無名の戦士の像・記念碑 / 無名のスカウト戦士の像・記念碑
住所 | 東京都町田市三輪町 | ||||||||||||
電話 | +81 45-961-2111 | ||||||||||||
時間 |
|
||||||||||||
サイト | www.kodomonokuni.org/m_guide/tanbo4.html | ||||||||||||
カテゴリー | 史跡 | ||||||||||||
評価 | 4.7 6 件の口コミ | ||||||||||||
近くの同様の会社 本町田遺跡公園 — 東京都町田市本町田3455 |
無名の戦士の像・記念碑 / 無名のスカウト戦士の像・記念碑 件の口コミ
6 日本兵が負傷したアメリカ兵にとどめを刺そうとしたところ、お互いボーイスカウトに属していることがわかった瞬間があり、日本兵はアメリカ兵の傷の手当てをして立ち去ったというお話でした。
「スカウトは兄弟だ」
志が同じであれば敵でも通じ合うものがあるのだと思います。平和という価値観が国によって違うのかもしれませんが、人類皆兄弟、世界平和を願ってやみません。
私も小学生の頃にカブスカウトにいました。
幼くても昔から何か"兵士"と"スカウト"には共ずるものがあると、感じていました。
この碑に刻まれている事は本当に素晴らしい美談であり、人間の本当の姿・優しさ・尊厳さを強く感じた次第であります。
結果、日本兵のスカウトスピリッツによる恩情で介抱され米兵は生き延びれた訳ですが、日本兵は恐らく戦死…現実は誠に非情過ぎます。
真の大和民族である彼のご冥福をお祈り申し上げますm (_) m
第二次対戦中に南方の島の戦場で負傷したアメリカ兵に遭遇し、それを助けたボーイスカウトの日本兵の話を記念して、レリーフと銅像が設置されています。 2人の兵士の銅製のレリーフと、レリーフに向かって三指の礼(さんしのれい:三指の敬礼=スカウト独特の敬礼)をするこどものボーイスカウトの銅像が立っています。
詳しくは現地にある説明板の記載内容を引用します。引用文は若干古い日本語で、略字らしいものも使っています。分かりにくそうなところをコメントしておきます。
・原文は縦書きで句読点はない。
・碑刻の2箇所の「实話」は「実話」と判断した。
「实」の部分は異体字を手書きしたもので、
一部くずれている。
・静なとき: 静かなとき
・釼付鉄砲:「つるぎつきてっぽう」
もしくは「けんつきてっぽう」
小銃の先端に剣が付いている銃剣の
ことと思われる。
・何心なく:「なにごころなく」
=なにげなく
・誌してあった:「しるしてあった」
=記してあった
・戦斗力:「せんとうりょく」
=戦闘力
・伝へてくれた:=伝えてくれた
*** 引用 (原文のママ) ***
横江嘉純氏作
無名のスカウト戦士
この影像は 南洋のどこかの島であった激戦のあとのまだなまなましい实話の記念像である
一人のアメリカ兵が重傷をおうて倒れていた 銃声もたえて静なとき 人の足音が近づいてくる
眼をさますとそこに一人の日本兵が釼付鉄砲を持ってつったっていた アッやられると思いつめた彼は気がとおくなってしまった
暫くたって彼は気をとり返した 傍の砂の上に白い紙切れがあるのを何心なくポケットに入れた
まもなく担架で彼は野戦救護所にはこばれた 手術台にのせられたとき 彼はポケットの紙切れを思いだしドクターに渡した それにはこう誌してあった
ぼくは きみを刺そうとしたとき きみは三指の礼をした ぼくもスカウトなのだ スカウトは兄弟だ 戦斗力を失ったものは殺せぬ 傷には手当てをしておいたよ グッド ラック
戦後 この兵は父とつれだってアメリカのスカウト本部を訪ねて右の話を伝えた スカウト精神を讃えこの運動のためにと献金して行った
一九五二年 アメリカの本部から日本のボーイスカウト運動を視察にきたフィンネル氏が戦時中の美談としてこの实話を伝へてくれた
一人のアメリカ兵はいまに本名を明かさず 一人の日本兵はおそらく戦死したであろう
無名のスカウト戦士 これこそ日本の武士道 スカウト精神の結晶である
*** 引用終了 ***
この記念像は、旧日本陸軍の地下弾薬庫の扉の前のスペースに置かれています。
こどもの国は、旧陸軍の田奈弾薬庫補給廠(たなだんやくこほきゅうしょう;弾薬の製造と貯蔵施設)の跡地に作られ、1965年5月5日に開園しました。 記念像はちょうどこの1年後に設置されました。 記念像設置の経緯はこどもの国のホームページをご覧ください。
(update: 2019-05-18 upload: 2014-12-02)