板橋区立赤塚第二中学校
住所 | 東京都板橋区成増3丁目18−1 | ||||||||||||
電話 | +81 3-3939-0247 | ||||||||||||
時間 |
|
||||||||||||
サイト | www.ita.ed.jp/edu/aka2jh | ||||||||||||
カテゴリー | 中学校 | ||||||||||||
評価 | 3.7 3 件の口コミ | ||||||||||||
Akatsuka Dai-2 Junior High School | |||||||||||||
最寄りの枝 板橋区立赤塚第一中学校 — 東京都板橋区徳丸4丁目13−1 志村第三中学校 — 東京都板橋区坂下2丁目21−1 板橋区立上板橋第三中学校 — 東京都板橋区常盤台3丁目30−1 板橋区立上板橋第二中学校 — 東京都板橋区向原3丁目1−12 |
|||||||||||||
近くの同様の会社 城北中学校・高等学校 — 東京都板橋区東新町2丁目28−1 淑徳中学校・高等学校 — 東京都板橋区前野町5丁目14−1 練馬区立光が丘第三中学校 — 東京都練馬区光が丘3丁目2−1 練馬区立開進第四中学校 — 東京都練馬区羽沢3丁目24−1 |
板橋区立赤塚第二中学校 件の口コミ
3 メスナー『マロリーは二度死…』ヨリ
もう彼の声も聞こえず、その存在も感知できなくなっていた。彼の記憶さえも少しずつ薄れていくのか。私の傍らから彼の姿も、顔も、息も消えてしまった。
赤塚第2中学校には、兄たちと友だち、吾が息子娘たちがお世話になりました。亡くなった者も居ます、ここに…
亡き人を題詠スト
八戸の祖母、A. 真福
私の母方の祖母は40年ほど前の冬の一番寒い日に八戸で亡くなりました。馬淵川を薄氷がゆっくりと流れていき、祖母の魂を乗せていくように見えたのを覚えています。
夕暮の 川面流れる 薄氷
たれか魂 運ぶ如くに
(タレカタマシヒ)
植村直己、田無清
行 (生) き方を 失くし時にぞ 掬わるる
あんな罵迦人 植村直己
(アンナバカヒト)
兄たち、十首
Ⅰ高山市内へ
花買いに 行かされた事 バスごとご
葬式花は 座席に溢れ
Ⅱ通夜に
どさくさに コップ一杯 酒牽いて
陰で煽る乎 吾と吾が父
ドサクサニ コップイッパイ サケヒイテ
カゲデアオルカ ワレトワガチチ
Ⅲ通夜
吾が父母に 語るが如く 寝伸びする
いつものように 言葉少なく
Ⅳ火葬
河原では 雪は降り敷く 風さへも
最終地点 況してやと思ふ
(サイシウチテンマシテヤトモウ)
Ⅴ火葬す
河原では 野焼きのために 大火焚き
屈まされ兄 桶棺に焼く
カハラデハ ノヤキノタメニ オオヒタキ
カガマサレアニ オケカンニヤク
Ⅵ生きてし夢、よく見たな
寝間着明け 顔出すワンコ 痛くない?
痛くないかい 腹切ってるのに
(背広着て通勤し、)
日本かな 山間の街 研究室
白衣の兄の 勤め居りしか
(次兄もまた、)
生きて居り そんなところに 近くなる
篤実もまた 生きて居るかな
Ⅶ
石津窪 大滝懸かる 沢登り
兄も苦戦し 吾は高巻き
(只一度連れてってくれた山谷)
Ⅷ
二人乗り して行くバイク バイト先
ビルの屋上 雨漏り塞ぐ
(次兄と、唯一 同行バイト)
Ⅸ
ヘルメットに 守られてかと 澄みし顔
苦痛は無しや 無し事や無し
(明け方、バイクで突っ走り、違法駐車
のトラックに突っ込む。)
Ⅹ
次兄の太め菩薩顔
理想の菩薩浅田真央
細めの菩薩広隆寺半迦思惟像
津島兄
遠からず 自由日本は 往き消して
社会主義日本 現露わる
トオカラズジユウニホンハユキケシテ
シャカイシュギニホンウツツアラワル
斯くの如「今朝次兄死に、」実存告げ
褒められた人 津島兄も死に
カクノゴト ケサジケイシニ ジツゾンツゲ
ホメラレタヒト ツシマケイモシニ
棄てるべき 読めぬ本なら 『幸福な死』
彼の時だけの カミュなるなら
ステルベキ ヨメヌホンナラ コウフクナシ
カノトキダケノ カミュナルナラ
死者
天井の 木目に見えた 顔は死者
パレイドーリア 雲の顔して