臨済宗 建長寺派 正福寺
住所 | 東京都東村山市野口町4丁目6−1 |
電話 | +81 42-391-0460 |
サイト | shofuku-ji.org |
カテゴリー | 仏教寺院 |
評価 | 4.4 11 件の口コミ |
Shōfukuji Temple | |
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臨済宗 建長寺派 正福寺 件の口コミ
11 「境内も本殿も凄く綺麗。再訪が楽しみなお寺」
元々の造りが綺麗なので、花とのコラボが素晴らしい。今は紫陽花の時期でしたが、境内には他に蓮、紅葉などもあります。大日如来や不動明王などの石像も見事。ついでに寄った場所にこんなに惹かれるとは思わなかったです。
ほとんど人がいなかったのも意外でした。国宝があるとは思えない。そこがまた魅力的。思う存分味わえました。
紫陽花を楽しみに来るなら、近くの北山公園で花菖蒲を楽しむのとセットにすると、違った空気を一気に味わえてお得だと思います。
東村山駅から徒歩20分位の場所にあります。
室町時代1400年代に建てられたというお寺です。
境内は広く、本堂はしっかりと大きな構えしてます。
周辺環境は静かな住宅街です。
最寄り駅西武(新宿、国分寺、西武園)の東村山駅より徒歩15分位
拝観料無料
正福寺(しょうふくじ)は、臨済宗建長寺派の禅宗寺院。山号は金剛山。本尊は千手千眼観音
創建年代については不詳であるが、鎌倉時代中期に鎌倉の建長寺僧石渓心月の開山により創建されたと伝えられ、開基については執権北条時頼とする説と北条時宗とする説がある。
室町時代の応永14年(1407年)建立とされる地蔵堂は、国宝の指定を受けている。との事です
国宝の地蔵堂は堂々たる作りで素晴らしく、山門も歴史を感じります。
貞和の板碑都内最大級の板碑が安置されておりガラスが反射して見づらいですが拝観出来る様になっています。
この板碑は近くの川にあった物を外した所疫病があった為ここ正福寺に安置されたとの事です。
意外と知られていない東京都内の国宝建築物;正福寺地蔵堂は
室町時代中期;1407年建立で迎賓館赤坂離宮と並ぶ貴重な建築物です。
その他国宝建築物は法隆寺夢殿、銀閣寺等ありますがこの地蔵堂は
最も目立たない部類の建築物です。拝観料もただです。
正福寺の創建年代は不詳ですが、心月禅師(文永年中1264-1274示寂)を請じて、北条時頼(或いは北条時宗)が開基となり創建したと伝えられます。仏殿(地蔵堂)は、北条時宗が罹病した際に夢中で地蔵菩薩より貰った丸薬により快癒したことから、時宗の寄進により建立したといわれ、国宝に指定されているほか、仏殿(地蔵堂)本尊、千体地蔵尊など数多くの文化財を所蔵しています。
駐車場も広く色々見て回れると思います。
この寺院は、臨済宗建長寺派の末寺に位置され、山号は「金剛山」です。開基は、不詳ですが、鎌倉時代の北条時頼、時宗親子の頃と推察されています。本堂の建立は、弘安元 (1278) 年のようです。山口・村山の地域は、鎌倉期の武将山口氏の領地であったためか臨済宗の寺院が多く見られます。当寺院も鎌倉期に建立されたようですので、山口氏の影響がいくらかあったのかも知れません。寺領は、なかなかの広さだと思います。
東京都は指定を受けている国宝の件数は全国でダントツの一位(281件)なのですが(意外にも古都、京都や奈良ではない)ほとんどは東京国立博物館などの博物館やコレクターが外部から持ち込んだもので、東京地元由来の国宝というのは非常に少ないのです。
その数少ない、そして都唯一の木造国宝建造物がこの正福寺千体地蔵堂なのであり、
中には本尊の地蔵菩薩が安置され、千体地蔵の名の通り沢山の小地蔵像が本尊を取り囲んでいるそうです。「そうです」というのは、通常なら年に3回一般公開されているのですが、今年はコロナ対策で中止されており私自身は見ていないからです。残念!
今は外観しか拝見出来ませんが、でも「国宝」は伊達じゃありません。小さいながらも虚飾を廃したその姿はシンプルな佇まいながらも、同時に屋根は優美な曲線を描きエレガントでもあり、見ていて飽きることがありません。
より専門的には、これは鎌倉時代に中国から入ってきた建築様式で、「禅宗様」と呼ばれています。分かりやすい特徴は、緊張感を漂わせるピィンと跳ね上がった屋根先の反りです。
リズミカルに美しいカーブが連続する桟唐戸、さらに屋根の重量を拡散する構造材である組物も建物の美しさを引き立てています。組物は本来、構造的には柱の上にだけ設置されていれば用は済むのですが、禅宗様の場合は軒裏の装飾を目的に柱と柱の間にまで密に組物が配置されているので「詰組物」と呼ばれています。特徴の一つなのでご注目ください。
室町時代の応永14年(1407年)の創建以来、人々の喜び悲しみ栄枯盛衰をずっと見つめてきた地蔵堂は、我々の知らない未来の人々も、これからずっと見守り続けるのでしょうね。永遠の命が与えられている訳で、なんとも羨ましい(笑)。
東京都唯一の国宝建築 地蔵堂。11/3は地蔵祭りで開扉されます。禅宗様仏殿の代表作の一つ。尾垂木の墨書から室町時代の応永14年(1407年)の建立と知られる。同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が近似している。内部には本尊地蔵菩薩像のほか、多数の地蔵菩薩の小像が安置されている。
入母屋造、杮葺、一重裳階(もこし)付き。正面、側面ともに3間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階が付いた形式で、平面はほぼ正方形である。入母屋造の屋根の端部が反り上がった外観は禅宗様特有のものである。内部は土間で、間仕切りのない一体の空間とし、天井は裳階部分は垂木をそのまま見せ、内陣中央は鏡天井とする。礎盤上に柱を立て、柱間にも組物を置いて詰組とする点、花頭窓・桟唐戸・貫を多用する点など、構造・意匠ともに禅宗様の特色が顕著に見られる。
茅葺であったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の柿葺に戻された。国立歴史民俗博物館には断面模型がある。
鎌倉街道沿いにあり、外部は常時見学可能、年一回の地蔵祭11月3日には内部も公開される。 (wikipedia正福寺より一部引用)
金剛山正福寺はかなり奥に方にあり、正面の八坂神社からではなく、
正福寺通りから住宅の間の細い道を来れば近かった!
そこから来ると正面に鐘楼があった。
この寺は真言宗ではなく、臨済宗の禅宗だそうです。
鎌倉時代の寺です。
中も覗いて見ることが出来ました。
千体地蔵堂は有形文化財になっているそうです。
さすが国宝である。
威厳が全く違う。
応永14年(1407)年建立というから、足利義満が亡くなる前年である。
ほぼ金閣寺と同じ年代である。600年以上前の建物を目の前にするなんてなかなかない。しかも木造である。
周りは激変してしまっているが、この建物だけはひたすら見続けつつ建ち続けてきた。これだけで素晴らしい。
徳川家宣薨去後の献上灯篭も3基あった。以前は6基
あったようだが、何処へ行ってしまったのだろうか?
とにかく!ぜひ一度見てみてほしい。
なお、御朱印については、狭山霊場巡りの専用御朱印帳でないと不可である。
東村山駅から歩いて15分ほどのところにある寺院。
地蔵堂は室町時代の1400年代初頭に造られた禅宗様建築で、東京都下の木造建築では唯一の国宝建築である。
同じ造りをもつ建物として、鎌倉の円覚寺舎利殿が有名 (こちらも国宝) 。
なお、この地蔵堂は11月3日の地蔵祭りの日公開され、多くの観光客で賑わいを見せる (夏にも公開日があるらしいが、令和元年は公開されなかった) 。
堂内にはご本尊のみならず、千体はあると言われる小地蔵が奉納されており、薄暗い建物の中に林立する様は圧巻である。
建物の柱や梁の数々にも、刻んできた歴史を重みを感じ取ることができる。
もし参拝するのであれば、内部公開している11月3日の地蔵祭りの日を激しくオススメするw