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東京大空襲・戦災資料センター

住所 東京都江東区北砂1丁目5−4
電話 +81 3-5857-5631
時間
火曜日10:30-16:00
水曜日10:30-16:00
木曜日10:30-16:00
金曜日10:30-16:00
土曜日10:30-16:00
日曜日10:30-16:00
サイト www.tokyo-sensai.net
カテゴリー 戦争博物館
評価 4.2 24 件の口コミ
The Center for the Tokyo Raids and War Damage
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東京大空襲・戦災資料センター 件の口コミ

24
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
裕美
19 九月 2022 8:23

東京大空襲を伝える場所がここしか無いということに衝撃を受けました。後世に残さなければいけない出来事なのに。しかも私設とのこと。広くないスペースですが当時の様子が伝わってきました。経験者の話が映像で流れていて聞いていて胸が締め付けられました。当時の貴重な品々が展示してありなかでも焼け焦げた赤ちゃんの服は見ていて涙が出てきました。焼夷弾の模型も展示してありその大きさにビックリしました。一度は足を運んでみるべき場所だと思いました。

M marvelous
04 九月 2022 8:39

どの駅からでも結構歩くので、バスを利用するのが良いかと思います。(ホームページに何種類かのバスによるアクセス方法の説明があります)

平日の13時に到着したところ、受付の方にちょうど企画が始まるとの案内を受けたので飛び入りで参加させてもらいました。

学芸員と高校の先生の2名の方がスライドや動画を使って、東京大空襲の体験者の体験談を伝えるというものでした。

展示物だけでは知ることの出来ない生々しいお話しが聞けて、これだけでも充分訪れる価値があるものでした。
1人40分ほどの時間でしたが長いと感じることはありませんでした。

展示物自体は1時間もあれば充分見て回れる量でした。東京大空襲の被害を伝える内容が中心でしたが、徴用工などデリケートな内容も扱っています。

Satoshi
01 九月 2022 5:15

戦争や平和についての展示をしている場所は割と日本軍の動きや戦争の表面だけを扱ったところが多いのですが,ここは生活の現実に基づいた展示になっていて,私たちがもし…ということを考えやすかったです。

user
30 八月 2022 15:31

両国駅都バス停から北砂三丁目で下車。徒歩8分ぐらいで着きました。
先祖が、東京大空襲で亡くなり、遺体もみつからなかったそうです。

それで、知りたいことがいろいろとありまして、見学しました。
先祖の親戚一家が、東洋小学校になんとか逃げることができ、助かりました。それで生々しい話も聞いていました。

訪問して、資料や映像を観ることができ良かったです。

退出後、東洋小学校に行きました。戦時中と同じ場所だとお聞きしました。

N. YAMAMOTO
29 八月 2022 12:42

皆さんは「お気に入り」の、例えば美術館とかありますか。私はあります。
こころがある状態になったとき、養分補給のために会いたくなる作品とかがあって、意識的・無意識的によらず出かけてしまうような。
このセンターもそういう類に似ているんだが、「お気に入り」などではない。
どういうもんだろうかと、つらつら掘り下げてみると、どうやら「気になってしょうがない」みたい。
ここの存在に気づいて以来、意識の上部に現れてくるとほぼ必ず訪れている。
先日も、ほとんど衝動的に足を向けた。
でもいつも、15分と滞在できないのですよ。
息苦しくなっちゃって。
亡母は疎開児童として地方で空襲に遭った。東京から集団疎開で難を避けたはずなのに、その地で空襲に遭った(だからか、再疎開というメにも遭った)。
亡父はその前、大陸で鉄砲玉をくらい、終生左の脛に抉れたような傷があった。
どちらも恐るべき体験だが、それでも都市の空襲の恐怖とは段違いのような気がする。
展示されている資料ひとつひとつが皆、悲鳴をあげているようだ。
そんな風に見えて、聞こえて、じっくりと向き合うことができない。
だから私は、小分けにして何度も訪れるのだろうか。たぶん半分くらいは正解だろう。後の半分は? まだよくわからない。だからこれからも何度も訪れるのだろう。
このセンターは立ち位置が難しいらしい。どうか隘路をすり抜けて、永くこの路線で継続できるよう、切に祈っている。

植草繁
06 五月 2022 7:27

父の父 私の祖父の決断により命からがら生き延びた、生存出来たようですね。1945年 前日の3月9日に浅草から板橋に避難 頑張る事だけでは (防空壕) どうする事もならないものもあります

ロシア軍がウクライナに侵略、戦争を仕掛けて3週間経ちました。その後の人生もありますので『逃げる』のも手段、戦略の一つなのです

『ゆっくり 急ぐ』生命の危機に鈍感になっては、いけない

宮田悟志
09 四月 2022 0:00

広島の資料館に比べてしまうと規模は、だいぶ小さいですね。一時間で見終わります。ちょうどいいのかもしれませんが…
駅からのアクセスも、そんなに良いとは思えないですね。
車で行くのも、この施設事態に一般の駐車場は無くてコインパーキングを利用しないとダメです。
伝えていかなければ、絶対に忘れられてしまうと思いますが、よっぽど興味がある人で無ければわざわざ行く人はいないでしょうね。
せめて、錦糸公園の前とか、浅草、スカイツリー周辺に有れば良かったですよね。

kino
03 四月 2022 22:01

横十間川沿いを通ってて気付き入館しました、入館料は300円でした。
この施設の案内プレートには以下のように書かれてました。

太平洋戦争末期の1945年 (昭和20年) 3月10日未明、 約300機のB29による下町地区を中心とする無差別爆撃 は、人口過密地帯を火炎地獄にしました。 罹災者は100万人をこえ、 推定10万人もの貴い命が失われました。 3月10日を含め、東京は100回以上もの火の雨にさらされ、市街地の6割を焼失したのです。
民間の「東京空襲を記録する会」は、空襲・戦災の文献や物品を広く収集してきました。 当研究所は、この資料を 保存し都民の蒙った戦争の惨禍を次代に語りつぎ、平和の研究と学習に役立つ場にと願い、 2000年3月から募金および新資料収集をよびかけました。 この壁面裏にお名前が刻まれていますが4000名をこえる方がたのご協力により、 どのような公的援助もなしに、 2002年3月9日、 戦禍のもっとも大きかったこの地に、 当センターを完成することができました。ぜひ、お立ち寄りください。

財団法人 政治経済研究所

Mike
27 三月 2022 22:59

太平洋戦争末期、3月9日の深夜、僅か2時間半で10万人以上の方が亡くなった東京大空襲。両側に大きな川があるため逃げ場を失った人は橋に押し寄せ、橋の上の大勢の人は一瞬で丸焦げになった。その後も米軍は焼く物が無くなるまで繰り返し範囲を拡げ空爆を続けた。

この資料館には、当時の悲惨な写真、空襲を生き抜いた方の証言、米軍が日本の家屋を研究し、大量殺戮を行うために考えた焼夷弾の説明などを見ることができる。運が良いと、説明員の方が解説をしてくれる。

例えば、遺体が連なる橋の上を描いた絵や、赤ん坊を抱えながら炭になっている女性の写真などは撮影禁止となっているので、現地に行かれる事をおすすめしたい。

入り口付近にあるビデオ、説明員が上映してくれるアニメは実際の体験を元にしており、胸に響くものがある。少し時間に余裕を持って、必ず視聴された方が良い。料金は大人でも300円。入場の際は、名前と電話番号を記帳する。

米国や中国の友人と話すと、決まって、日本が悪かったので自業自得だと言われる。何故、日本はもっと早く、一般人が兵器の実験台にされる前に、降伏できなかったのか、当時の指導者を恨んでも恨みきれない。同時に、日米同盟があるかぎり、戦争の悲惨さを世界に伝えることができないのは残念で仕方ない。

資料館に多くの寄付が集まり、もっと交通の便が良い場所に移られ、こちらを通して戦争の悲惨さが、世界中に認知されることを祈っています。亡くなられた方の無念さを無駄にしないように。

Road
13 十月 2021 18:12

東京大空襲やその他国内外の空襲戦災の資料を集めたセンターで、1970年代の「東京空襲を記録する会」の活動を土台に、2002年に開館した民営の資料館です。東京大空襲の焼け跡写真や被災地図、空襲の歴史年表、焼夷弾の仕組みと種類、当時の仮埋葬地等について展示されていました。以下のような詳細な資料が用意してありますので、東京大空襲について詳しく知りたい方にはおすすめです。
1945年3月10日未明アメリカは日本の戦争継続を不可能にするため、木造家屋の建ち並ぶ人口密集地を目標にM69油脂焼夷弾 (ナパーム弾) を投下しました。東京湾から侵入した約300機のB29爆撃機はおよそ2時間半の間にM69油脂焼夷弾を38本まとめたE46集束焼夷弾約32万本を目標に向けて投下しました。この夜間低高度からの無差別爆撃に北西からの強風も加わり、大火災が発生しました。この爆撃によって約100万人が被災し、11万人以上が犠牲になりました。23区内の犠牲者数は以下です。
江東区ー犠牲者36521人
墨田区ー犠牲者28660人
台東区ー犠牲者14784人
中央区ー犠牲者1421人
新宿区ー犠牲者1286人
港区ー犠牲者1051人
渋谷区ー犠牲者946人
大田区ー犠牲者901人
江戸川区ー犠牲者899人
千代田区ー犠牲者805人
荒川区ー犠牲者773人
豊島区ー犠牲者703人
北区ー犠牲者698人
文京区ー犠牲者620人
品川区ー犠牲者610人
板橋区ー犠牲者533人
中野区ー犠牲者423人
足立区ー犠牲者340人
目黒区ー犠牲者228人
世田谷区ー犠牲者215人
杉並区ー犠牲者186人
葛飾区ー犠牲者123人
練馬区ー犠牲者42人
(東京空襲被災地図より)

当時日本各地は空襲の被害にあいました。多くの犠牲者を出した地域は以下です。
広島市ー犠牲者42561~263054人
東京区内ー犠牲者91444~115000人
長崎市ー犠牲者13666~75960人
大阪市ー犠牲者9246~13973人
神戸市ー犠牲者7421~8841人
名古屋市ー犠牲者7802~8625人
横浜市ー犠牲者4616~8000人
(本土空襲による主な地域の死者数より)
(2021年8月18日)

Ryuta
09 十月 2021 10:37

戦時の戦略とは言え大規模な3/10の空襲には無慈悲さのみ覚えます。
この時の爆撃の高度は超低空だったらしく、本来は上に向けて索敵したサーチライトが横を向くほどだったとか。
資料にある当時の映像や体験談から絶望の中の必死の避難を思うと足がすくんでしまいますね。
3/10の出来事だけでは無く、今までの世界戦の空襲の歴史も展示されていました。
その資料から過去、日本も敵国へ空襲を行っていた事を知れます。
中でも非戦闘員への攻撃は被害者の側面からしか見てなかったので日本に重慶の様な無差別爆撃で加害者の側面があったのにはショックでした。

駐車場は敷地内には無いので近場のパーキングに停めることになるかと。
資料館へはバスが便利でした。
秋葉原から出ている (秋26) で資料館の最寄りのバス停は"北砂1丁目"になり、そこからは徒歩1分ほどですよ。

河村俊志
09 六月 2021 23:41

戦災や空襲のまとまった公的な施設が東京にないという事実をここで初めて知りました。被害者目線だけではなく、日本軍が行った重慶爆撃まで触れていて公正さも感じます。是非一度来訪?をおすすめします。

ゆうじゆうじ
16 五月 2021 10:12

貴重な資料がたくさん展示されてありました。当時の現地写真もたくさん展示されており、炭素化した遺体が重なりあっている写真等、空襲の残酷さと悲惨さが一目でわかりました。
手記も多く残されており、戦争の怖さが本当に分かります。
一度は必ず訪れた方が良いと思います。

Kenichi
22 四月 2021 18:19

民間の出資で設営された、東京大空襲の資料展示を行う小規模な資料館です。小一時間でも一通り見れるとは思いますが、空襲被害者の手記やインタビュー映像などを見ようと思うと長時間が必要です。また空襲に関する各種図書が読める談話スペースがあります。

令和3年は国会でも空襲被害者の援護法が議論になりましたが、都は残念ながら資料館を作りませんでした。民間で実施している方に敬意を表します。

乙名丹次郎
14 四月 2021 22:58

非常にヘビーな体験となるだろうが、ぜひ訪れてほしい施設。

もはや日本がアメリカ(や連合国)と戦争したことすら意識していない世代が増えてきたと思うが、70年ほど前には、東京にもアメリカ軍の爆撃機が多数襲来して、木造家屋を焼き尽くす焼夷弾を雨あられと降らせて、一夜にして一般市民を10万人も殺害するという戦争犯罪を働いたのである(東京だけではないし、最後は広島・長崎へ原子爆弾が投下されたわけだ)。
アメリカ軍への怒りは当然であるが、歴史を振り返れば、大規模な空爆を受けたのは東京市民だけでもなければ、第2次世界大戦時だけでもない。欧州でもアジアでも、現代に至るまで、一般市民が死傷する空爆は行われてきたし、やりきれないことには、「加害者」の名簿には、日本軍もまた名を連ねているのである(重慶爆撃も悲惨であった)。たとえ空爆を生き延びたとしても、その後の人生を狂わされた人々は数知れない。
そうしたところまで視野を広げて、展示がなされている。

人類が暴力による問題解決を捨てる日は来るのだろうかと、暗澹たる気持ちになるが、これが世界の現実なのである。
立地的には多少不便で、駐車場などもないが、民間施設なので、維持のための寄付のつもりで、300円払って見るべきであると思う。

74 kamex
07 十一月 2020 0:07

戦争は絶対にノーと訴えかける インパクトがない、市中に現存する、モニュメントが無いからなのか、東京大空襲という悲惨な大虐殺が忘れられていく気がする、残酷に見えても訴えるものがもっと必要では?

gotterdammerung0409
30 九月 2020 20:13

展示内容はともかく行きにくいです。秋葉原駅からは直通でバスがあるのですが、錦糸町駅や亀戸駅からはバスがあるものの、バス停から遠く、案内看板などはなく分かりにくいです。途中にある警察署でも位置が把握しにくいようで、行くだけで苦労しました。
展示内容は、空襲に特化したもので、分かりやすく、参考になりました。ありがちな左傾化したところもなく、冷静な目で展示物を見ることができました。

Sam
02 五月 2020 5:08

No, this is not a disney-fied, high-budget national museum. But the testimony it gives is so touching, and so important, that it's a must-see in my book for history-minded visitors (especially Americans –– even with limited Japanese). Please consider going and supporting their vital work.

エグサシゲオ
19 一月 2020 18:22

貴重な資料を後世に伝える大切な働きをしています。インタビュービデオは見る時間がなかったので、本を買って家で読みます。「記録を残さないと無かったことにされてしまう」という館長の言葉が印象的でした。

まやかしじゃんぼ
05 一月 2020 18:28

太平洋戦争・とくに東京大空襲の戦災について学びたい方には素晴らしい場所です。館内には貴重な写真や資料・展示品が数多くありました。先ずはビデオで東京大空襲のドキュメンタリー映像を見ます。その後2階の展示室へ進みます。戦時下の部屋を再現したコーナーからB-29の模型などがありました。基本駐車場がありませんので近隣のパーキングを利用することになります。

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