野毛大塚古墳
住所 | 東京都世田谷区野毛1丁目25 |
電話 | +81 3-5432-2726 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | bunkazai.metro.tokyo.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.3 12 件の口コミ |
Noge Ōtsuka Tumulus | |
最寄りの枝 田安門 — 東京都千代田区北の丸公園2−5 |
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野毛大塚古墳 件の口コミ
12 2022年2月
玉川野毛町公園内にある古墳です。
丘のようになっていて登ることができます。
上には発掘された時の人骨、副葬品がどのように置かれていたのか判るように表示されています。
高台になっているので公園を一望でき気持ちが良いです。
野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)
野毛大塚古墳は5世紀初めに造られた全国でも最大級の帆立貝式(ほたてがいしき)前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。
墳丘(ふんきゅう)の全長は約82mで、後円部(こうえんぶ)は直径が約68m、高さ約10m、前方部(ぜんぽうぶ)は前端の幅約28m、高さ約2mで、後円部に比べて極端に小さく、低いことが特徴です。
また、前方部のすぐ脇には長さ、幅とも約10m、高さ約1mの造出部(つくりだしぶ)と呼ばれる小さな方形部分が付設されています。
さらに、古墳の周囲は最大幅約13m、深さ約2mの空堀(からぼり)で馬蹄形に囲まれています。
墳丘は平坦な地面に盛土をして築かれていて、 前方部は1段、後円部は3段になっています。また、その表面はすべて多摩川の河原石を使った葺石(ふきいし)で覆われています。
幅約3mのテラス(平坦な部分)と後円部および前方部の頂上には、円筒埴輪(はにわ)と朝顔形円筒埴輪による埴輪列が、造出部には柵(さく)形埴輪がそれぞれ1重に巡っています。
この他には家、盾(たて)、鶏(にわとり)などの器物や動物などをかたどった形象(けいしょう)埴輪が置かれています。
また、濠の中からは、本来は墳丘の上に立てられていた埴輪や、祭りに使われた高坏(たかつき)などの土器(土師器(はじき))が出土しました。
世田谷区教育委員会
5世紀初頭に築かれた大型の帆立貝形古墳です。
これは、前方後円墳なのですが、前方部が矮小化している為に、そのように呼ばれています。墳丘の全長82m、後円部直径68m、高さ11m、前方部長19m、最大幅28m、クビレ部幅20m、高さ2m。周囲には馬蹄形の周濠がめぐり、周濠を含めて全長104mの日本でも三番目の規模です。
ここからの出土品は東京国立博物館と世田谷区が所蔵し、何れも国の重要文化財。
この古墳自体も都の史跡に指定されています。
Great park. Had a sandwich at the top of the tumulus with 360 view. Got to watch the end of a high school baseball game from up here.
休日は子供連れが多い。芝生でピクニックをしようとレジャーシートを持っていったけど、芝生はなかった。少し草が生えているところでピクニックをしている人もいた。古墳の上には階段で登れて、下界を見渡せる。
国分寺崖線には古代から人がたくさん住んでいたらしく数多くの古墳が残るが、ここは世田谷区が特に整備したもの。
古代そうであったように木が刈られ禿山のような形状でインパクトがある。
登山道が整備され、頂上の広場には埋蔵物の解説も。面白い。一緒に行った子供も古墳を直に感じて影響を受けたようだ。
等々力渓谷を散歩がてら、途中で寄りました。
5世紀ごろの首長の墓とのことですが、現代においては子供たちが遊ぶ公園の一部となっています。
埋葬された方にとっても1500年以上が経過して自分の墓が公園になっているとは、さぞ驚くだろうなと、考えるのも面白いですね。
古墳の頂上まで歩いて登ることができますが、舗装はされていませんし、道が狭いので車椅子では難しいかもしれません。
Cute park. Full of kids and near tennis courts. It would make a nice afternoon for a family visit.
野毛大塚古墳は、国分寺崖線上の高台、上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群のなかで最大規模の古墳です。平成元~4年に行われた発掘調査によって、古墳の形は帆立貝形古墳(全長82メートル、後円部直径67メートル、高さ11メートル)で、 同種の古墳としては最大級の規模を誇っています。周囲には馬蹄形の濠がめぐり、これを含めた全長は104メートルになることがわかっています。できた当時は、古墳の表面は葺石で覆われていたと思われます。
後円部の頂上には遺体を埋葬する施設である主体部が50年ほどの間に4か所設けられています。中央の第1主体部からは関東地方最古の鉄製甲や石製品など、多種多量の副葬品が出土して国重要文化財に市指定されています。これらの副葬品から、5世紀初めころに造られた古墳と考えられ、畿内王権と深く結びついた南武蔵地域の大首長墓と考えられてます。
巨大な帆立貝形古墳です。発掘調査後に築造時の様子を再現してます。数年前に訪れたときには埴輪が古墳の周りに飾られてましたが、今は破損がひどくなったとかで撤去されてます。
三段の古墳で一番下は葺石をコンクリートで固めます。そのそこ急な階段を上がり2段目に行くと半周できるようになってます。頂部はコンクリートで固められ、発掘時の棺や副葬品の状態がわかるようになってます。
公園の一角にありますので、公園の駐車場が使えます。ただし、あまり大きくないので、週末とかすぐに満車になると思われます。
Large tomb mound with well maintained stairs for climbing, explanatory sign in Japanese and English, and illustrations of artifacts found therein. Located in large, neighborhood park.