鎧神社
住所 | 東京都新宿区北新宿3丁目16−18 鎧神社 |
電話 | +81 3-3371-7324 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | yoroi.or.jp |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 4.1 9 件の口コミ |
Yoroi Shrine | |
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鎧神社 件の口コミ
9 JR大久保駅から小滝橋通りを過ぎて右側、淀橋市場の鉄道ガードの方から行くコースも有り。
平地の住宅街にあり平将門の鎧を埋めたのが神社名の由来とされますが日本武尊や藤原秀郷関連の説も。
建物は新し目で1000年以上前の伝承とは関連が薄目に見えます。
名前はカッコいいですが、見た目は普通の神社でした。
御朱印は書き置き(令和4年4月時点)でした。
鎧神社と縁のある神社として、ここから徒歩20分ほど歩いた先に成子天神社というのがあり、元々はこの鎧神社の境内摂社の天神社だったそうです。
今も鎧神社の境内には天神社が摂社として存在するが、これはその後に再度祀った2代目の天神社のようですね。
大久保―東中野の中央線の南側にある神社で、その成立において3つの説があるようです。
1. ヤマトタケルが東征の折に、甲冑六具の内をこの地に収めた事により、社名が起こったと言われています。
2-1. 天慶3年 (940年) に平将門が滅んだあと、天暦 (947年) の始め、将門公の鎧をここに埋めた。
2-2. 将門公残党を追い、この地を訪れた藤原秀郷が重病になり、将門公の祟りを恐れて、薬師如来を本尊とする円照寺 (当社南西の圓照寺か) の境内に将門公の鎧を埋め、祠を建てて篤く弔い、病を治した。
社務所で実際に奉納された鎧があるか、鎧を埋めた場所はどこなのか聞いてみると、1100年も前の事なので分からない物の、確かに埋めたはずだとの事でした。
例えば平塚神社にある甲冑塚古墳のように伝承でも埋められた場所が分かればと思ったのですが、そのようなところはないようでした。
ただ、ここで話題に出た鎧がヤマトタケルではなく、将門の鎧だったので、ヤマトタケルは神社側も、伝説上の人物と定義付けているか、ヤマトタケルが発祥という説自体が明治政府の弾圧を逃れるために後付けされたのではないかとも考えられます。
いずれにせよ、平将門も桓武平氏という事で桓武天皇の血を引き、新皇を名乗るだけの資格や血統は持っていた事になります。
今日的な目で見れば、平将門の乱を明治政府が900年も後になって弾圧しようとしたことは歴史を否定する愚かな行為であります。
当社に祀られるヤマトタケルも景行天皇の皇子でしたが、冷遇され、東征の際は関東に住まう土蜘蛛という異民族を討伐に向かったと伝えられています。また、境内社の天神社の祭神である菅原道真公もまた、冷遇の末に大宰府で客死し、死後は怨霊となり、天皇さえも殺す猛威を振るいました。
ある意味、当社は日本史上天皇制の中で主流から追いやられた、敗者たちを祀る神社であり、だからこそ地元の人々に愛され、戦前の明治政府の干渉により末社に移された平将門公が主祭神に返り咲いたとも言えます。
当社は大手町にある将門の首塚のように禍々しい伝説はなく、ただ敗れた者を温かく迎え、我が事のように大切に守る『民』の心遣いがある、そうした信仰に支えられた神社だと言えます。
神徳や奇跡が最も残され、感じさせられるのは、境内に残る、太平洋戦争の米軍の空襲からただ1本だけ焼け残ったイチョウの樹でしょう。
私たち国民は、しばしば時の政府をはじめとする大きな権威や権力に対して無力であります。ヤマトタケルのように父であり、主君である景行天皇のために尽くすべき組織や人に忠勤に励んでも、使い棄てられ、将門公のように自らのを慕う人々を守るために大望を建てても討たれ、道真公のように冷遇されて生きている間に功績を認められず失意のうちに亡くなり、そして太平洋戦争で国のために尽くし、国の勝利を信じていた国民はある者は戦地で、ある者は空襲で、こうして亡くなっています。
しかし、語り継げれば、歴史とその教訓は滅びません。
歴史的な悲劇は回避できないかもしれませんが、一人一人をより良き方向に導けるのではないか。
私はそう信じています。
東中野と大久保の中間あたり、北新宿の住宅街の中にありますが、落ち着いた雰囲気のある神社です。御朱印は、書き置きのみ、と書いてある紙が窓口に貼ってあったのですが、御朱印をお願いしたところ、神主さんがちょうどいらしたようで、書き置きではなく、手書きの御朱印を頂戴することができました。
天神社もあり、成子天神の元の社でもあるので元天神ともよばれているそうです。
広さもちょうど良い感じですね。
JR総武線・大久保駅より徒歩12分。
北新宿の閑静な住宅街に鎮座している神社。
薬師堂 (現 円照寺) とほぼ同時期の平安時代創建と言われています。
日本武尊、大己貴命、少彦名命、平将門公が祀られています。
ここは日本武尊が東征の際に甲冑六具をこの地に納めた伝説や
平将門公の鎧がこの地に埋められたと古来より言い伝えられていたりと
「鎧」に関する歴史がありとても興味深い神社です。
境内は広々としていて静寂な空間。
平日の16: 40くらいにお邪魔しギリギリのタイミングで、御朱印をいただくことができました。
ありがとうございました。
歴史ある神社のようです。入口に来歴の説明看板があります。平将門公の鎧が埋まっているとの伝説があるそうです。
お祝いごとなどでの祈祷もやっていただけます。上の子供の出産後に祈祷していただき費用は5000円だったかと記憶しています。日常的に子供たちとお詣りします。
寺巡りをしていて、偶然見つけた。
その時めぐっていたお寺が圓照寺。平将門を討伐した藤原秀郷に関連するお寺である。偶然なのか必然なのか、言葉では説明できないような因縁を感じる。
これが噂の鎧神社か。。
なんとも言えない感慨がある。
日本武命と平将門の鎧が埋まってるという伝説の場所。
いまなお、都会にあって、静けさに包まれている不思議な空間である。
本殿にて参拝し、そのあと、末社、裏門とめぐる。
裏門に揮毫したのは当時の陸軍大将 男爵 奈良武次。
武人に慕われたことがうかがえる。
御朱印も頂戴しました。将門公の霊験を転職に発揮してほしいです。
大久保と東中野の中程、中央線の側にある神社。住宅街にあり、落ち着いた雰囲気です。今日は残念ながら神主の方が多忙で御朱印は頂けませんでした。御朱印を頂きたい方は前もって確認した方がいいと思います。
後日書き置きでしたが、御朱印頂きました。