行人坂
住所 | 8 Shimomeguro, Meguro City, Tokyo 153-0064 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.meguro.tokyo.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.8 12 件の口コミ |
Gyoninzaka | |
最寄りの枝 三折坂 — Tokyo, Meguro City, Shimomeguro, 4 Chome−20−2 別所坂 — 東京都目黒区中目黒1丁目1 葦毛塚 — 東京都目黒区五本木1丁目18 古民家(旧栗山家主屋) — 東京都目黒区碑文谷3丁目11−22 区立すずめのお宿緑地公園 目黒区古民家 |
|
近くの同様の会社
|
行人坂 件の口コミ
12 目黒駅と雅叙園との間にある、目黒区の中では有数の急坂です。 (頂上付近は品川区)
長さもあり、下から上まで急勾配の続くかなり厳しい坂になっています。
車は上りの方向に一方通行で狭い道ですが、目黒駅に抜ける道として交通量もありアクセルふかしている車も多いため、ガードレールのない方の歩道は少し危険です。歩行者も結構多いです。
由来は多くの方の口コミや看板にありますが、坂の途中には松林山大圓寺 (大円寺) というお寺があり、1772年に江戸三大大火のひとつ、明和の大火 (目黒行人坂大火) が放火により発生した場所として知られています。
目黒駅周辺は坂道が多いですが、こちらの坂は急で長い坂道ですね。
途中にはお寺があったり、目黒叙々苑が近くにございます。
その昔、修行先に向かう際に、この坂を利用する人達が多かったといわれております。
坂マニアにはたまらないでしょう。傾斜角度がかなりあるので、登るのはかなりの労力を要します。江戸時代この道で農作物を運んだと聞いてますので、舗装されてないこの坂を荷車で登るのは大変だった事でしょう。太鼓橋の辺りからスタートします。
目黒駅から目黒川方向へ下る急坂。
かつて、大鳥神社や目黒不動への参拝に行く際に使われていた坂道。
坂の名前の由来は、坂の途中にある大圓寺にちなむもので、かつて、大圓寺周辺にたくさんの行人がいた事による。
あまりにも急坂だったため、牛車が坂を登れず、人々が苦労してたのをみて、近くに坂の緩やかな道をつくり、その事により処罰された者の名前に由来する権之助坂が直ぐ側にある。
坂の頂上からは、天気のいい日は富士山も見え、坂の途中にはホリプロがあり、坂の下にはホテル雅叙園東京がある。さらにその先は、目黒川に出る。
目黒駅から雅叙園へ下っていくかなり急な坂で、人通りも結構あります。
寛永の頃、出羽 (山形県) の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めめ、しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。
目黒川が形作った絶妙な坂ですね。東京の地形って本当に面白い。
「行人坂」なんて文学的?な名前なんだろうと思っていたら、昔、行者さんがたくさん住んでいたからついた名前なんだとか。急坂で、以前、自転車でガシガシ踏み込んで登っていたら、スポークが折れたことがあります。いつも人通りが多い坂。
江戸時代には江戸と目黒不動や目黒大鳥神社、碑文谷円融寺などへの参詣や目黒の農産物を江戸に運ぶ交通の要衝でもあり、行人坂の名の由来は17世紀前半寛永のころに出羽三山の一つ湯殿山の行者の大海法印が大日如来の堂を建て、大円寺の元を開き坂を開いた。以来、行者が多く住み、そのため行人坂と言われるようになったと伝えられている。
目黒駅から徒歩で数分の所にある。行人坂の由来は、湯殿山の行者が大円寺を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったという。また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ「行人坂火事」(1772年)と知られているそうだ。
足を鍛えるなら、ここしかない本気で足が棒になります。目黒川から目黒駅に行くには最短で行けますが. 坂を上り終えた頃には自分の足が踊ってます。途中で左にそれて、目黒通りをのぼるか? 又は目黒雅叙園に入って、少し歩いた左側に連絡通路が有り、そこに長~いエスカレーターが有るので、それが一番楽ですよ。特に夏場は歩くのもしんどいので. 夏場に、この坂をのぼるのは自殺行為です。たまに、おじいさんや、おばあさんがチマチマ歩いてますが. やめましょう涼しくなったらにしましょう高齢者は、ご自愛を. 。
ホリプロの脇にある東京でも屈指の急坂。この坂が急すぎて牛が荷をひいて登れず、それを見かねた男が近くになだらかな坂を作った。人々は喜び、やがて新坂の方がメインストリートとなった。しかし時は江戸時代。幕府に許可なく新坂を開いた男は罪に問われ、処刑されてしまった。人々はこの男の功績を忘れないために、新坂に男の名を付けた。
男の名は菅沼権之助。新坂は権之助坂として、今も市井の人に愛されている。
目黒駅から大圓寺に通じる急こう配の坂で江戸時代は雨が降ると馬ではこの坂を登れないと言われていました。その道の途中に何時もこの道を歩いている石仏ハンターの人が気が付かなかったエキゾチックな石仏を見つけたのでupします。