駒込富士神社
住所 | 東京都文京区本駒込5丁目7−20 富士神社 |
電話 | +81 3-3823-7894 |
サイト | www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/jisha/fuji.html |
カテゴリー | 神社, 観光名所 |
評価 | 4.2 13 件の口コミ |
Komagome Fuji-jinja Shrine | |
最寄りの枝 水神社 — 東京都文京区目白台1丁目1 |
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駒込富士神社 件の口コミ
13午前中に通りましたら数年振りの夏祭りを開催準備をしていましたので午後孫と娘通り3人で参加しました。出店屋台が多く又歩くのも大変な込み合いで汗だくでしたが金魚すくいや、様々なゲームが所狭しと並び、又わたあめ、チョコバナナ等懐かしい物も多く子供達は、とても楽しんでいました。孫も並んでゲームを楽しみ大満足でした
日曜日の昼過ぎに参拝。誰もおらずひっそりとしてた。樹齢100年以上?の木々が雰囲気あって良い。つい2週間前は3年ぶりに富士山の山開きに合わせた大祭があり、夜はたくさんの人で賑わってた。子供達も昔の友人達と遊んで満喫した模様。
さて久しぶりに訪れたら手水舎が何と自動に。柄杓がないからどうしようと思ってたところ、近寄ったら水が出てきてびっくり。これもコロナの影響か…
塚を登る階段はとても急なので高所が苦手な人はやめておいた方が無難。階段の手前に賽銭箱もあります。
古墳目当てで訪れましたが、富士塚と成った所に浅間神社を遷座した古墳そのものが御神体の様な境内です。
富士講ブーム以降の色々奉納された石碑により俗っぽい印象を受けますが、雰囲気は落ち着いているので良し。
3/11/8 仕事で近くに来たので参拝しました!
古い地域によくある浅間神社を祀る富士山を模した富士塚で山頂に社があります。
江戸時代爆発的に流行った富士山詣での行けない人用の地域版です。
地域のものとしては比較的大きい規模のなのでこの地域の信仰は篤かったのでしょう。
こちらを出て、左の方に4分移動したところに鎮座する駒込天祖神社で御朱印をいただけるようでしたが時間がなく今回は断念しました。
(地図が階段上の拝殿のところに貼ってあります)
急な階段を昇ったところに拝殿がありますが、お賽銭箱は階段の手前に設置されているものだけです。(階段を昇ってもお賽銭箱はありません)
幼少期から慣れ親しんだ神社ですが久しぶりに参拝に来ました。江戸時代に流行った富士山信仰の重要な拠点のひとつです。実際に山になっていて山頂に社殿が在ります。そう高くない山ですが急勾配なので多少危険性が有ります。なので登らないでも参拝出来るように麓にも賽銭箱が設置されています。或は正面の階段ではなく横から緩やかな階段で登る事も出来ます。其方を通ると本物の富士山と同様に中腹に小御嶽社が祀ってあり、その隣には仇討ちで知られる曽我兄弟の霊を祀った曽我御霊社が在ります。曽我兄弟を演じる歌舞伎役者達が建てたものだそうです。
駒込富士神社の御神木は文京区保護樹木に指定されています。お社のある駒込富士はもともとは古墳だと伝えられています。そのふもとには富士山を支えるように生えているケヤキがあります。どうしてこうなったのかはしりません。
駒込駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。
富士塚があるので訪れてみました。富士山のミニチュア版の富士塚は小さな小山で富士山の溶岩を積み上げたイメージなのですが、ここの富士塚は前方後円墳だったと思われるところ富士山に模したのことで、真ん中に割と急な階段があり、頂上に拝殿があります。
階段の横の斜面に石碑や富士山から運び出された溶岩があります。
すぐ近くには駒込天祖神社、駒込吉祥寺あります。六義園と合わせて散歩にオススメです。
一富士二鷹三茄子というのは江戸時代の古川柳「駒込は一富士二鷹三茄子」から出た言葉で、この三つは駒込の名物だったそうです。一富士とはこの富士神社のことで、江戸から近いお富士さんということでかなりの参拝客が訪れたそうです。祭神のコノハナノサクヤヒメは古事記の中で天孫ニギギと結ばれて火を放った産屋でヤマサチヒコやウミサチヒコを産んだことから水属性の神と信じられ、噴火の多かった富士山を鎮めるために浅間神社に祭られるようになったそうですが、本来、日本の神は寿命がなくて、年はとるけど事故や病気以外で亡くなることはないんですけど、コノハナノサクヤヒメは神々の中で唯一寿命を持っていたため、ニギギの子、つまり、天皇に寿命がある理由として登場するんですよね。しかし、江戸時代の庶民信仰はそのほとんどが「無病息災」「延命長寿」で、富士信仰も長生きが目的だったそうですから、何か矛盾してますよね。
江戸に数ある富士講の中でも最も古い組織の一つ。資料によっては、江戸六富士の随一ともいう。元は本郷にあったが、その一帯が加賀前田家に賜与されるにあたり、移転してきた。
縁起の良い初夢の『一富士二鷹三茄子』の富士とはここのこと。近くの駒込病院辺りに鷹匠屋敷があり、ナスは駒込の名産であった。(家康由来など、異説も多数ある)
仰ぎ見て、まず石段に風格がある。
勾配の大きさ、一段(蹴上げ)の高さ、真っ直ぐに立ち上がった形。高低差こそ少ないものの、芝の愛宕神社男坂を思わせる、実に堂々とした階段だ。
両側には富士講が奉納したのであろう石碑が建ち、一般的な赤のほかに白や黄色に彩色されている。その鮮やかさが、美しい階段をより引き立てている。
江戸時代から、庶民に親しまれ、その当時は、富士山にいけない江戸っ子達の信仰を、集めました。毎年6月30日には、山開きの大祭が、行われます。私が中学生の頃には、社殿に上がれば、富士山が良く見えました。今はビルに遮られ、見えません。
富士塚巡りも趣味のひとつの私ですが、こちらの塚は神社の拝殿(本殿?)が塚になっているので、参拝しようと思って上まで階段を上がるともうそこが山頂です。
富士塚って本殿と別になっている所が多く、溶岩でできた塚をぐるぐると登りながら、要所要所のお社を参拝し頂上の浅間神社行くイメージですが、その楽しみは味わえません(笑)