日比谷公会堂
住所 | 東京都千代田区日比谷公園1−3 |
電話 | +81 3-3591-6388 |
サイト | hibiya-kokaido.com |
カテゴリー | ホール |
評価 | 4.3 9 件の口コミ |
Hibiya Public Hall | |
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日比谷公会堂 件の口コミ
9 東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「東京市政調査会(市政会館)」と併設する公会堂として計画されました。建物は佐藤功一の設計になるもので、1929年に竣工しました。
当時、東京では事実上唯一のコンサートホールとしてプロフェッショナルのオーケストラの演奏会やリサイタルなども多く開かれましたが その後、数々のコンサートホールや多目的ホールが都内に整備されるに従い、コンサートホールとしての地位は低下して行き、講演会、イベントなど音楽会以外の利用が多くなります。
戦前から政治演説会や国民(人民)大会が数多く行なわれた場所でもあり、自由民主党はこの日比谷公会堂で総裁公選を執行するための臨時党大会を何度も開いています。また、1960年10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事でした。
今は建て替えのため閉鎖されていますが、早く復活してほしいものですね。
しかし、見れば見るほど美しい建造物だと思います。
歴史を感じる建築物。都民の憩いの空間である日比谷公園内にあり、都心のビル群の中で目を惹く建物。皇居にも程近く、ランナーの方や、公園内にテニスコートがある為、スポーティーな方を沢山お見かけする。日比谷公会堂は、自然が豊かで都会のオアシス的な日比谷公園と一体となった建物。後世まで残して欲しい。
日比谷公会堂が完成したのは、昭和4年、西暦1929年。
しばらく番組の収録などで使わせれてないな、と薄々かんじていましたが、もう2016年4月から長期の休館に入っているのですね。
耐震工事含めて対応時期も未定だそうです。(2021/04時点)
年季入っている入り口、外装もかなり痛みが表面化しています。
日比谷公園の一角に重厚な建築があり、横浜の神奈川県庁本庁舎 (通称キング) を思わせる風格がある。1929年に開業し、当時は都内で唯一のコンサートホールであったが、後に様々な音楽ホールが開業すると相対的にその地位は低下した。以降はイベントや集会等での利用が大半を占めるようになっている。1960年には浅沼日本社会党委員長刺殺事件の現場となるなど、歴史の舞台となっている。
昭和レトロ全開なご老体にクリスマスイルミネーションが
タワー・オブ・テラー風のおどろおどろしい雰囲気が増幅されてます 笑
東京都日比谷公会堂の文字とイルミの絶妙バランスがカッコよかったです。
1929年に竣工した日比谷公会堂。老朽化および耐震化を理由に2016年から施設の使用が休止されています。
日比谷公園は日比谷公会堂や日比谷野音を改修し、博物館機能を持たせた五輪記念公園にする構想があるんですって。
40年前、冬、コンサートを聴きに来た。東京にコンサートホールが増えたのはバブル以降のこと。
建物はレトロ、音楽施設としては良好とは言えないけど、人々に思い出を刻んだ、大切な場所。
以前は、土曜日半ドン。お昼までは働いた。午後直帰、霞ヶ関での用事を済ませ、そのまま日比谷公会堂へ徒歩。コンサートまで時間があるので、向かいのプレスセンター1階の、ひとけのない喫茶店でコーヒーを飲み、あとは公園のベンチに腰かけてぼんやりしていた。東京の冬の夕刻はセピア色。静かなひとときを過ごした。
これから建物は復活するのか、数年前に、最後?(または何かの記念)のコンサートの模様を、これまでの歴史とともにテレビが伝えていた気がする。
日比谷公園の南東にありまして、背の高い時計台のある市政会館と棟続きの歴史ある建物です。かつては東京唯一のコンサートホールでした。老朽化が進み、耐震補強工事もしなくてはならない時代になり、現在は長期休館中の模様です。