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練馬白山神社

住所 東京都練馬区練馬4丁目1−2
電話 +81 3-3991-2888
サイト nerimahakusan.or.jp
カテゴリー 神社, 観光名所
評価 3.8 9 件の口コミ
Nerima Hakusan Shrine
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練馬白山神社 件の口コミ

9
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名前は無い
27 三月 2022 19:59

近所の小さな神社ではありますが、意外と人気があり、自分が初詣に伺った日もかなり並んでいました。コロナ禍のせいで出店は無し、おみくじは小吉でした (笑)
ここの特色としては都内でも有数の大きな欅の木が有名で、今はなき某坂道グルーブが新年の初詣に来たこともあります。

高橋芳治
13 十一月 2021 19:49

当社は、境内を丘陵の上部、下部に分けられています。下部に練馬区登録天然記念物にして国指定天然記念物である「大けやき」の大木を有し、上部に本殿や稲荷社が配されています。境内下部の通り向かいに社務所があります。社務所横には、成田山新勝寺勧請の不動明王の祠もあります。
当社は、この辺一帯の練馬地区の氏神さまです。ご祭神は、イザナミ命様です。創建は、平安時代とされています。天然記念物の「大けやき」は、永保3 (1083) 年に源義家が奥州征伐の戦勝祈願に当社ヲ訪れた際、奉納した欅の一部とされています。また、鎌倉時代 (弘安年間頃) には、この社周辺で集落が発達していた模様です。
境内下部の鳥居横の社名碑の揮毫は大日本帝国海軍大将「有馬良橘」閣下の手によるもののようですが、『昭和15年9月9日敬書』とのことなので、有馬大将が明治神宮宮司になられてからのもののようです。

Feng
06 九月 2021 19:13

平安時代創建とされ、源義家が1083年にその苗を植えたと伝わる都内最大の欅が境内にあるほか、とある漫画/アニメに登場する神社のモデルではないか、とも言われたり、某芸能グループが初詣に訪れる等、さまざまな特徴を持つ神社。古来界隈の集落で崇敬されてきた神社で、現在も毎年お祭りが開催されているなど、地域の重要なパワースポットです。

Masafumi
20 七月 2021 8:11

95年目に閉園した豊島園の近くにある神社。もうすぐ開基1000年とか。大きな欅と明神鳥居が、住宅街の守り神のようだ。暗渠が前を流れており、河原の段丘に立つお社だったのだろう。豊島園の門にかかる「ありがとう……」が寂しかった。

片岡泉
08 四月 2021 6:31

豊島園駅 練馬駅の中間の神社
大きな 大きな御神木の欅
確か アニメ【犬夜叉】のモデルの木だとか 横には お不動産もありまして
お参りしてきました。
豊島園での映画も見つつ良きです!
練馬駅内には モスバーガーもあるので これも又良きです!

Taka
17 三月 2021 22:22

練馬白山神社の最寄り駅は豊島園駅
境内やお社のサイズ的にはそこまで大きな神社ではありません。
鳥居を正面に右手に狭い道路を挟んで社務所と成田山不動尊のお社があります。

1958
08 三月 2021 6:53

氏神の定義がイマイチわからないが、とにかく自宅から一番近いちゃんとした神社と言えばやはりこちらになるだろう。

子供と同居していた頃は、大晦日の紅白歌合戦が終わりを迎える時間になると、暖かい格好に着替えて初詣の行列に並んだものだ。
日付が変わる頃になると、地元選出の自民党某代議士 (後にスキャンダルで大臣を辞めた人) が頭を下げながら順番を抜かして、一番にお参りをしていたのも今となっては懐かしい。

地元民にとっては参道左手にどっしりとそびえ立つケヤキの大木もつとに有名だが、樹齢7~800年かつ国指定天然記念物ならではの尊厳さすら感じる。

みさ子
05 九月 2020 17:20

創建が平安時代と言われる歴史のある神社です。源義家が1083年 (後三年の役) で奥州へ向かう際に戦勝祈願として奉納したという、樹齢800年の大きなケヤキの木がありました。パワースポットととしても有名です。神殿には竜が彫刻が施されていました。小じんまりした神社ですが、とても清々しい気持ちになりました。西武池袋線練馬駅徒歩5分位です。

神山博光
18 二月 2020 12:48

神社を紹介した本には紹介だけでなく、参拝のマナーみたいなものが書かれていて、呆れたのは、おみくじの見方を紹介していたことで、おみくじは平安時代に延暦寺の元三大師が趣味で詠んでいた和歌に数字を付け、くじを引いてもらい、その数字の和歌を授けたのが始まりとされていて、「吉」だの「凶」を付けはじめたのは江戸時代の初期だったそうです。町造りをはじめたばかりの江戸には職人たちが集まったが、男ばかりで仕事が終わったあとは酒を飲むか博打を打つ以外の楽しみがない。そんな男たちが和歌なんて詠むはずもなく。おみくじを買う者がいなかった。そこで吉や凶を付けるようになったそうで、昔は吉と半吉、末吉に凶だったそうです。半吉は (吉も半ば) で、末吉は (末は吉になる) 、そして、凶は (吉と凶は紙一重) という意味で、決して悪い意味にはならなかったそうです。本には神からのメッセージだなんて書いてありましたけど、江戸時代までは神仏混合思想だったので、お寺の風習が神社に伝わり、お寺にある賽銭箱は神社のものが伝わったのでしょう。

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