東山道武蔵路跡 遺構平面レプリカ野外展示施設
住所 | 東京都国分寺市泉町2丁目10 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4.3 6 件の口コミ |
Site of Tōsandō Musashi-michi Highway | |
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東山道武蔵路跡 遺構平面レプリカ野外展示施設 件の口コミ
6 東山道武蔵路は上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)。
発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認され、地下遺構を保存している。
現在、その道路跡の約300メートルを歩道形式で保存し、谷部へ下る切り通しの部分の遺構平面レプリカを野外展示している。
都立武蔵国分寺公園エリアと高層住宅の間に忽然と出現する車道よりも広い歩道が東山道武蔵道遺跡。
JR中央線の線路脇まで約500mが発掘されました。
律令時代の武蔵国の中心は国府があった今の府中市で、そこから今の群馬県の上野国までこの規模の幹線道路で繋がっていたのかと思うと壮大なスケールを感じざるをえません。
律令時代の東国経営は私の想像をはるかに超えていたのを思い知らされます。
このあたりは国府跡や武蔵国国分寺跡等、古代遺跡が点在する貴重なエリアです。
「東山道武蔵路遺構再生展示施設」
都から遠く離れた、武蔵の国に建設された、都と直結した古代官道を見ることで、古代中央集権国家を強く感じ取ることができます。
この官道は、直線道路を強く意識しており、非常に複雑な国分寺崖線の地形を直線道路で突破することについて、そのコース取りと、道路傾斜角度を緩やかにするため、切通し状にする等、よく研究、検討されています。
この再生展示施設は、道路断面を立体的に見せるため、本体は地下に保存し、1mほどかさ上げして再生展示しています。
この遺構に立って北を見ると、国分寺崖線を直線道路で突破する為、切通しにした理由がよく理解できます。
先ずは東山道武蔵路を含めた『古代道路』の説明から。
『大化の改新』により、諸豪族の支配から大和朝廷の中央集権国家へと生まれ変わる為には、日本全国に大和からの指令が届かねばならないし、必要ならば迅速な軍事行動もしなければならない。その為に大和朝廷は全国に道路網を作った。その1つが東山道であり、東山道と東海道を群馬県大田市~神奈川県海老名市迄を『ほぼ直線』で結んでいたバイパスが武蔵路である。古代道路の総延長は昭和に策定された第一次高速道路計画並みの約6300km。江戸時代の主要街道ですら幅員4mしかなかったにも関わらず、古代道路の幅員は12m以上と高規格。しかも場所によっては30kmをほぼ直線で施工していた。山があったら切通を作り、沢があったら埋め立てる。男塾の『直進行軍』並みの直進っぷりである。そんな道路が奈良時代にあったなんて信じられます!?
そんな東山道武蔵路が綺麗に纏まって発掘された場所がコチラ。同時の道路規模が実感できる様な場所になっております… (*・ω・) ノ