碑文谷八幡宮
住所 | 東京都目黒区碑文谷3丁目7−3 |
電話 | +81 3-3717-6412 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.tokyo-jinjacho.or.jp/meguro/5205 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4 8 件の口コミ |
Himonya Hachimangū | |
最寄りの枝 |
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碑文谷八幡宮 件の口コミ
8 私の実家近くの八幡様。春は桜が美しいです。ここのお祭りは、かなり広い範囲の町内が集まり、祭り2日目の全体ね神輿が集まる時が盛大です。屋台もかなりでます。
コロナでここ2年は中止になっており、寂しいですね。今年はどうでしょうか。
地元の八幡様。
目黒駅から出てる大岡山小学校行きのバスの終着点。
お祭りの時は神輿が集まり、露店もたくさん出て賑わう。
周辺は桜も咲くので、お散歩するには良いですよ。
歴史のある鎮守の神さま。
住宅地の中に、ゆったりと広い境内があります。
春には桜が見事に咲き誇ります。
この日は商売繁盛の祈願に行き、お札を賜りました。
緑に囲まれたあたたかい雰囲気の神社です。大好きでしょっちゅう行きます守り神の蛇に遭遇したことがあります。そうそう姿を現さないと思いますが、ワンちゃん連れの方はよく注意して下さいね。
当初敵対しながらも、後に源頼朝に付き従い鎌倉幕府創建に尽力した御家人の畠山重忠。
その守護神を家臣筋の宮野左近という人物がこの地に祀ったのが始まりの古社。
ということで詳細な創建年は不明ながらも、鎌倉時代前期くらいの創建と思われ。
ちなみにこの畠山重忠は、のちに北条氏が確立しようとした執権体制に疎まれ、謀反の疑いをかけられた上で鎌倉筋替橋にあった館で子諸共殺されてしまいました。
そして八幡神社には、このあたりの地名である碑文谷の由来となった碑文が奉られています。
碑文は室町時代に作られた様で、八幡神社西側を通っていた鎌倉道沿いの土中で見つかりこの神社でお奉りしたのだそうです。
その鎌倉道は現在宅地として名残はありませんが、この先の中目黒の辺りで姿を現し、目黒川を渡り目切坂、代官山の八幡通りを抜けて並木橋で渋谷川を渡り、金王八幡宮前を通って、青学横の青山通りにぶつかったところで消えてしまいます。
ただその後は、原宿のフライングタイガーの裏手側、まい泉本店の前を通る道として再び姿を現し、外苑前は熊野神社横の勢揃坂を下り、千駄ヶ谷の観音坂を上って鳩森八幡神社辺りでまた姿を消す。
本来はそのまま現在の新宿御苑を突っ切って早稲田。諏訪通りと交差する辺りで姿を現し、神田川を面影橋で渡って金乗院前の宿坂を上って、雑司ヶ谷鬼子母神。
そしてまたまた姿を消して池袋駅前を抜けて板橋方面へ…とそのまま北関東、奥州へと道は続いていました。
午後二時汗だくでお参りしました。木陰に入ひと休み。さて御朱印を頂きたいので、御願いに行くと吐き捨てるようにやってません。コロナウイルス対応みたいだそうです。余りにひどい言い方。神社廻りを始めてこんなこと一度有りません。凄くガッカリ
目黒区の案内板には「この神社は、旧碑文谷村の鎮守で、祭神は応神天皇です。畠山重忠(1205歿)の守護神を家臣筋の宮野左近という人がここに祀ったのがその起源だといわれています」と書かれていました。
すずめのお宿公園の隣です。桜の季節は、西小山から緑道沿いに歩くと楽しめますよ。