秋葉神社
住所 | 東京都墨田区向島4丁目9−13 |
電話 | +81 3-3622-5502 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 3.2 6 件の口コミ |
Mukōjima Akiba Shrine | |
最寄りの枝 秋葉神社 — 東京都台東区松が谷3丁目10−7 秋葉神社(表参道) / 秋葉神社(港区北青山) — 東京都港区北青山3丁目5−26 |
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秋葉神社 件の口コミ
6火の神様、秋葉神社向島鎮座です。駅からは少し歩くので、南千住からバスが便利かもしれません。年末の忙しい最中に、快く御朱印を記帳いただきました。下町の中に鎮座し、緑と歴史を感じる憩いの場です。水戸街道からもまっすぐ入れますし、フラットです。石畳がガタガタしますが、砂利より移動しやすいです。社務所は呼び鈴を押していただく必要がありますが、一段大きな段差があるため、車椅子は直接押すには棒が必要です。電話しても良いですね。
押上駅北側散策ので見つけた、秋葉神社。とても分かりづらい所にあります。大通り?からの案内などもないので通り過ぎるかな。
穴馬券的な感じと、石灯籠が魅力。灯籠に秋葉、稲荷併設と記されてます。
末社が、ほったらかされてるのがマイナス点ですか。
場所は、押上駅、スカイツリー駅ともに歩いて10分位です。
三井神社の後、高木神社に向かっ
てる途中、秋葉神社を見つけました。
これもご縁かと思い参詣させて頂きました。
御朱印は呼び鈴を鳴らしたけど誰も出てこず
御朱印にはご縁がありませんでした。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の3にさせていただいています。
小さい神社さんですが、良い空気感の神社!って感じの空気が流れていました。
私はいくつか行きたい神社さんを決めて、その移動中にあった神社仏閣はご縁と思ってお参りさせていただくのですが、御朱印をいただいてびっくり!
葉団扇 (?) の印…ネットか何かで紹介されてたやつ!…とニコニコしてしまいました。
そして小さい中に歌川広重の絵に書かれた燈籠が!
やっぱり東京は凄い!
30年も住んでて何にも見て無かったなぁ…とつくづく。まあ、若いってそう言う事なんだろうなぁ。もったいない。
秋葉神社御由緒
祭神
宇迦御魂命 うかのみたまのみこと (千代世稲荷大神)
火產霊命 ほむすひのみこと (千栄秋葉大権現)
昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世稲荷大的明神がまつられていた。草創は正応二年(一二八九)と伝える。江戸時代の始め善財という霊僧この森に庵を結び
精修数年の後、秋葉大神の神影を彫み これを社殿に納めて消え去った。元禄の始め修験者 葉栄が神應を得てこの
社に詣り祈願の利益をうけ、当時 請地村の長百姓 岩田與右衛門を通じ寺社奉行に願出て上州沼田城主本多正永の報賽にて、元禄十五年(一七0二)秋葉稲荷両社と稱して社殿を造営し又 千葉山 満願寺を興して別当となった。爾来鎮火の霊験、産業 縁結びの神徳により諸大名はじめ士庶人の信仰を受け、享保二年(一七一七)に神祇管領より正一位の宗源宣旨を受けるに至った。明治元年神彿分離令の施行により、秋葉神社と稱し別当満願寺を廃した。大正十二年の震災に社殿倒壊し、昭和五年復興したが、昭和二十年戦災にかかり 昭和四十一年氏子崇敬者の奉賽により現社殿を再建した。 社務所
墨田区登録文化財 石燈籠 所在 墨田区向島四丁目九番十三号 秋葉神社内
本殿に向かって一番近くにある石燈籠一対は、松平甲斐守吉里の室、源頼子が寛保元年(一七四一)奉献したものです。吉里は将軍綱吉の寵臣 柳沢吉保の子です。
この石燈籠の右横にある一基は、前橋城主 酒井雅楽頭忠考が宝永六年(一七0九)に奉献したもので、その手前にある一対の石燈籠は、関東郡代 伊奈忠宥が宝暦八年(一七一八)に奉献しました。
鳥居に近い石燈籠一対は、上州沼田城主で老中も勤めた伯耆守 本多正永が宝永元年(一七o 四)に奉献したものです。なお、この一対は〈墨田区登録文化財〉に登録されています。 当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所として描かれ、『江戸名所図会』には「秋葉権現社、弘福寺より三丁あまり東の方 請地村にあり、遠州秋葉権現を勧請し(略)境内林泉幽邃にして四時遊観の地なり」とも書かれています。一方鎮火の神として将軍家や諸大名の崇敬があつかったといいます。
平成五年三月 墨田区