旧台徳院霊廟惣門
住所 | 東京都港区芝公園4丁目8 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.2 13 件の口コミ |
Former Daitokuin Reibyo Somon Gate | |
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旧台徳院霊廟惣門 件の口コミ
13 20220130初詣7:芝公園1周弾丸参拝ツアーに行って来ました!
芝大神宮、増上寺、熊野神社で参拝を済ませ、次は増上寺境内に鎮座する「芝東照宮」に向かいます!
増上寺の正面「三解脱門」の左手に歩くこと数分、全国でも四大東照宮に数えられる芝東照宮の鳥居が見えて来ます!
その途中、増上寺と芝東照宮の間に芝公園と一体化した荘厳な朱色の門!
大きな仁王像を安置する立派な門、でも門の奥には何も無い・・・・・
ん?っと思って説明文を読んでみる!
かつて徳川秀忠公 (台徳院) の霊廟が有り、その惣門であるとの事です!
現在では、徳川家の墓所は1ヶ所に纏められていますが、戦前は今のプリンスホテルの敷地に歴代将軍家の1部の霊廟がそれぞれ鎮座していたのだそうです!
旧台徳院霊廟惣門:東京都港区芝公園4-8
江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟の惣門だった建物(重要文化財)!
霊廟は、秀忠が死去した1632年(寛永9年)に増上寺境内南側に建立されたとの事です!
徳川家霊廟の中で最も規模の大きなものだったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で大部分が焼失しました!
惣門・勅額門・御成門・丁字門が残されたのだそうです!
惣門は現地に保存されたが、勅額門・御成門・丁字門は、1960年(昭和35年)に所沢市の狭山不動寺(埼玉県)へ移築されている。
安置されている仁王像は、胎内の銘札から川口市西立野の西福寺の仁王門に安置されていたものと判明しているそうです!
1948年(昭和23年)に浅草寺に移され、1958年(昭和33年)頃までに、この惣門に安置されたと考えられているとの事です!
芝増上寺の境内の横に芝公園と一体化した朱色の門のみのスペースがあり、以前から増上寺参拝の度に何だろうと思っていた。今回仕事帰りに寄ってみたが、かつて徳川秀忠公 (台徳院) の霊廟がの惣門であると初めて知った。現在でこそ徳川家の墓所は一ヶ所に纏められているが、戦前は今のプリンスホテルの敷地には歴代将軍家の一部の霊廟がそれぞれ鎮座していた。大東亜戦争末期の空襲により全て焼失してしまい今では台徳院の惣門のみが再建されている。もしも焼失せずに現在まで残っていたら間違いなく世界遺産の候補に挙げられていただろう。
台徳院霊廟 (2代徳川将軍秀忠公
の霊廟) 江戸初期を代表する建築物群
の 惣門
[台徳院霊廟について]
3代将軍徳川家光により 芝増上寺境内に 1632年 寛永9年に 建立
当時の最高の芸術 と建築技術を駆使して作られた建築物群
壮麗さでは日光の東照宮を凌駕していると言われ戦前は国宝に指定されていたが戦火により 大半が焼失し
国宝の指定から外れ 存在そのものが長期間忘れ去られていました
1910年 明治43年ロンドンで開催された日英博覧会に出品された現物の1/10の精巧模型が英国王室ロイヤルコレクションとして保管されていることが 分かり
長期貸与 うけ芝増上寺の地下の宝物館
で 見ることができます
焼け残った 御成門 勅額門 丁子門
の3つの 国指定重要文化財 は
旧ユネスコ村( 閉園) 狭山山不動寺 に 移築された
台徳院霊廟の特徴として 奥の門ほど
煌びやかになります
増上寺のすぐ南側にあります。
『寛永9(1632)年造営の2代将軍徳川秀忠の廟所です。昭和20 (1945) 年の東京大空襲で、幾つかの門だけが罹災を免れ保存されました。』とのことです。
JR山手線・京浜東北線浜松町駅より徒歩11分。都営三田線芝公園駅より徒歩3分。都営浅草線・大江戸線大門駅より徒歩5分。駐車場なし。江戸幕府ニ代将軍徳川秀忠公の霊廟の惣門だった建物で、重要文化財に指定。台徳院は、秀忠公の院号。木造の阿形像、吽形像が左右に安置され、とても存在感があります。こちらの仁王像は、川口市の西福寺の仁王門に安置されていたものと判明しており、1948年に浅草寺に移され、1958年頃までに、この惣門に安置されたと考えられているそうです。
徳川2代将軍秀忠の霊廟が増上寺にかつてあったが、空襲で消失。この門だけ残ったとの事です。流石に将軍。素晴らしい建物です。両脇の阿吽の像は、埼玉の他の寺で放置されていたものを修繕、浅草浅草寺のちこちらに移転したと。波乱の人生?だなぁ。但し室町時代の作。門から内側は整備されたコンクリートの道になっていて往時を忍ばせている。
If you're using the road the that goes alongside this Gate down towards the Hotel, be aware that on the Gate side the road has become rather pot-holed, furthermore the wall to the right makes it a bit dangerous so you cant see who's coming out - so be careful.
徳川二代将軍秀忠公の霊廟門のみが、現存する場所です。
現在のように、綺麗に改修整理される前から門のみが、保存されていることが、記憶に有りますが、二代将軍秀忠公の霊廟の御門とは、思ってもいなかったです。
考えてみますと、この芝公園は、徳川家にとっては、大変に由緒深い場所であることが、分かりました。
代表的、浄土宗大本山増上寺、旧台德院霊廟、芝東照宮等徳川家の関係寺院が、多い場所ですよね️
ゴルフ練習場の頃には、余り綺麗では有りませンでしたが、現在は、風格と、威厳有る御門に成っています。
現在も、戦後に集約化された徳川家の霊廟が、増上寺裏に、存在しています。
歴代将軍の全ては、無いですが、存在すことが、理解できる様に成りました。
この地は、徳川家の歴代の将軍の菩提寺だった場所ですね
お城側の、御成門から東京湾プリンスホテル、増上寺、芝東照宮、その他寺院、芝公園、高速道路芝公園口迄が、徳川家の由緒有る場所だった様ですね
その中に、丸山古墳が、存在する事も不思議ですね6
After visiting Zojo-Ji I visited shiba park through this entrance. Japan is a magical place and this place wasn't the exception. The park is a quiet place. I walked and decided to sit on a bench I found, and I was all alone. For a moment, the city disappeared. I even found a beautiful and small shrine.
芝の増上寺の隣にある徳川秀忠の墓所の惣門です。朱色の門には二体の仁王像も安置されています。第二次世界大戦の空襲で焼失しましたが、この門の奥には本殿や宝塔など、様々な堂宇などがある荘厳な霊廟だったようです。
1632年に建築された江戸幕府第2代将軍徳川秀忠公の霊廟の惣門にして国の重要文化財。秀忠公の戒名である台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士に因み、台徳院(たいとくいん)霊廟といわれ、戦前は本殿、拝殿、宝塔など江戸初期を代表する建築物の大伽藍があった。多くの建築物は、国宝(現重要文化財)に指定されていたが、1945年東京大空襲で多くの伽藍を失った中で、戦火を免れた数少ない建築物の一つがこの惣門。秀忠公の墓塔はその後、お江の方のお墓と合祀され、増上寺内安国殿の裏にある徳川将軍家霊廟内に建てられて現在に至っている。
色鮮やかな朱色の門は、背後の東京タワーともよく似合う。特に、午前中は順光で空の青さが引き立つので、増上寺と併せて午前中の観光、参拝がおすすめ。
とても大きくて迫力がありました!
この迫力を伝えたいと思いシャッターを切りましたが、あまりの大きさに被写体が収まらず撮影に苦悩するほど。
文章や写真では伝えられない迫力…すごい!!
なお、両脇には木造仁王像もいました。