旧前田家本邸洋館
住所 | 東京都目黒区駒場4丁目3−55 旧前田侯爵邸洋館 | ||||||||||
電話 | +81 3-3466-5150 | ||||||||||
時間 |
|
||||||||||
サイト | www.syougai.metro.tokyo.jp/sesaku/maedatei.html | ||||||||||
カテゴリー | 史跡, 観光名所 | ||||||||||
評価 | 4.7 15 件の口コミ | ||||||||||
Former Marquis Maeda Mansion | |||||||||||
近くの同様の会社
|
旧前田家本邸洋館 件の口コミ
15 日曜日の午後に訪問しました。待つことなく、スムーズに入館。旧加賀藩主の前田利為侯爵の居宅、兼、迎賓館として昭和3〜5年に建設され、現在、国の重要文化財になってます。
当時の技術の粋を集めて建てられただけあって、意匠、材質等、全てが見事です。100年が経過しようとしているとは思えぬ程の保存状態の良さで、圧倒されます。
静かな時間が流れる中、往時を偲ぶことができ、大変、満足しました。
祝日の午前中でしたが時間をかけて隅々までゆっくり拝観できました。
ほとんどの部屋に入ることができ写真撮影も自由です。また保存状態がとても良好なので満足できました。
邸内は土足厳禁ですが、ほぼ絨毯なのでスリッパ無しでもあまり気になりませんでした。
代々木上原駅から歩いて数分の所にある駒場公園内の旧前田家本邸。関東大震災を機に本邸の駒場移転がスタート。年配の女性はご存知かな?元ハクビ着物学院長、長女の酒井美意子氏のお部屋も拝見。手入れが行き届いていてロの字型の建物内を2、3周。壁紙やカーテン、調度品の豪華さを堪能。移転先でこんなに豪華だから さぞや移転前の本郷邸西洋館は、すごかったんだろうな。残念なことに1945年の東京大空襲で焼失。
帝国時代の華族の暮らしぶりを垣間みる館。建築としての技術や美しさもさる事ながら、国としての文化レベルを牽引している自負を感じられる。全て平等という建前の現代では許されないだろう特権階級の世界観。食べるのが精一杯の現実で、建築における装飾や技巧レベルが下がっていかないことを願うばかり。
言わずと知れた加賀百万石旧加賀藩主家の前田侯爵家が東大との間で文京区本郷にあった邸宅 (その名残が三四郎池や赤門) の敷地と農事試験場であったこの敷地を交換し、昭和3年から5年にかけて建設したのがこの邸宅。
敷地13000坪というからスケールがデカ過ぎて、ここで使用人が136名、その中には何と車を磨くだけの使用人がいたというから驚きでしかない。
明治32 (1899) 年の段階で現在に換算すると少なくとも前田侯爵家の年収は69億円と桁違いの資産家だからこそ、昭和恐慌直後にも関わらず、このような邸宅が建てられたのだろう。
10月の半ば頃の晴れた日に行きました。静かに見学を楽しみたかったのですが庭にかなりの人数の家族連れがいて、子供たちが走り回り騒いで遊んでいたので、室内にいても庭に面した部屋はとても騒がしかったです。庭というか公園の広場として開放しているので仕方ないのですが、静かに見学したければ雨の日がいいのかなと思いました。
優雅な気持ちにさせてくれます。洋館と和館があります。土曜日の正午頃に訪問しましたが、混雑はしていませんでした。いわゆる感染症対策もしっかりしており、安心して利用できる施設だと思います。未就学児を連れての利用には適当ではないでしょう。
洋館、和亭共に素晴らしい。特に洋館の豪華さ、一つ一つの細工の細かさには見入ってしまった。閉館時間が15時半と少々早いがこれを無料で堪能できるとは感激。
館内にある資料で当時はここで簡単なスキーをしていた写真があり、びっくりした。
They close at 3: 30 pm sharp, so I'd like to visit next time. Anyway I like that they offer free admission. (Nov. 2021)
先日、駒場のまち歩きの途中で伺いました。駒場公園の中に佇む素晴らしい洋館です。当時お住まいだった前田家の方々の生活に想いを馳せながら見学しました。細かいところまで丁寧につくられている感じで、どこを切り取っても素晴らしく、予想外に長居してしまいました。これが見学無料とは申し訳ない気がします。例年なら文化財ウィークに行われているというガイドツアーが中止になっていて残念でした。いつか説明を伺いながらまた見学したいです。
駒場公園内にあります。
迎賓館兼居宅として建てられただけあって、見事な造りの建築です。
入館無料。検温、アルコールでの手指消毒あり。
靴を脱いで上がりますので、穴あき靴下に注意 (笑) 。
素足の方にはスリッパの貸し出しがありますが、ご自分の靴下を持っていく方が気持ち良いかもしれません。
目黒区の駒場公園内にある重要文化財の建築物です。これだけの施設を無料で公開していること自体驚きですが、素晴らしい状態にしっかり整備されていることにも驚きです。
可能ならここでカクテルパーティーなど開けるようになると、利用料でメンテナンスコストも稼げて良さそうかなと思いました。
駅から遠いのが難点ですが、広大な敷地は散歩に適しているし、建物は都の施設と言う事で無料で見学できました。
レトロな洋館はステンドグラスのはめられた階段が美しいです。
コロナ対策もしっかり実施されていました。
東京大学の「赤門」は加賀藩100万石の御主殿の門であった事からも分かるように、元々前田本家は本郷に本邸があったのですが大学の敷地拡張にともない、交換で当時は自然豊かな駒場に広大な土地を獲得して昭和のはじめに建てたのが、この旧前田侯爵家本邸になります。
施工主は前田侯爵家の16代当主の利為です。華族の序列は「公・侯・伯・子・男」爵の順なので、前田家は上から2番目ですね。100万石のお殿様の家だけあって、当時の高額所得者ランキング3位になったこともある大富豪でもあり、守衛の控え所のある表門の段階で、もうタダ者ではありません (笑) 。
ちなみに当主の利為は陸軍士官学校の出身で若くしてドイツ留学をしており、その後もイギリス駐在武官の経験が長かったので、生活様式や思考は完全に欧米式でした。家族は全員そのような本格的な欧米スタイルで生活しており、寝室まで靴のまま入っていたそうです。
本邸はイギリス滞在期間中に、英国紳士の地方でのカントリー生活に感銘を受けた利為の希望により、イギリスのチューダー様式で作られています。イギリスの建物としては窓が大きく明るいそうですが、通風採光のため前面を開け放し、外との区別がつかなくなってしまう伝統的日本家屋から見ると、なんとも薄暗く息苦しさを感じます。太めの柱や梁も暗いダークブラウンで統一され、必要以上に重厚であり過ぎるんじゃないでしょうか (笑) 。
余談ですが、経歴からして利為は陸軍を代表する国際派であり、「必勝の精神」等の国内でしか通用しないような田舎くさい事ばかり言う、陸軍士官学校の同期である東條英機とは犬猿の仲でした。利為は東條を評して「頭が悪くて先が見えない男」と公言しており、結果として前田家は陰険な東條から様々な嫌がらせを受けるハメになってしまいました。
話を邸宅に戻すと、完成当時は個人の邸宅としては東洋一と呼ばれる規模と絢爛豪華さを誇りました。部屋の配置として面白いのは2階の子供部屋が、100万石の跡継ぎたる長男よりも長女の部屋の方が大きく、日当たりの良い最高の場所を与えられている事です。
コレは別に長男が軽んじられているのではなく (笑) 、武門の子の習いとして一定年齢になると、家を出て学問や武道の師匠の家で住み込みで修行するようになるので、大きな部屋は要らないのです。
一方、和館もありますが、これはオリエンタルなものを期待する外人接待用で、家族の生活の場はあくまで洋館の方でした。
また本邸では100人を超える使用人が働いていたのですが、全て石川県から招いた人達でした。特に女性にとっては嫁入り前の立居振る舞いや家事裁縫を習得する、礼儀作法学校の役割も果たしていたのです。務めを終えて郷里に帰れば、大変なハクが付いて引くてあまただったそうです。
昭和になっても邸内だけは、加賀藩100万石はまだ続いていたと言う訳ですね。
東京都目黒区駒場にある加賀藩前田家16代当主前田利為の邸宅。廊下の赤絨毯に始まり、壁紙やカーテンにシャンデリア、ベッドにソファーそして調度品に至るまで贅を尽くしたという表現がぴったり当てはまる豪邸で、菊子夫人と一男三女の6人で住まい100人を超える使用人を抱えていたという。
最終階級は陸軍大将とはいえこれほどの給料をもらっていたのか、それとも加賀百万石と言われる前田家の財産が莫大だったのか、その両方だったのかもしれないが、ある所にはあるんだなという下衆な感想しか出てこなかったのは大変申し訳ない。
有難い事にこれが無料公開されているうえに写真撮影もOKと制約も緩めなので、お屋敷については言葉でどうこうよりも、実際に訪れてそのありようを感じてもらいたいと思うものだ。