赤塚不動の滝
住所 | 東京都板橋区赤塚8丁目11 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | kankyo.metro.tokyo.lg.jp |
カテゴリー | 環境および再生可能天然資源, 観光名所 |
評価 | 3.7 7 件の口コミ |
最寄りの枝 清正井(東京の名湧水57選) — 東京都渋谷区代々木神園町1−1 境の清泉(東京の名湧水57選) — 東京都西多摩郡奥多摩町境341 |
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赤塚不動の滝 件の口コミ
7 赤塚中央通りを東京大仏を通り越し少し行ったところに赤塚不動の滝がありました。かなり歴史を感じるパワースポットだそうです。古い階段を登ると上には小さな公園がありました。
滝といっても水道の蛇口から出る程の水量ですが、しっかり枯れることなく流れていました。江戸時代には大山や富士山詣での際、この滝に打たれ身を清めるみそぎとして使われたそうです。東京の名湧水57選に選ばれているそうです。東武東上線成増駅徒歩20分位です。
数年前この近くにある 東京大仏様を探していたところお目にかかりました 住宅街の中にあつて良い所ですね歴史上もう220年以上鎮座されている不動明王さま 仕事で近くに通るときにお会いにゆきます(参拝)どなたか?管理されている方がおらましたらお願いがあります 誰にでもお参りしやすくしてもらえたら嬉しいですね私 次回はなにかしら準備をしてお参りしたいと思います。
東京大仏を参拝後に少し進むと、バス停の脇、道沿いにありました。滝と呼ぶには少ない水量の水が、土壁からチロチロと湧き出ている感じです。土壁は崩れないように土嚢で補強されているようでした。なくなってしまわないよう、地元の人に大切に守られているのを感じます。この周辺は自然も多く、心が清められるようでした。
不動の滝
不動の滝は、江戸時代に流行した富士詣・大
山詣をはじめ、構と呼ばれる宗教的な集会に参加した人々によって、霊山登拝へ出発するに際に心身を浄める水垢離の場として利用されてきました。 滝の落ち口には寛政十一年 (一七九九) に造立された石造不動尊像が祀られており、十八世紀末には水垢離場として利用されていたことがうかがえます。その後、幕末に赤塚地域で長野県の木曽御嶽山への霊山信仰が広がると、赤塚一山元講が盛んに利用するようになりました。明治三十五年 (一九〇二) には滝の周りの玉垣が整えられ、昭和八年 (一九三三) にはつぼの整備が行われるなど長年にわたって地元 の人々に大切にされてきました。
かつて板橋区内の崖線では、いたるところに 湧水があり、生活用水や信仰の場として利用されてきました。 しかしながら、その多くは土地開発や宅地化によって消滅してしまいました。
そのような中で不動の滝は、地域の講の人々
によって継承されており、地域の信仰の場として利用されていた当時の姿をとどめています。
令和三年十二月
板橋区教育委員会
松月院脇の大仏通りを下ってくると赤塚不動が見えてくる。(写真)
予想していた滝とは違い水道の蛇口からの水のようだ。(写真)
かっては豊富な水量を誇っていたそうだ。
滝の上には江戸時代以前に栄えた赤塚城主の千葉氏が寄進したとされる不動尊がある(矢印)(写真)
今にも崩れ落ちそうな不動尊。いたずらされずに残っている。(写真)
昔は信仰のために富士山や大山阿夫利神社に詣でる時にここで禊をしたそうだ。
いまでは近辺の住宅化のせいか寂しい水量になってしまった。
脇に登り石段があったので登ってみる。
広場があるだけだ。
傍まで住宅が近づいている。(写真)
三年前までは、湧水はポタポタ滴る程度でしたが、木々も鬱蒼と茂り、とても雰囲気がある場所だった。禊を行う神聖な場所にふさわしい風格があった。ここ2年で都の方針で赤塚公園内の藪を亡くし、災害時に倒木や枝が民家や人に落ちないよう高い木は低くほぼ丸坊主にしたため、今では車道からでも様子がわかるようになった。ここでは地層が露出していて粘土層の上から水が湧き滴り落ちる様子が観察できる。近年巨大台風来襲で大雨が増えるようになり、これでも3年前よりは湧水量は増えている。崖や周囲が宅地化されて地下の水脈が変わり、昔よりも確かに水量が減ったのかもしれない。ただ、上の方にお住まいの方が雨水貯留槽を設置して雨水をそのまま地面に浸透させるようにすれば、もしかしたらこちらの湧水量も増えるのではないかと思う。雨水浸透ます設置費用の半額を板橋区が負担する補助制度もあるので、近所の方はぜひぜひ検討してほしいと湧水好きは心から願っております。