矢先稲荷神社
住所 | 東京都台東区松が谷2丁目14−1 |
電話 | +81 3-3844-0652 |
時間 | 09:00-16:30 |
サイト | www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/6618 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.1 23 件の口コミ |
Yasakiinari Shrine | |
最寄りの枝 |
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矢先稲荷神社 件の口コミ
23 矢先稲荷神社。
三十三間堂が浅草に建てられた当時、堂の廊下で「通し矢」が行われ、その的先にあった神社だった事から矢先稲荷神社と言われる様になったそう。
大田区池上にある寺院では、本堂に矢先稲荷を祀っています。
【浅草名所七福神】
福禄寿を祀る。徳川家光が国家・人民の繁栄と安全のために1642年に建立。お堂は京都の三十三間堂に倣って建てられ、稲荷大明神を勧請している。しかし、1698年の大火でお堂は深川に移転した。
健康祈願、家内安全、縁結び、人望、人徳、創業成就、合格祈願、武運長久、商売繁盛、金運・財運上昇、子宝・子授けなど多岐にわたるご利益がある。
小規模な神社でした。
社務所にいる人は神職ではなくアルバイトでしょうね。
何の神様を祀ってるか知らないようでした。
そこの神社で働く神職が「祀ってる神様を知らない」というのはあり得ないし。
御朱印は2種類あり、七福神で福禄寿の御朱印もあるのだが、嚙み合わない会話をするのにストレスを感じてこれ以上はエネルギーを消費したくないと思い、矢先稲荷神社としての御朱印のみにしました。
浅草 七福神巡り
GWの某日2日間かけて9カ所を巡ってきました。
5番目に訪れたのは矢先稲荷神社です。
鷲神社から徒歩15分程度でした。
住宅地の中にあり静かな雰囲気があります。
地下鉄銀座線の稲荷町駅から近いので
ここから七福神巡りをするのも良いと思います。
作法通り参拝したあと300円納め
七福神巡り用の色紙に記入していただきました。
※七福神巡りの順番は自由です。
9カ所どこから始めても問題ありません。
ただし受付が16: 00で閉まるところもあるため時間内に回る必要があります。
浅草近辺の七福神を祀る神社の1つです。
春には綺麗な枝垂れ桜を見ることができます。桜の数はそれほど多くはないですが、神社の風景と良く合っていて印象的でした。
桜の咲く時期には限定の御朱印もあるようです。
また、神社の建物内にも、入ることができます。天井には各年代毎の馬の絵が描かれているのでそれを眺めるのも風情があります。
1642年に将軍家光が京都の三十三間堂を
真似た浅草三十三間堂を創建した。その
守護神を祀ったのが起源なのだそうだ。
三十三間堂は1698年の火災後に深川に
移転したが廃仏毀釈で廃寺になっている。
残った方が、今に繁栄を伝えているのは
運命めいたものを感じる。
拝殿の格天井を見逃したのが悔やまれる。
2022年 4月23日 (土) 9: 00
浅草七福神の一つ 『福禄寿』でマンションや民家に囲まれた場所に位置してました
風格の有る境内に清掃がとても行き届いて、歩いている方々も️の前で足を止めて一礼する
気持ちが清々しくなる神社でした
御朱印も矢先稲荷神社と福禄寿、季節限定の桜もうで等々多彩でワクワクしました
桜もうでの御朱印は500円の限定品なので是非今の時期しかないのでGETしてください!
(無くなり次第終わりだそうです)
写真アップしますので良かったら見てください
Quiet and uninteresting shrine. Only worth visiting if you’re collecting stamps from the “Asakusa shichifukujin”
先日久し振りに参拝しました。前回は二年程前例祭の時でした。早くコロナ禍が終息し御神輿が勇壮に繰り出す姿を観たい物です。御朱印を頂きそんなことを思って暑さをしのいでいたところ、二人の男女。御朱印貰おうぜと言いながら参拝もせず御朱印をゲットしさっさと立ち去る二人。皆さんはこんなことしませんよね。ああやなものを見てしまった。
浅草三十三間堂跡にある矢先稲荷神社。矢場を持つ京都の三十三間堂にならい創建されたそうです。
その的場に隣接していたことにちなみ「矢先」の文字があるようです。
本殿の天井画も見せていただけてありがたいです。
御朱印も丁寧にいただけました。
浅草名所七福神の一つ。ちなみに名前の由来は?
三代将軍徳川家光が国家の安泰と庶民の安全祈願、ならびに武道の練成のため、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立。ちなみに三十三間堂では、弓の射技練成のために「通し矢」が行われます。そして、堂の守護神として稲荷大明神を勧請。その場所がちょうど的の先にあたっていたので、「矢先稲荷」と名付けられたそうです。
訪れた日(3月23日)は、枝垂桜と鳥居脇の小さな小さな桜(ソメイヨシノでは無いと思います)が綺麗でした。
あ! いま恋をしている方、ここの御籤をひけば?
カッパ橋商店街からすぐ、通りから少し路地に入るとある、矢先稲荷神社。浅草からは、カッパ橋商店街を目指せばわかりやすい。こちらの神社は何と言っても、本堂の中に入ることができ、且つ、本堂の天井に描かれている、歴史上の人物が、見事に描かれているところですね。横列が、時代ごとに並んでいるのも特徴でした。天井部分だけ撮影ができるとのこと。必見ですね。
浅草、合羽橋商店街から少し入った場所にあります。一方通行が多いため、辿り着くにはナビがあった方が良いかもしれません。
なにやら、三十三間堂なるものがかつてはあったようです。今では、三十三件以上の建物が密に建っています。三十三間堂の名残は一切ありません。
さて稲荷神社と聞くと、鳥居が連なる様子を思い浮かべますが、ここには一つしかありません。都会の狭い境内では仕方ないのでしょう。しかし歴史があるからあってもおかしくないはずなんですが。きっと誰か調査してくれるでしょう。クチコミ待ってます。
ここ矢先稲荷神社のメインは、拝殿に入る事ができること。そして天井画を拝見出来ることです。それはそれは見事なものです。ここへ来たなら必ず見て貰いたいです。
また、浅草七福神の一社でもあります。浅草へ行ったときには、立ち寄ってみてください。
この場所には
京都東山の三十三間堂(蓮華王院)での通し矢の流行をうけて、寛永19年 (1642年) 11月、弓師備後という者が幕府より浅草の土地を拝領し、京都三十三間堂を模した堂を建立した。
JR上野駅入谷口を出て浅草浅草寺に向かって細い路地を抜けると左側に矢先稲荷神社が現れる。(写真)
この道は江戸切絵図を見るとかっては川だったようだ。(想像図)
拙い画像合成で作成するとこんな感じだったのでしょうか。
矢先稲荷の矢先は弓矢の矢が由来らしい。
この稲荷は三十三間堂を守護するために造られたそうだが三十三間堂はその56年後の元禄11年(1698年)の勅額火事により焼失した。
三十三間堂はその後元禄14年(1701年)富岡八幡宮の東側(現東京都江東区富岡2丁目付近)に再建され明治5年まで存続した。
現在三十三間堂の痕跡は何もないようだが、数矢小学校の校名として残っている。
正面の鳥居も同じ道路に面している。鳥居の額は矢羽の模様だ。(写真)
中に入ってみる。
立派なお堂だ。(写真)
絵馬は古いものばかりで数も少ない。
人通りの少ない路地の奥のためだろう。
守護すべき三十三間堂が焼失してから300年以上もこの地にあるのはすごい。
代々の近辺の人達の支えがあったのだろう。
幸先良く、御神籤で大吉が出ました〜!その後は来吉ばかりでした。チョット分かりづらいところに鎮座してました。本堂の天井には聖徳太子や信長、秀吉、家康の馬上の絵が描かれてました。逆でごめんなさい。
銀座線・稲荷町・田原町 7分
・浅草駅 15分
日比谷線・入谷駅 10分
都バス 菊屋橋下車 3分
御神体
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
福禄寿
寛永19年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立
三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。
通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行した
この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけた
いまからおよそ360年前のことになります。
昭和20年3月9日の空襲では神輿庫を残し焼失
戦後早々に仮殿にて復興後、昭和35年11月9日にはRC造の現社殿が再建された。
拝殿の天井に、神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬が奉納され
故・海老根駿堂氏が昭和35年から約5年がかりで製作、奉納したもの。
寛永19年(1642)、徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草の地に三十三間堂を建立したのが始まりと言われます。浅草七福神のひとつ、福禄寿が祀られています。有り難く、 ”矢先稲荷神社”と、浅草名所七福神”福禄寿”の御朱印を頂きました。
浅草名所七福神の神社です
説明は皆さんにお任せです (・・;)
御朱印のみです (・・;)
矢先稲荷神社
福禄寿
2種類頂いて来ました (^^)
後7月1日から一週間夏詣の
御朱印が頂けるそうです (^^)
三代将軍家光公が寛永19年(1642)に浅草に建立した三十三間堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的、神武天皇の御世からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できます。鎌倉時代から江戸時代までの武将の絵は、歴史好きなら兜の飾りから誰なのか推測する事が出来、生きた歴史教材として大変な貴重なもので、撮影も自由に出来るのが素晴らしい。