諏訪神社
住所 | 東京都北区赤羽北3丁目1−2 |
電話 | +81 3-3908-3498 |
サイト | ak8mans.com/suwa.htm |
カテゴリー | 神社, 聖堂 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Suwa Shrine | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社
|
諏訪神社 件の口コミ
7 参道が車道で分断されている。近場の「宮の坂」と題打った案内杭の解説を読むに、古くから赤羽に向かう街道筋が参道とクロスしていた様である。
以下、神社の史跡等の観察情報を記す。
1【社号碑】
参道入り口に社号碑を確認。石柱型。昭和十五年銘。紀元二千六百年記念。奉納は帝國在郷軍人會。謹書は陸軍主計中将鹿野澄。
裏面に王子區第八分會役員の名前が刻まれる。分会長は「多田鬼一」。副分会長は「田辺鉄五郎」とある。
石工は、小田切石店の石香。小田切と言えば、赤羽近辺の石造物によくよく名前が刻まれている。
2【庚申塔群】
途中に『袋町の庚申待供養塔群』と題打った案内板あり。車道側の崖上に四基の庚申塔が確認できる。区の指定文化財となっている。
階段手前に「願主氏子中」と刻む30センチ程度の石造物あり。他に刻字がなく、詳細は良く分からない。おそらく、階段の奉納を記念する碑か。
3【富士登山記念碑】
横断歩道を渡り、鳥居を潜って神域へ入る。
境内東に石造物群があった。元々周辺にあったものを道路・土地改修などの際に,当地に集めたものだろう。
まず、手水舎の横に富士登山記念碑があった。村上講という講集団によるものと思われる。昭和五年銘。
裏面に刻まれた講員の名前を数えるに、少なくとも、60名以上在籍していた様である。宮司として朝日重光の名前が刻まれる。これは赤羽八幡神社の宮司であった朝日重光と同名だ。
4【庚申塔】
上の富士登山記念碑の一番近くにある。兜巾型。文字庚申塔。天保十三年銘。
正面左側に「東 岩渕宿渡船場みち」と刻む。
また、側面には、それぞれ、「北 当村かしば (河岸場) 」「西 中山道志村ゟ戸田道」「南 野みち (羽みちにも見える。) 」とあった。
北方面に袋村の河岸場、東方面に岩渕宿の船渡場、西方面に五街道がひとつの中山道 (志村ー戸田間) があったことが分かる。
東西南北のランドマークや街道筋を記載していることから、元々、交差路に置かれ、旅人の目印、案内標識となっていたのだろう。
5【庚申塔】
4の右隣にあり。青面金剛像あり。駒型。安永七年銘。
6【廻国供養塔】
5の右隣にあり。明和二年銘。行者は、袋村の「行言」という人物らしい。
名前からしてお坊さんだろう。当地出身の行言なる人物が修行あるいは大願成就のために、あちこちを歩き回ったことを記念するものの様である。
7【八日講供養塔】
6の右隣にあり。「八日講所願成就」の文字が刻まれている。
この形式の石碑は初めて見た。八日講とは何だろうかと思った。正面上部に大日如来の梵字が刻まれている。造立年は宝暦七年。兜巾型。造立趣旨は天下太平。
8【石坂供養塔】
7の右隣にあり。兜巾型。天保七年銘。江戸後期のもの。
台座側面に世話人の名前を刻む。刻まれた梵字は、こちらも大日如来。この神社の石坂に関するものだろうが,具体的にどの石坂を指しているのかは不明。また,石坂が現存するのかも分からない。
9【石垣奉納記念碑】
8の右隣にあり。昭和天皇の即位に際して、神社に石垣を奉納した旨を示す。昭和四年銘。こちらにも朝日重光の名前がある。
10【武州御嶽講記念碑】
9の右隣にあり。武州御嶽山に大々神楽を捧げたことを示す記念碑。裏面には、氏子の名前が並ぶ。昭和三十五年銘で、戦後も当地に武州御嶽信仰が存続していたことを示すものだろう。
なお、赤羽八幡社にもこれと同種の記念碑があった。当地では武州御嶽山詣りが盛んだったのかもしれない。
11【裏鳥居?】
二の鳥居かもしれない。明治維新百年を記念したもの。昭和四十二年銘。建設時の宮司は、朝日辰夫となっている。明治百年記念式典は,日本政府主体で盛大に行われた。
なお,この式典に併せて,本務社である赤羽八幡社は境内を大きく改装した。
12【御神木および猿田彦大明神碑】
拝殿左手前にあり。おそらく、もみの木か。
たもとに猿田彦大明神の石碑がある。庚申塔の一種と思われる。自然石型。明治十一年銘。
13【几号水準点】
社殿左手にあり。いわゆる「几号水準点」が展示されている。これは昔の測量で使ったもの。石垣や神社の水盤などに刻まれることが多い。昭和五年銘。
「諏訪神社境内の水準点」と題打った案内板あり。
几号水準点は、有形文化財指定されることがままあるが、これはそうではない様だ。
14【旧御神木】
社殿裏手にあり。社叢に紛れて、杉の切り株。これが御神木だそうである。巨大な中華鍋の様なものを被せられていた。ウロはコンクリートでガチガチに固定されていた。手前に「旧御神木の袂杉」と題打った案内板あり。
15【「真理?」と刻む碑石】
14切り株のそばに、ホース・ラスビハリ(ラース・ビハーリー・ボース)の真筆を写した石碑があった。ビハーリー・ボースは,戦前にインドの独立のために活動し,また,日本に亡命した人物。
昭和三十七年銘。正面の文字は、いずれかの言語で「真理」と書かれているらしい。
16【境内社】
社殿右手にあり。三社確認。いずれも大谷石を土台にしている様だ。左手から「須賀、稲荷、大六天、稲荷、八幡」の合祀社。「猿田彦」のお社。「白山」のお社。という並びになっていた。
17【御輿倉庫建築記念碑】
16の合祀社の隣にあり。昭和九年銘。下部に建築に関わった人の名前を刻む。そこに、「ブリキ職 某」とあった。「倉庫にブリキ職人が関わるものなのか」と思う。
18【その他】
境内に小高いところがある。そこに日露戦争の従軍戦没者記念碑があった (明治三十九年銘。) 。その近くに、かつての国旗掲揚塔も確認 (昭和十二年銘、田邊鐵五郎奉納) 。また、伊勢大々講の記念碑も見られた (側面に「敷石寄附」の文字あり。明治四十二年銘。) 。
古事記の「国譲り神話」で科野国に追われた建御名方神が祀られている「諏訪大社」との奇しき御縁で日本各地の諏訪神社を参詣している「スワ (トラべ) ラー」です。地元の人たちに大事にされているのを目の当たりにすると、本当に心温まります。
ふと諏訪神社へ久しぶりにお参りにいきましたがとても可哀想な状態でした。
残念ながらこちらの神主の杜撰な管理により非常に悲しい状態です。
水は止めてあるので清めれません。
本殿には張り紙が釘か画鋲で止めてあり痛いたしい
本殿のおやしろに釘や画鋲を平気で刺す。
タブーな事ばかりしてます…
そう言う感覚をもつ神主からは神社を管理する資格は剥奪すべきだと思います。
本殿の軒下というのでしょうか?
そこには工具が…畏れ多くもお社を
物置にしている。
本当に神さま泣いてらっしゃるでしょう
それか呆れてるはず。
神様が笑っていたとしても私は悲しいです。
参拝するととても痛々しくて不愉快に感じます。
こんな杜撰な事を平気でしている神社見た事ありません。
諏訪神社の神様には罪はありません。
それでもこの土地を守ろうとしてくださるのですからありがたい事です。
でも、あまりに、荒れると神様はいなくなります…
その事をかなり前にお伝えしたけどそのまま。
酷いものです。
神主か管理をかえないとそろそろ大きな災いが目立ち出すと思います。
神様のこと大切に祀らないなら神主は降りてほしいです。
宮司が八幡神社との兼務の為、
お祓い等での依頼を行いたい場合、
忙しい時期だと、電話ではなかなか連絡が取れない。
直接、八幡神社へ行った方が良いと案内があった。