石川啄木終焉の地
住所 | 東京都文京区小石川5丁目11−7 |
電話 | +81 3-5803-1174 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/ato/takuboku.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.7 7 件の口コミ |
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石川啄木終焉の地 件の口コミ
7マンションの壁にプレートが付いていてすぐそのそばに碑が立っている。小さな資料館もあって自由に入れるようになっている。区のツアーかなんかのコースになっている様でその一団に出会した。資料館は小さいので3人くらいしか入れないのでそう言う人たちに出会したら外で説明を聞いているうちに入ってしまわないとしばらく待つ羽目になります。
「終焉の地」は、フツーの小規模なビルの一階の壁にプレートが貼られています。うっかりすると見落とします。
「石川啄木顕彰室」は、3畳位の空間に足跡が展示されています。
「終焉の地歌碑」は、「顕彰室」のすぐ横にあります。
石碑のすぐ横に資料館が併設されている。平成27年につくられた模様。クーラーもきいており快適。石川啄木の書簡の複製などが見られる。
1911年8月から1912年4月まで住む。喜之床で下宿していた頃から慢性腹膜炎に罹っていた啄木だったが、ここへ来て当時不治の病であった結核に罹る。
北海道から呼んでいた母カツが結核により死亡すると啄木はより衰弱し、その後すぐに昏倒した。
彼の友人であった金田一京助らが駆け付けた際には、一時的に容態が安定したものの、金田一らが帰宅した直後に昏睡状態となり死亡。享年26歳。
春日通りからマンション街に入って、普通のマンションの外壁に、東京都教育委員会が掲示した一枚のプレートがあるだけ。
明治が終わる最後の年の四月、26歳の石川啄木は、父や妻、そして若山牧水に看取られながら、貧窮のなか結核で死去した。
啄木の短歌も、いまどのくらいの読者がいるのかわからないが、残っている写真から想像される真面目そうな内向的そうな性格ではなく、かなり問題のある人間性も含めて、興味深い人物であるには違いない。
すぐとなりのマンションの1階に、「石川啄木顕彰室」があるので、こちらもお立ち寄りください。