分倍河原古戦場碑
住所 | 東京都府中市分梅町2丁目59−1 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.fuchu.tokyo.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.6 7 件の口コミ |
Bubaigawara Old Battlefield Monument | |
最寄りの枝 武蔵府中熊野神社古墳 — 東京都府中市西府町2丁目9−5 武蔵府中熊野神社古墳公園 — 東京都府中市西府町2丁目9−9 |
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分倍河原古戦場碑 件の口コミ
7 石碑しかありませんが、この戦い自体はとても重要なものです。
元弘の乱の際に、新田義貞軍が幕府軍に壊滅的打撃を与えた分倍河原の合戦の古戦場碑。
この合戦は周辺の小学校の校歌にも出てきたりします。
これ自体は、石碑が立っているだけなので、思いをはせるしかないです。これが何なのかも知らない人も多いかと。
但、遊歩道の入口にあり、この周りには、ザリガニや小魚を捕まえる子供達がたくさんいる用水路や、春には満開の梅や桜が続く遊歩道、簡単な遊具のある広場、一休みできるあずま屋等があるので、散歩には良いです。
分倍河原の戦いは、鎌倉時代の元弘3年 (1333年) に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原で北条泰家公率いる鎌倉幕府勢と、新田義貞公率いる反幕府勢との間で行われた合戦で、奇襲を仕掛けた新田勢が勝利した戦いと伝えられる。
ここ分倍河原は、新田義貞公(源義貞)が、
鎌倉北条氏討伐の為に、戦った古戦場で、
半幕府軍、新田義貞軍の勝利に、終わった、
古戦場です。
とても良かったです。
ここから続く遊歩道にはほとんど外灯がないため、夜間はとても暗く痴漢も出たようで独り歩きは危険です。
日中も年間通して人は多くありません。
新型コロナ流行中の現在(2020/04/30)は、学校が休みの子どもたちの姿はいつもよりも増えています。
上野国から鎌倉を目指して南下した新田義貞が何とかの合戦の末、ここで北条泰家を打ち破り鎌倉突入に至った歴史上非常に重要な都地である。
古戦場碑には、傍系から新田を名乗る方の書がかけられていたが、それ以上にここで行われた合戦に思いを馳せるほうがいいと思う。
ただし当時の面影は一切残っていない
鎌倉街道を南進する新田義貞軍が鎌倉幕府の北条軍を破った古戦場です。鎌倉幕府は多摩川を北から来る敵に対する第一防衛ラインと捉えていたのでしょう。
It is an old battlefield where the Yoshisada Nitta Army that goes southward of the Kamakura Route broke the Hojo army of the Kamakura shogunate. The Kamakura Shogunate would have regarded the Tamagawa River as the first line of defense against the enemies coming from the north.