諏方神社
住所 | 東京都荒川区西日暮里3丁目4−8 |
電話 | +81 3-3821-4275 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | suwajinja.r-cms.jp |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 4.2 21 見直し |
Suwa-jinja Shrine | |
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諏方神社 件の口コミ
21 上野公園から谷中の寺町を突っ切る通りの北端に在る神社。その通り名の由来が当社で諏訪台通りなのですね。
ポタリングで良く前を通りますが初訪問。境内これと言ったものは有りませんが、裏手のJR西日暮里駅へ続く階段が地蔵坂と言って、隣接する浄光寺の地蔵尊が由来の様なので、参拝後にお地蔵さんを見てみるのも良いかもしれません。
エンジェルスVSヤンキースの大谷とジャッジのホームランを見て、京浜東北線空白区間の散歩に出かける。西日暮里の駅を出た時に小雨が降り出し、駅の売店でビニール傘を買い歩き始めた。武蔵野丘陵のへりを日暮里へ向かうと、鬱蒼とした鎮守の森に埋もれる様に建っていた。歴史を感じさせる境内は、静かに時を重ねていた。
都会の中のオアシスのような場所です。
社殿は内部がすっきりと見渡せる空間になっていて、その空間が逆に神々しいです。付近には江戸六地蔵の1つと、通りに太平洋美術会研究所があります。
線路を見下ろせば、行き交う新幹線を見る事が出来ます。
久しぶりに氏神様に参りました。ひっそりとしていました。西日暮里の高台にひっそりとたたずむ由緒正しい鎮守さまです。まもなく大祭が行われ、出店がたくさん開かれて人々が賑わうのでしょう。今頃はいろいろな鳥たちが飛び交い唄う空間となっているはずです。
友人の結婚式で訪問。
毎度お参りしてますが、地域の神社らしい落ち着いた雰囲気です。JR側は見晴らしもいいので、近くの公園から散歩にもいいです。ここを皮切りにして、足を伸ばして谷中〜根津までゆったり歩くのもいいですね。
この日はスーツに革靴だったので西日暮里から坂を上がってまずはお参りに。初めて中に入りましたが、年季の入ったしっかりしたお社でした。いい経験をさせてもらった友人に感謝です。
予想以上に境内の敷地面積が広い。
これだけ広ければ一部を借地にして不動産収入とかも得れる気がする。
目と鼻の先の距離で鉄道が走っており、鉄道オタが喜びそうなロケーションが見れる。
御朱印は令和4年4月の時点では書き置き。
JR西日暮里駅から近いです。
大きな神社でもなく派手さもありませんが、凛としていてパワーを感じます。何度か参拝していますが、社務所の様な所は開いていませんでした。決まった日時でないと御朱印などは提供されていないのかと…近くの神社お寺、谷中ぎんざ等に立ち寄りながらJR日暮里駅まで抜けると良いお散歩コースだと思います。
また複数の電車の線路が見下ろせる高台に位置しているので鉄道ファンにもたまらない場所なのだとか…
じゅん散歩でも高田純次さんが来られていました。
日暮里駅から近く、参拝しやすいと思います。
境内は広く、静かな雰囲気です。
本殿はしっかりとした佇まいをしてます。
この神社からは日暮里を走る鉄道や周辺の光景を眺める事も出来ます。
我が家の氏神様の諏方神社です。
祭りの時は賑やかで各町会の御輿が競い合い、屋台も連なる場ですが、コロナ禍で中止となりました。
ロケ地でもあり、相棒や大河ドラマのいだてんにも登場しています。
道灌山の先端に鎮座し、都内の神社とは思えない緑豊かな神社です。長野県の上諏訪社と同じ建御名方命を祀っています。元久二年、豊島左衛門尉経泰の造営と伝えられ、江戸時代には三代将軍徳川家光に社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰をあつめました。旧暦七月二十七日の祭礼では、囃屋台・山車をひきまわし神輿渡御が行われました。神田芋洗橋までかつぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒をそなえて帰座したそうです。
脇にはJRの線路が走っているので、電車ウォッチングもできますよ。
約1年振りの参拝です。23区の神社とは思えない感じで、昔よく遊びに行った田舎の神社を思い出します。谷中銀座のヒトゴミから参道へ。落ち葉を掃く神社の方を見てホット一息つきました。コロナ禍お参りをし、やっと売り上げも戻りました。そのお礼のお参り、感謝です。皆さんもコロナウイルスに油断する事無く頑張りましょう。一日、十五日には通常御朱印のほかのものが頂けます。
雨の中訪れましたが、とても良い雰囲気でした。
すぐ近くを通る電車の音は、しっかり聞こえます…。
末社 (?) がとてもよく管理されていて、お参りしていて気持ち良かったです。特に三宝荒神社からは、特別な空気を感じました。
御朱印は書き置きでしたがいただけました。神社の方は楽な服装をしていらっしゃいましたが、丁寧に対応していただけました。
とても良かった。
古くからの雰囲気を大事にしていて、境内の自然も手入れされており、とても神格的である。
新緑の緑が美しかった。
木々も樹齢が長い木が多かった。
少し高台にあるので、東側の山手線及び街の景色が良い。
石像、狛犬も個性的だ。
東京でこれだけ自然が残っている神社も珍しい。
社務所はこじんまりとしていて、あまり販売などはしてないが、それもまた時代に媚びてなくて良い。
ただ、そこに在るだけで、民にとっての御利益多き神社だ!
今の時代には珍しい、神や精霊を感じられる稀な神社なので、是非、参拝してみては如何だろうか。
よかった・気になった
千代田線利用者であり 最近, 西日暮里駅を利用して再就職活動をしておりかつ,
お稲荷様を信仰しているので 中々知ることがなかったので 遅れたけど ご挨拶に伺いたく参拝しました。
地元の方が何人か憩って? (立ちっぱでしたけど) いました。
稲荷様の祠には何故か三円が御供えされていて「何故三円?」と気になりました。 五円とかだったら (ご縁) でわかるけど
三峰と 御嶽山?の末社は今後は
行かないですね、
特に御嶽山は……写真から見て本殿と
左側の授与処の間です
通路の天井がめっちゃ低いし,
蜂やデカイ蝿翔んでるし ……
多分神はおらず 低級霊か
神が居たとしても, よほど相性悪いんだねと感じました。
山手線の駅から近いのに、
落ち着いた感じのする神社でした。
御朱印をいただこうとしたのですが、人はいるのにチャイムもなく、話しかけても通じず、仕方なしにガラスを叩いてやった気付いてもらいました。
谷中総鎮守の諏方神社は西日暮里駅から諏訪台通りの入口と線路沿いのガード下を通り石段を昇る入口、又日暮里駅から御殿坂を歩き諏訪台通りから正面入口に入る事が出来ますニャン各入口には参拝️鳥居が有り何処からも10分程で到着します、何より各鳥居入口の趣きが皆違うので3倍楽しめますニャン諏訪台通りの入口前には明治日本美術界をリードした芸術家達のスポット大平洋美術協会のアトリエギャラリーが有りますニャン諏方神社は1323 (元亨2) 年に豊島経泰が信州諏訪神社から勧請した御分社ですニャ豊島氏は元々源氏の家臣として義朝落命後信州に落ちのび諏訪明神を厚く信心後に頼朝挙兵に加わり軍功により武蔵国豊島郡を拝領した関東武士ですニャン社名を諏方と云う古来表記のまま残した貴重な神社ですニャ先月末に神社境内で国の無形民俗文化財でもある五代目松本源之助社中の江戸里神楽を観る機会があり改めて江戸庶民の豊かな感性を感じましたニャ大きな戦もなく江戸庶民が身近に楽しめた下町の伝統芸能を今でも気軽に味わえるのは本当に嬉しいですニャン
昔はお諏訪様と呼んでいて夏祭りの境内での縁日は好きでした、新幹線が走る前は当時の国鉄の特急、急行が走っている姿や京成の電車、常磐線の電車も走る姿が見えて鉄道好きの子供には電車を見てるだけでワクワクしたもんです。
境内のあちこちでタバコが吸え、境内全体がヤニ臭い。以下、気になった石造物の観察情報を記す。
【新東京八名勝の碑】
表参道入口にあり。昭和七年十一月健之銘。彫刻は、東京青山の石勝。題字謹書は東京市市長、永田秀四郎。
報知新聞社は、東京市域拡張に伴い、東京市八名勝を決める投票を行ったという。この投票により、日暮里諏訪神社は、六十六万九千七票を獲得し、その第四位に輝いた。そして、これを記念して建てられたのが、この石碑なんだという。
【武蔵国豐島郡新堀邨諏訪神社記碑】
一の鳥居を潜って直ぐ右手にある。文化十四年健之銘。自然石型石碑。石工は、廣群鶴。撰文謹書は林田山村紀胤。正面に漢籍碑文。
【狛犬】
御輿倉庫前にあり。
文化六年健之銘。全体的に修復の痕が見られる。台座部に「れ組」の文字。基礎部に「大正十二年…大震災……」とあるが、かすれて読めない。
諏訪神社社殿前、狛犬台座部に歴記があった。それによると、狛犬は文化六年にれ組によって奉納されたが、大正十二年関東大震災で破損、修復。昭和二十年戦災で破損し、昭和四十三年に現在地である御輿倉庫前に移転したそうである。
【手水石】
天保二年三月再建銘。センサーが反応し、龍の口から水が出る仕組み。
西日暮里駅を出て、諏訪道と呼ばれる尾根づたいの通りには神社仏閣、古い長屋などが続き、情緒豊かな道です。
その先の長い石段を昇ると、うっそうと茂る森に諏方神社が佇んでいる。
1322年に信州諏訪神社から勧請
したもので、谷中、日暮里あたりの氏神さまで、8月末のお祭りは多くの人たちで大変な賑わいをみせる。お祭りの御神輿の庫裏があり、源為朝の山車も奉納されています。
小高い丘の上なので、真下にJRの線路、日暮里の街が広がる。
街は近いが、ここは喧騒をよそに静けさ漂う別世界…。
枯葉がひらひら舞って、“もうすぐ冬デスね~”と唄を奏でるようでした。