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鹿鳴館跡の碑

住所 東京都千代田区内幸町1丁目1
時間 00:00-24:00
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3.1 7 件の口コミ
Rokumeikan Monument
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鹿鳴館跡の碑 件の口コミ

7
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Yasutomo
23 十月 2022 7:52

ご先祖様達が賢明に努力してくれたお陰で、安全な先進国に成った。
周囲の国は我々日本人の考えとは違うから、国土を周囲の国に取られないようにしないと死後ご先祖様達に顔向け出来ない。
すでに明治時代には隣国と付き合うなと言っていた先見の明が有る人がいたから発展してきた。隣国にズブズブの議員は恥ずかしく無いのか。

眞一 KURA
04 六月 2022 17:36

石碑には、
『鹿鳴館跡
ここはもと薩摩の装束屋
敷の跡であってその黒門は
戦前まで国宝であった
その中に明治十六年鹿鳴館
が建てられいわゆる鹿鳴館
時代の発祥地となった
千代田区』と書かれている。

藤城孝孟
12 一月 2022 22:05

鹿鳴館の建物はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で、1881年に着工、1883年に完成。外国貴賓の接待(いわゆる「鹿鳴館外交」)や、華族など上流階級の人々の社交の場となり、華やかな舞踏会や祝宴が行われた。写真は明治中期の撮影。しかし成果の上がらない「鹿鳴館外交」や行き過ぎた欧化への批判が高まり、「鹿鳴館」は閉鎖、払い下げられ、1890年から「華族会館」として使用された。1927年、「華族会館」の敷地は「日本徴兵保険」(のちの「大和生命保険」、現「プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険」)に売却された。敷地内には1930年に「日本徴兵保険」の3階建てのビルが建てられたが、旧「鹿鳴館」の建物も残されていた。「鹿鳴館」の敷地は、江戸期には薩摩藩島津家の中屋敷(通称「装束屋敷」)があった場所で、「日本徴兵保険」のビルの手前には「装束屋敷」の門(通称「黒門」で当時の国宝)も見える。建物は「帝国ホテル」も近くにあり、旧「鹿鳴館」の建物は1940年に取り壊された。「黒門」は戦時中、1945年の空襲で焼失している。現在の「鹿鳴館」跡地付近の様子です。現在、「鹿鳴館」の前庭跡地は「みずほ銀行内幸町本部ビル」付近の「鹿鳴館」の建物跡地は「NTT日比谷ビル」付近、「日本徴兵保険」のビル跡地は「日比谷U-1ビル」中央付近となっている。東京ホテル」は1887年、「日比谷御門」の南東側に開業したホテル。木造2階建ての洋館で24部屋ありましたで。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町6代末孫

Yoshie
22 八月 2019 12:35

碑文だけで何もなし。
せめて、当時の写真や地図も一緒の碑だったら嬉しかったのに……。
残念です。

Ortelius
15 五月 2019 15:12

スターバックスの手前左手の壁にある説明板。

ken
27 四月 2019 23:19

グーグルマップに「鹿鳴館跡の碑」とありますように、鹿鳴館を偲ぶものは石碑しかありません。その碑には「ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であって、その黒門は戦前まで国宝であった。この中に明治十六年鹿鳴館が建てられ、いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった。千代田区」との銘文があるのみです。他のクチコミを拝見しますと、ガッカリ感や物足りなさ感を吐露されていますが、ごもっともな事でお気持ちは良く分かります。
ご参考までにご紹介させていただきますと、鹿鳴館の建物は、縮小された模型になりますけど江戸東京博物館でご覧になることができます。この鹿鳴館の設計を手がけたのは、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルです。当時、東京大学工学部の前身となる工部大学で教鞭を取っていた彼は数々の日本人建築家を育てました。東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾もその1人です。
コンドルは教鞭を取るかたわら、日本文化にも傾倒するようになり、明治14年(1881)に絵師の河鍋暁斎に入門し、鹿鳴館が開館する年(1883)には暁斎から暁英の号を授かっています。
教職を退官した後も日本に留まり、明治26年(1893)には花柳流の舞踊家(前波くめ)と結婚し、大正9年(1920)に脳軟化症により麻布の私邸で逝去(67歳)した生涯です。奇しくも、妻が11日前に亡くなっており、妻と共に文京区の護国寺に埋葬されているのです。
生涯の間に手がけた建築物は数多くありますけど、ニコライ堂、三菱一号館、旧古河邸、旧岩崎邸、などは馴染みある建物になるでしょうか。
尚、鹿鳴館を取り壊しの際に取外された階段と壁紙は、東京大学工学部建築学科に保存されていますし、シャンデリアは江東区の平井聖天(燈明寺)に売却されたようです。
ご興味をお持ちの方は、先に申し上げた建物や施設へお出掛けください。

ぽむぽむ
07 三月 2019 11:18

場所がわかりずらい。ホテルの壁の裏側。往時の面影は無いが、歴史的に残してほしい。

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