JAPANRW.COM

江戸城 日比谷見附跡

住所 東京都千代田区日比谷公園1
電話 +81 3-3501-6428
時間 00:00-24:00
サイト www.tokyo-park.or.jp/park/format/view037.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3.9 7 件の口コミ
Remains of Hibiya Turret of Edo Castle
最寄りの枝
自由の鐘 — 1-6 Hibiyakoen, Chiyoda City, Tokyo 100-0012
赤門(旧水戸藩江戸上屋敷中仕切門) — 東京都文京区後楽1丁目6
得仁堂(小石川後楽園) — 東京都文京区後楽1丁目6
大正記念館(予約制) — 東京都江東区清澄3丁目3−9 大正記念館
近くの同様の会社
日比谷公園 — 東京都千代田区日比谷公園1−6
近代ボウリング発祥の地 — 東京都港区北青山2丁目8−44
皀角坂(さいかちざか) — 東京都千代田区神田駿河台2丁目11
法務省旧本館 赤れんが棟 — 東京都千代田区霞が関1丁目1

江戸城 日比谷見附跡 件の口コミ

7
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
おやじ少尉
01 五月 2022 6:04

江戸城外郭城門の1つである日比谷御門跡。
石垣の一部が見事に遺構として残っています。
石垣上部にはベンチが多数あり憩いの場、心字池を見下ろす静かなスペースがあります。
都心なのか鳩は逃げず、池で休んでいたサギも逃げませんでした。

中澤大輔
20 四月 2022 23:02

日比谷公園の門を過ぎて直ぐ左手に石垣が目に入る。かつて江戸城の外堀に面していた見附の一つである。慶長年間に肥後熊本藩加藤広忠 (加藤清正の子) によって建築され、更に仙台藩伊達政宗により建てられた歴史ある石垣である。

Kenji
09 六月 2021 11:10

日比谷御門の一部の石垣が残っています(写真をUpしています)
この石垣の先は、江戸時代の地図を見ますと、内山下堀と呼ばれているところとつながっていました。この堀が現在の「心字池」になります。

緑鴎
02 一月 2021 6:04

日比谷公園が綺麗な長方形ではなく、北側の幅が広い形になっているのは、日比谷見附の石垣を残すためだったのかな?と思います。知らないとただの石垣に見えますが、江戸城を警護する36見附の一つ、日比谷見附の跡なのです。そもそも、日比とは漁のための竹を立て並べたもののこと。江戸時代にはこの場所は入江だったわけです。心字池とはこの入江を残したものだそうです。今は、石垣だけ残っていますが、石垣の上にはベンチもあるので、のんびりと時間を過ごすには最適な場所ですね。

大越雄彌
29 四月 2020 18:57

江戸城の内曲輪門のひとつ「江戸城日比谷見附跡」。江戸城三十六見附のひとつに数えらている。

1627年(寛永4年)に安芸広島藩の藩主・浅野長晟によって石垣が、1629年(寛永6年)陸奥国仙台藩の藩主・伊達政宗によって枡形門が造られた。

Kei
19 十二月 2019 21:39

見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って、主に36の見附があったそうです。見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っています。城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。当時、石垣の西側は濠となっていました。

Hiroki
04 七月 2019 15:42

石垣が大好きなので少し寄ってリラックスしました。日比谷公園の一角。池と緑地があってベンチがたくさんあります。月曜の昼でしたが全く混んでない心地良さが良い。皇居は道を渡ってすぐなので、日比谷ゴジラをみてここでまったりして皇居見物に行かれてはいかがでしょうか?

レビューを追加