江戸城 日比谷見附跡
住所 | 東京都千代田区日比谷公園1 |
電話 | +81 3-3501-6428 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.tokyo-park.or.jp/park/format/view037.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.9 7 件の口コミ |
Remains of Hibiya Turret of Edo Castle | |
最寄りの枝 自由の鐘 — 1-6 Hibiyakoen, Chiyoda City, Tokyo 100-0012 赤門(旧水戸藩江戸上屋敷中仕切門) — 東京都文京区後楽1丁目6 得仁堂(小石川後楽園) — 東京都文京区後楽1丁目6 大正記念館(予約制) — 東京都江東区清澄3丁目3−9 大正記念館 |
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江戸城 日比谷見附跡 件の口コミ
7 江戸城外郭城門の1つである日比谷御門跡。
石垣の一部が見事に遺構として残っています。
石垣上部にはベンチが多数あり憩いの場、心字池を見下ろす静かなスペースがあります。
都心なのか鳩は逃げず、池で休んでいたサギも逃げませんでした。
日比谷公園の門を過ぎて直ぐ左手に石垣が目に入る。かつて江戸城の外堀に面していた見附の一つである。慶長年間に肥後熊本藩加藤広忠 (加藤清正の子) によって建築され、更に仙台藩伊達政宗により建てられた歴史ある石垣である。
日比谷御門の一部の石垣が残っています(写真をUpしています)
この石垣の先は、江戸時代の地図を見ますと、内山下堀と呼ばれているところとつながっていました。この堀が現在の「心字池」になります。
日比谷公園が綺麗な長方形ではなく、北側の幅が広い形になっているのは、日比谷見附の石垣を残すためだったのかな?と思います。知らないとただの石垣に見えますが、江戸城を警護する36見附の一つ、日比谷見附の跡なのです。そもそも、日比とは漁のための竹を立て並べたもののこと。江戸時代にはこの場所は入江だったわけです。心字池とはこの入江を残したものだそうです。今は、石垣だけ残っていますが、石垣の上にはベンチもあるので、のんびりと時間を過ごすには最適な場所ですね。
江戸城の内曲輪門のひとつ「江戸城日比谷見附跡」。江戸城三十六見附のひとつに数えらている。
1627年(寛永4年)に安芸広島藩の藩主・浅野長晟によって石垣が、1629年(寛永6年)陸奥国仙台藩の藩主・伊達政宗によって枡形門が造られた。
見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って、主に36の見附があったそうです。見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っています。城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。当時、石垣の西側は濠となっていました。