東京都復興記念館
住所 | 東京都墨田区横網2丁目3−25 | ||||||||||||
電話 | +81 3-3622-1208 | ||||||||||||
時間 |
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サイト | www.tokyoireikyoukai.or.jp/museum/history.html | ||||||||||||
カテゴリー | 地域歴史博物館, 観光名所 | ||||||||||||
評価 | 4.5 19 件の口コミ | ||||||||||||
Great Kanto Earthquake Memorial Museum | |||||||||||||
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東京都復興記念館 件の口コミ
19 平日の11時過ぎに伺いましたが最初から最後まで私1人だけで、とてもゆっくり拝観することができました。
無料で利用出来ますが、なかなか豊富な展示物です。
1階が関東大震災についての展示、2階が東京大空襲についての展示でした。
それぞれ写真や資料、パネルなど沢山展示されておりじっくりと見ると1時間以上はかかるかと思います。
受付の方がとてと親切で何かと声をかけてくれて、とても好感が持てました。
何も知らずに入ってみたらお堂?みたいなお線香あげれるところがあってお線香あげた後、関東大震災の様子を描いた絵を見てたら涙が止まりませんでした。
そのあと資料館の方も見て周りました。当時の火事の中で見つかった生活用品や時計、救護箱など様々なものが展示してあります。ひとつひとつが当時の悲惨な状況を物語っていてこの時代を生きた人たちは毎日どんな気持ちで過ごしていたんだろう、と考えたら今でも思い出して泣きそうです。アラサー女1人ひとりすすり泣きながら思いました。
この記念館、資料ずっと残していてほしいです。
入館料は無料です!
軽い気持ちで入館しましたが、太平洋戦争と関東大震災の時の展示物でした!
当時の様子も詳細にあり悲惨さも伝わってきました!
平日の昼間と言うこともあり人もいなく、結構長く見続けることが出来ました!
関東大震災、東京大空襲関連の遺品、写真などが展示されているが、両災禍の規模の大きさ、被害の甚大さは共通しており、その悲惨さに息を呑む。そして火災での被害拡大が共通していたものと感じる。
壊滅、復興を繰り返して今の東京があるが、平和は続くものではなく、続かせるものであることの重要性を、感じさせられる場所。
関東大震災で焼け野原になった東京。
その20年後 急速に復興するも米軍の空襲で再度 焼け野原。
その20年後には 新幹線 東名高速 東京タワー。
発展し続ける東京のパワー。
東京大空襲の資料もありますが、日本中でも数少ない関東大震災の被害を知ることができる資料館です。
地震における火災の恐ろしさは現代でも変わること無く、教科書では伝わらない、足りない歴史が分かります。
資料館は緊急事態宣言下でも開いていますので、静かに見学されてください。
おすすめです。
戦争についての展示が見たくて伺いましたが、想像以上に震災についての展示が悲惨なものでした。竹久夢二などの絵描きさんたちの体験を元に描かれた絵も、胸が痛くなるものでした。何よりも心を痛めたのは、戦争の爆撃を受け、黒焦げになってしまった小さな子供とその母親の焼死体の写真です。胸が痛み、涙が出ました。戦争で被害に遭われた沢山の国民の想いは、辛く悲しいものです。忘れてはならないものだと、改めて感じました。無料ですし、平日は人がほぼいないので、一度は行くべき場所です。受付の方も優しい方で、館内は綺麗に清掃されています
関東大震災の展示施設として戦前竣工した建物で趣があります。
1階は関東大震災。2階は東京大空襲に関する展示が常設してあります。
関東大震災の展示は展示数こそ少ないものの、私が知っている内容の根拠を見ることができたり、往時の様子を想像させる資料があったりと、大変勉強になりました。
ただ資料を展示するだけで説得力のある博物館というものは、恐らく歴史の授業である程度の下知識が無いと成立しないので、「義務教育よ有難う」と、なんとはなしに心に思いました。
*May-20: Memorial, Museum, Earthquake, Park, World War II.
>Strength: Place of Remembrance.
>Weakness: We may listen and learn about Japan - U. S. War in one side view.
>Opportunity: We can learn the importance of long lasting peace.
>Threat: Nothing special.
近年、いろいろな自然災害に関するメモリアル施設がつくられている。それらに比べると、この施設は古めかしい。
けれども、空襲や関東大震災がいかに悲惨なものだったのか、ここに来ればそれが判る。そして、東京、日本が奇跡のような復興を遂げたことも判る。
Educational place, memorials for the death and collapse of the city due to wars and earthquakes.
江戸・東京は、何度も何度も灰になり、それでも立ち上がってきた都市です。
よく知られているとおり、江戸は火事が「名物」でさえありました。小さな火事は日常茶飯事、「大火」とされるものには、5年に一度ほどの頻度で見舞われ続けました。中には市街の大半を焼いてしまうものもありました。
明治維新後も、東京は無事ではありませんでした。なんと言っても大正12(1923)年の「関東大震災」と、昭和20(1945)年の「東京大空襲」(原子爆弾投下に並ぶ、アメリカによる戦争犯罪)は、それぞれ十万人を超える死者を出し、東京は文字通り焼け野原になりました。
「復興など無理」と絶望してもおかしくない、現代人には想像を絶する惨状から、東京は同じ場所に2度、生き返りました。「東京都復興記念館」は、その記録と記憶を残すための施設です。
両国駅から歩くと、ちょっと距離があり、休日でも入館者は決して多くない施設です。無料なのにね。
日本人は、今後も破局的な自然災害と共存するしかないし、また永久に平和が続く保証もない東アジアに暮らしています。「次」がいつどんな形でやってくるかわかりませんが、恐怖と不安も懐きつつ、先人は復興をやってみせてくれたのだから、われわれもなんとかできるだろうと、勇気も湧いてきます。お勧めします。
正直に言って、これまでの甚大災害のトラウマに苦しんでいるひとは行かないほうがいい。戦争や関東大震災の爪痕や、当時の様子を克明に描いた絵画や写真、犠牲になられた方々の遺物は、見ていて余りにも辛すぎる。ただ、そういった経験を実感していない人は、絶対に見に行くべき。大事に貯めておいた硬貨も、自転車も、あらゆるものがぐちゃぐちゃに溶けて、完全に形を失っている様を見ると、いかに悲惨な過去が起こっていたかがはっきりとわかる。是非、今こういうことが再び日本に起こったら、自分や自分の大事な人達、物たちがどういう目に遭うかを実感してほしい。確か入場料は無料です。
「関東大震災と東京大空襲について詳しく解説。残酷な写真はごく一部。」
昭和という時代のたった2つの出来事ですが、その影響はあまりにも凄まじく、まさに激動の時代と表現されるのも納得させられます。震災と空襲で当時の人たちがどれだけ大変な苦労を味わったのか、豊富な写真とともに説明してあります。
建物は2階建てで1階は震災、2階は空襲になっています。やはり私的な思い入れがありますので、空襲のほうが印象的でした。やっと震災からの復興が一段落ついたら今度は戦争。私だったら耐えられたかなと感じました。
しかも震災のときに、中国とアメリカが多額の義援金を寄付してくれたにも関わらず、その後両国と戦争する羽目になってしまったのは、何とも虚しさを感じました。善意から義援金を送った相手なのに、原子爆弾や空襲で、夥しい数の民間人を殺戮したとはやるせなくなります。やはり正当化出来ません。
入館無料なのが信じられないくらいの情報量です。リニューアル後はさらに展示内容が充実したと感じました。天災と戦災、そしてそこからの復興。たいへん勉強になりましたし、とても胸に響くものでした。
1922年9月に発生した関東大震災では、周辺の人々がこの地にあった旧陸軍被服廠に避難しましたが、火災により4万人近くが死亡する大惨事になりました。本記念館は、震災の惨事を伝え、復興事業を記念するために1931年に開設されました。震災からの復興計画を広報する展覧会のために作成された模型が多数保存展示されています。その大きさと精密さは今でも驚きを感じるくらいで、帝都復興という大事業への意気込みが感じられます。しかしながら震災からわずか20年余り後には、今度は第二次大戦の空襲で首都は又々壊滅的な被害を受け、復興もゼロからやり直しになりました。本記念館には第二次大戦時の空襲や、戦後復興に関する資料も展示されています。即ち本記念館は、天災と人災と、二つの大きな災害に関する資料館です。
建物は空襲戦災を免れて完成時のままで、歴史を感じるだけでなく、気の引き締まる重々しい雰囲気です。
「関東大震災写真の謎 (改ざんやねつ造はなぜ行われたのか) 」という企画展に魅かれて久し振りに見学しました。被災地の惨状を伝えるとされる有名な写真にも改ざんやねつ造されたものがあり、今もまことしやかに流布されているとは意外であり、腹立たしくもあります。
ねつ造の動機や意図は昨今のフェイクニュースにも共通するように思いますが、単なる愉快犯ではなく、報道機関が主体で関与しているだけに職業倫理の破綻は深刻です。昔の写真は白黒で粒子が粗く、細工は容易に見えます。個人の感想ですが、当時の写真がどれも怪しく感じられるようになってしまいました。
直下地震でなくても液状化したり、台風や大雨で大きな被害が発生することは今でも珍しくなく、むしろ激化している印象です。被害の発生後に調べると、実はとっくの昔から危険を指摘されていたりします。戦争はともかく、天災に対しても現状の対策は安心できる水準からはまだまだ遠いのではないでしょうか。
記念館のパンフレットに「緩む心のねぢをまけ (大震災記念日標語) 」とありますが、展示資料を時折見て苦難を忘れず慢心を戒め、現状の対策を見直して改善努力を続けることが、多くの犠牲を無駄にしないで記念することと感じました。
入館料無料
昭和6年に建てられた記念館で
関東大震災、東京大空襲について
写真も多数あり、本当に多くの展示
どちらもとても悲惨な過去であり
そしてこのあたりも大きな被害がでた
とても考えさせられた
復興記念館も伊東忠太氏が設計に携わった建築です。復興記念館はかなり破損している彫刻もあります。
横網町公園の東京都復興記念館が改修工事のため2018年7月1日から31日まで休館だそう。その後も工事は続き、全館開館は来年の3月ごろだそうです。(工事中の休館期間はご確認ください)
東京都慰霊堂でお参りを済ませて、耐震化工事の終了した東京都復興記念館へ。
心配していた伊東忠太の妖怪は変に修復されることもなく…放っておくとそのまま朽ちてしまいそうだったので、ひと安心。
東京都復興記念館は、関東大震災の惨禍と焼失した東京の復興を記念するために、震災記念堂(現東京都慰霊堂)の付帯施設として1931年に建てられました。
当初、震災記念品などは震災記念堂に展示予定だったのですが、その数が膨大となり復興記念館を建設して展示することになったそう。
大震災の被害、救援、復興を映し出す遺品や絵画、写真、図表、被災物などが展示されました。
その後、第二次世界大戦の空襲によって東京都下で亡くなられた方々の遺骨が震災記念堂に合祀されたため、記念館にも東京大空襲の被害や状況、復興へ向かう写真、図表の展示などが加えられたのだそうです。
個人的には…バリアフリーにも配慮されてすっきりと観やすくなりましたが、歴史の重さを感じる雰囲気が少し薄らいでしまった感じ。これは年月が作り出していたものなので、仕方のないことですけれど。