで、さらに綺麗なキャンパスになっています。
学科は少ないが、世界の学問をリードする教授が揃い、教育力抜群。企業就職で一流企業からの数少ない指定校。教職課程の教育現場からの信頼も厚く、教育学部を新設。小学校の教員育成にも期待がかかる。学内至る所で入念な感染対策。
今年卒業しました。
緑が多くて豊かなキャンパス。
勉強熱心な学生達との触れ合い。
自分が専門としている学問を学ぶ中で、新しい将来の道を発見することができた。
これからどうなるかはわからないけど、本当に感謝しています。
Nice place to walk around, especially during school holidays.
Some horses live on the south part of the campus.
「弱きは弱きと共に、自ら立つ。」
2003年卒業生。
第一志望ではなかったが、ドイツ語の原文で、ヘルマン・ヘッセを読破することを目標に、ドイツ文学科に入る。入学後、精神の病を得、通院しながら通学、かえって勉学に専念できた。
独和大辞典をぼろぼろになるまで使い、大好きなヘルマン・ヘッセの原書を、休み時間も惜しんで読んだ。
ドイツ文学科の、アンドレア宮本教授に、神戸でヘルマン・ヘッセの絵画展が催されると、お聞きし、夜行バスで神戸に行って、観てきたことは、忘れられない思い出である。
立地も良く、目白から池袋が近いので、ジュンク堂本店に、散歩がてら通うのが、日課だった。
読書と美術館巡り三昧の学生生活は、人格形成に、大きく寄与してくれた。
私はいわゆる、苦学生だった。病でバイトはせず、新潟からの仕送り5万で、1ヶ月暮らしていた (学生会館に住み、住居費は別でした。) 。だから、学習院では、友達はできないと思っていた。
ところが、一人で勉強していたり、一人で昼食を食べていた私に、学習院生の皆さんは、ご挨拶してくださるどころか、いろいろお声がけくださって、少しも孤独を感じなかった。とてもありがたい学生生活だった。
昼食のあとは、学習院大学の裏山を散歩した。乗馬部の練習を眺めたり、血洗の池のベンチでボーっとしたりした。とても気晴らしになり、精神衛生に良かったと思う。
仕送りと貯金の中から買った、ジャン・コクトー全集と、ジャン・コクトーのリトグラフ「馬」は、今でも大切な宝物である。 (ジャン・コクトーは、フランス文学ですが。)
恩師・大貫敦子教授に、「新聞を読みなさい」とおっしゃっていただいたことで、政治・経済・社会科学も、広く興味を持つことができるようになった。
新潟の庶民の出で、病を持ちながら、卒業式には首席にしていただいた。私の大きな成功体験になり、今も、自分に誇りを持って、生きている。
今も、勉強は少しも苦痛でなく、大人の学び直しに励んでいる。
私は、あきらめていない。病がかえって、自分の生き方を、高めてくれている、と信じ、人並みの生き方はできなくても、自分なりのそれを、きっと実現させようとしているのだ、と感じている。
学習院大学で、たくさんの知恵と、勇気と、素晴らしい出会いをいただけたことに、今も感謝している。
本当に、本当に、ありがとうございました。
皇室御用達のイメージが強い。難関私立大学群であるGMARCHの一角。難易度はこのグループの中でやや低めだが、就職力は上位クラスに入る (特に金融に強い) 。
JR山手線の目白駅から徒歩30秒という好立地に加え、都心にあるにもかかわらず緑豊かなキャンパスで4年間学べる。
学生からは総じて育ちの良さが感じられ、落ち着いているので、穏やかな学生生活が送れるだろう。
2016年に新たに開設された国際社会科学部(通称ISS)の出身者です。経済・法・経営・社会学など社会科学に含まれる幅広い学問を英語というツールを用いて学べます。また最低4週間以上の海外留学が学部生に義務づけられているため、否が応でも英語力向上の努力をする環境があるといえます。
変化の激しい現代では多角的な視点を持合せることにおおきな優位性があると思いますが、当学部でこのスキルを養う事が出来るでしょう。
たしかに生徒は育ちが良く良識がある。
しかし学生課などの事務の質は最悪。
自分は障害があって授業での特別配慮をお願いしていたがほとんど受け入れられなかった。
とりあえず配慮しますよ〜ってポーズだけ取って具体策になると、無理ですダメですの拒否姿勢だった。
教師陣は東大京大からヘッドハンティングしてるので有名な教授も多いが、アカハラはよくある。
ネームバリューはあるものの皇族離れの動きもあるのも実情。
桜が線路ぎわに咲いていて
誰かの命が咲いているように思えた
とっても静かな文学をこよなく愛する人が
住まいする場のように感じた
和食のお店もあり
丁寧に拵えられた焼き魚はとても美味でした
JR山手線の目白駅改札口を出て直ぐ目の前には学習院の入口がある昔からある名門の大学でこの大学は皇室の方々か通学されるところでもあるが秋篠宮家の子女は学習院を敬遠され他の学校に通学されてるが天皇家の愛子さんも今この学習院大学に通学されてるところまたこの大学は留学することを義務付けられてたりと教育に関してはさすがに名門校だけはある大学だよ
2003年卒業生。
第一志望ではなかったが、ドイツ語の原文で、ヘルマンヘッセを読破することを目標に、ドイツ文学科に入る。入学後、精神の病を得、通院しながら通学、かえって勉学に専念できた。
読書と美術館巡り三昧の学生生活は、人格形成に、大きく寄与してくれた。
新潟の庶民の出で、病を持ちながら、卒業式には首席にしていただいた。私の大きな成功体験になり、今も、自分に誇りを持って、生きている。
学習院大学で、たくさんの知恵と、勇気と、素晴らしい出会いをいただけたことに、今も感謝している。
本当にありがとうございました。
皇室関係の方々がご通学される日本を代表する一つです (≧∇≦) b
海外留学が義務付けられ英語力向上
レベルが高い学習院大学 (๑•̀ㅂ•́) و
令和3年2月11日(木)
2016年に開設された国際社会科学部(通称ISS)出身者です。経済・法・経営・社会学など社会科学に含まれる幅広い学問を英語というツールを用いて学べます。また最低4週間以上の海外留学が義務づけられているため、否が応でも英語力向上の努力をする環境があります。
変化の激しい現代では多角的な視点を持合せることに優位性があると思いますが、当学部でこのスキルを養う事が出来るでしょう。
昭和初期には初等部、中等部、高等部ではなく、前期、中期、後期と分けられ、在学期間も各4年であった。
この当時、天皇家の子女の方々が各学年に在籍しており、愛新覺羅顯㺭の名で知られる川島芳子の妹である、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十五王女、第十六王女も通われていた。
天皇家の子女の方々の許嫁は軍部によって決められていた時代でもあり、悲恋の話しも残されている。
目白駅を降りてすぐの所、都心の一等地に広大なキャンパスを有している。都心の大学が近年高層ビル化している中池 (血洗の池) や緑に恵まれたキャンパスを有しているのはやはり歴史の長さと建学の特殊さにあるのではないかと思われる。
敷地内には学習院の歴史そのものがそこかしこに見ることが出来る。特に明治期の学習院院長であった乃木希典縁のものは幾つか見られる。一般の人の見学も可能で、正門と西門で守衛の人に声をかけれは見学証を渡され16時までは見てまわることも出来る。
消えたピラミッド校舎
1990年代の末頃息子が学習院生であったため、何度もキャンパスを訪れました。
落ち着いた歴史のあるキャンパスでありましたが、中央に大きなピラミット型の校舎があり異彩を放っておりました。(写真)
前川國男さんという高名な建築家が1960年の初期に設計され、学生の間ではピラ校と呼ばれていたようです。
この校舎もアスベスト問題と老朽化のために2008年に解体されました。
内部については大学祭のときに拝見しましたが、画一化された教室とは異次元の世界で、特に天井から吊り下げられた蛍光灯の丸い輪が印象に残っております。
大きさは絵の左下の人物と比較して頂けるとわかると思います。(写真)
天井からの照明、斬新な壁などが印象的。
正三角形ではないのを後で知りました。
ピラミッド校舎について(ウイキペディア)
前川國男が設計した建造物で、1959年に策定された「学習院創立八十五周年私学十五周年記念建設事業」において建設計画が決まり、1960年8月に竣工した。
厳密なピラミッド型ではないが、ピラミッドのような形をした建造物がキャンパス中央に存在していた。