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日比谷神社

住所 東京都港区東新橋2丁目1−1
電話 +81 3-3433-2034
時間
月曜10:00-17:00
火曜日10:00-17:00
木曜日10:00-17:00
金曜日10:00-17:00
土曜日10:00-17:00
日曜日10:00-17:00
サイト www.hibiyajinja.net
カテゴリー 神社, 聖堂
評価 3.6 12 件の口コミ
Hibiya Shrine
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日比谷神社 件の口コミ

12
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S W
11 四月 2022 3:43

東京都港区東新橋に鎮座する日比谷神社の書き置き御朱印を以前頂きに参拝しました。

創建年代は不詳。
元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座していたが、慶長年間の江戸城拡張に当たり、氏子とともに芝口(現在の東新橋)に遷座。
明治時代に至り鉄道敷設の為、更に新橋4丁目に遷座。
その後、境内地全域が環状2号道路予定地にかかっていたことから2009年に東新橋2丁目の第一京浜沿いに再々遷座して現在に至ります。

御朱印は写真奥に見える拝殿向かって右側に社務所があります。そこで拝受可能です。

kazuhiko
19 二月 2022 20:12

2021/12/30に愛宕神社参拝後に、その足で参拝しました。場所は愛宕神社から歩いて15分程だったと思います。また、JR新橋駅烏森口から5分程で着くと思います。大きな交差点の角にあり、赤い鳥居で直ぐに発見できます。
祭神は伊勢神宮外宮の神様である豊受大神(とようけのおおかみ)と穢れを祓う祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ)をお祀りしているとのことです。
こちらの神社は様々なお守りが頂けるようで、中でも奇跡のお守りや、祓戸四柱のお守りが人気の様です。私は御朱印を頂きました。その日は書置きのみとのことでしたが、ありがたく頂戴してきました。

ココハネダ
28 一月 2022 22:02

御祭神は、豊受大神様・祓戸四柱大神様
瀬織津姫様
優しく力強い大神様です。
新橋でお仕事されて入れ方も良く参拝されていて、都心ですが神聖で暖かい御神気を感じました。

大塚由香
21 十二月 2021 5:13

昨日大雨の中、お参りにいきました。
快く御朱印をくださいました。「義母、娘」のドラマに出演されてた神主さんかな?少しお話して感じの良い方でしたよ。ロケされたとの事。
奇跡の御守り頂きました。

rockbellPD
05 九月 2021 2:40

考察
こちらの神社では、豊受大神様が、稲荷神様とされていますが、意味は、トヨケカミ様は、イサナキ様イサナミ様が7代目のアマ神に即位する前に、日本には大飢饉があり、国は乱れていたのです。そこで、豊受大神様(トヨケカミ様)(5代目タカミムスビ)が、全国に稲作の復興のため尽力されたから稲荷神としたのでしょう。本来の稲荷神は、ウケモチ様のことです。世間では、ウカノミタマ神と言われています。つまり、初代稲作発明の偉大な方です。
さて、祓四神のイフキドヌシ様はツキヨミ様の長男で、厳島神社の宗像三女神の一人イチキシマヒメ様(タナコ様)と結婚。ハヤアキツヒメ様(アキコ様)は、船一族(シマツヒコ様、オキツヒコ様、シガ様等)の7代目で住吉大神様(カナサキ様)(アマテルカミ様の姉ヒルコ様の養父)の長女で、アマテルカミ様の西側の妃です。ハヤサスラヒメ様(ハヤコ様)は、イサナキ様の弟クラキネ様の次女でアマテルカミ様の弟ソサノヲ様と密会した方でしたが、ソサノヲ様が彼女に気合いを入れたことで改心され、彼女の爆発的なエネルギーを悪から良い方向に使う祓四神に抜擢されました。セオリツヒメ様は、クニノトコタチ様の八人の皇子の一人トノミコト様の血統を継ぐ南側の妃です。そのトノミコト様は、南側の配置という夏の潤い(梅雨、水道局)の季節を任された中心のクニサッチ(アマ神)です。アマテルカミ様は、セオリツヒメ様を皇后と言う中心に置かれ、民達(人々)に必要な水の都らしい水道局管理者でありました。セオリツヒメ様の生まれたオオヤマスミ家長女としてアマテルカミ様を支えていきました。セオリツヒメ様は、静岡県三島市の生まれですから、一族は、三島市の三島大社から富士山麓の大山一帯を治め、九州の大山等も治めていました。三島市には、瀧川神社があります。セオリツヒメ様のみを祭っています。アマテルカミ様にとっては、日本全体を統治するには、東西中南北の豪族と親戚になることが、最短コースと判断されたのかも知れません。まずは、豪族の娘達12人を妃として東西南北に3人づつ置いて、その内の1人セオリツヒメ様を皇后に置いて、枠が南側に出来ましたので、ウルフヒメ様を妃に上げました。このウルフヒメ様が、臨時の役目を果たしたので、2月に臨時の閏年を設けました。
後世には、世嗣ぎの皇子に困らないようにとアマテルカミ様の妃13人とされていますが、手が込んだ配置や豪族の娘たち以外の娘は妃に選ばれなかった事実からすると、日本の統治が最大の目的かと思われます。
そして、【ヤマト朝廷】という「ヤマト」とは、東海道全域を指している古き言葉です。きっと、初代日本の建国の名前【トコヨクニ】(中国の常世国とは全く違う)を作られたクニノトコタチ様の八人の皇子のトノミコト様の統治地域の東海道全域に因んだ名前を用いたのではないかと思われます。
トノミコト様の世嗣ぎは、静岡県大山の比々多神社祭神のトヨクンヌ様です。その後に4代目アマ神ウヒチニ様とスヒチニ様の結婚が旧暦3月3日に執り行われ、その日が雛祭りとなりました。雛祭りとは、日本で初めて結婚制度が施行された記念日なのです。後世には、違う形の神事として伝えられています。
例えば、女の子の桃の節句として新暦3月3日にて行われています。
また、和歌山県加太の浦の淡嶋神社では、全国から人形を集めて新暦の雛祭りに人形を小舟に乗せて海に流す神事となっています。
本来は、加太の浦の淡嶋神社で神事を行っていたのではなく、離れしますの友ヶ島の神島(ここが本来の淡島)にて神事を行っていたのです。オモイカネ様の弟スクナヒコナ様がカダガキ三弦琴で神事を後世に伝え回りました。仁徳天皇が、祖母の神功皇后を祭ってからは、神事のやり易い陸の近場に移動させたのです。それが、今の加太の淡嶋神社となります。
では、なぜ人形をわざわざ小舟に乗せて流すのか?
神事とは、その御代にあった神に纏わる事実を後世に残すために行われるものです。
この御代にあったのは、豊受大神様の娘イサコ様とシラヤマヒメ様の弟イサナキ様の結婚式を茨城県筑波山で行い新婚生活を送ります。長女として生まれたのがヒルコ様です。数え三歳に兵庫県の廣田、西宮神社に行き、住吉大神様夫妻(カナサキ様夫妻エシナツ様)へヒルコ様を預けて養育してもらうために筑波山麓のイサ川から船の旅が始まります。いったん、千葉県房総(安房国)(アワ国)の麻賀多神社(勾玉神社)に立ち寄ります。その後に和歌山県の友ヶ島の神島(淡島)に立ち寄ります。問題の雛人形の神事の中身のお話です。
それは、この小さな淡島でイサナキ様イサナミ様の次女ヒヨルコ様の流産があったのです。だから、淡島なのです。その関連が千葉県房総の安房国であり、麻賀多神社なのです。
ヒヨルコ様の流産を残念に思うのはイサナキ様イサナミ様だけではありません。三歳ながら、ヒルコ様も同じ気持ちでした。また、付き人達の一人カナサキ様の妻エシナツ様も悲しみに暮れていたのです。エシナツ様は、供養するために淡島に残り、イサナキ様イサナミ様ヒルコ様は、先を急ぎます。エシナツ様は、この供養を手作りの葦舟に乗せて海に流し供養されたのです。それが、源流の神事の姿なのです。先に行かれたイサナキ様イサナミ様ヒルコ様は、淡路島に寄られます。ここには、岩楠神社と恵比寿神社があります。岩楠神社は、ヒルコ様が乗られたカナサキ様の造船です。船首に鳥ノ木彫りを乗せています。カナサキ様の海難事故から守った鳥達の御加護のイメージです。恵比寿神社は、本来の恵比寿様は、ソサノヲ様の孫クシヒコ様のことです。奈良県桜井の三輪山の祭神です。恵比寿様をクシヒコ様とヒルコ様とを間違って伝わってしまったのです。
淡路島の恵比寿神社には、ヒルコ様を祭っているのです。つまり、ここから、岩楠船に乗って住之江廣田、西宮神社に向かわれたのですから。後にヒルコ様は、養父養母から教育を受けて立派な皇女として高天原にアマテルカミ様の妹と言う立場で戻ることになり、後世に妹としてしか伝わらなくなりました。それは、ヒルコ様は、セオリツヒメ様同様隠された神だったからです。7代目アマ神のイサナキ様イサナミ様に求められていたのは、日本を完全なる統治国にするための皇子(男の子)だったからです。先に生まれたのが長女のヒルコ様だったので、隠して養育されたのです。イサナキ様イサナミ様の厄年に当たっていたためと文献にはありますし、厄年には、他人の手で育ててもらう方が良いとされていた時代でもありましたから。ただ、文献に96ヶ月アマテルカミ様がイサナミ様のお腹にいた、というのはですね。8年と言う歳月です。つまり、三歳でヒルコ様を流したのですから、アマテルカミ様とは、五歳違いの姉弟と言うことです。二人の再会は、イサワノミヤでありました。アマテルカミ様は、御堂の中でお待ちになっていました。ヒルコ様が御堂に入ってくると、アマテルカミ様は、「お帰りなさいませ姉上」と膝を床につかれてご挨拶されたのです。
アマテルカミ様に再会される前にはクマノミヤでイサナキ様イサナミ様と再会されています。ヒルコ様がイサワノミヤに入ったルートは、今の志摩の伊射波神社の海岸からではないかと思われます。この神社の祭神は、ヒルコ様です。
イサワノミヤとは、今の伊雑宮がそうではありません。そこは、一部です。イサワノミヤとは当時のアマテルカミ様御代の高天原でしたから、大変な大きさの敷地だったのです。我々の感覚の尺度ではなく、伊勢志摩そのものが、イサワノミヤであり、高天原でした。今の伊勢の神宮外宮もイサワノミヤでした。だから、アマテルカミ様とセオリツヒメ様の長男オシホミミ様(太郎坊)の生まれた上御井神社(オシホイ、忍穂井)が、外宮正殿西側200㍍位にあるのです。高天原で生まれているからです。高天原は、会議室もありますし、アマテルカミ様の自宅や妃の住む宮もあるわけですし、家臣も居るのです。話が逸れましたが、そんなところです。

By ロックベル

Tommy
30 三月 2021 3:33

I discovered this compact shrine as I was walking from the Shiodome Subway Station (on the Oedo Line) to the Atago Shrine. 日比谷神社 Hibiya Jinja has an imposing vermillion torii and stairs leading to the shrine precincts. The small Inari Shrine on the left (with a pair of lion guardians) is also known as 鯖稲荷 Saba Inari. After the shrine relocated to Shimbashi, the shrine was patronized by those suffering from tooth decay and mackerel (saba) were left as offerings.

Libertas
27 三月 2021 10:27

今でこそ汐留・新橋のこの地に鎮座ましますが、何回か遷移しています。御名前が「日比谷」ですから元は今の日比谷公園の辺りでしょう。
別名「鯖稲荷さま」とも言われ、お伊勢系統だそうです。ビジネスの世界でも御信奉篤いとか。
今の場所は東京でも新しい道路に面し、虎ノ門ヒルズを真っ直ぐ先に見据える良い場所です。お社も新しく颯爽としていて良いですね。

田中剛
28 一月 2021 14:10

初詣で参拝しました。拝礼の前に御朱印をいただきました。初穂料を納めた際に巫女さん? から
ありがとうございました。と。  皆さんは違和感を感じませんか?  古い考え方かも知れませんが、
寺社仏閣は商売ではないので、ありがとうございました との返答は如何なものでしょう。ご参拝御苦労さまです くらいが適当だと思います。
古くから由緒有るお社では有りますが、年始早々、残念でした。  迎える方は数知れずですが、授かる方は一度きりです。 礼法こそ、神社のあるべき姿ではないでしょうか。

ukyarapi
13 一月 2021 11:40

第一京浜と環二通りの交わる「東新橋一丁目」の交差点に面して、鎮座されています。

御朱印等の授与関係は当面、1100~1600の対応となると言う掲示がありました。

また、御朱印は日によって書き置きとなることもあるそうです。

Miya
08 一月 2021 5:37

新橋の交差点にある神社。夜間しか行ったこと無いですが、鳥居とビル群、交差点、電車が入った写真が取れるので楽しいです。
非常に日本特有の風景なので外国人観光客を連れて行ってあげたいです。
敢えてここに参拝しに来ている人はあまり見ませんが由来を調べてまた伺いたいです。

山本太郎
27 十二月 2020 2:44

聞きたいことがあり、ネットで検索して24時間営業と表示されていたので、遅い時間だったが急を要することだったので電話したら『何時だと思ってるんだ』とキレられました。まさか神社からそんな仕打ちうけるとは…と、すごい悲しい気持ちになりました。

俊毅安村
03 九月 2020 10:35

夜の散歩ついでに
お参りしてきた日比谷神社
汐留との際
新橋駅手前の
品川側にございます。

悪疫退散の名は
日本全体が欲っする処と
一致しますね。

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