勝海舟邸跡
住所 | 東京都港区赤坂6丁目10−41 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.9 9 件の口コミ |
Former Site of the House of Kaishu Katsu | |
近くの同様の会社 日比谷公園 — 東京都千代田区日比谷公園1−6 近代ボウリング発祥の地 — 東京都港区北青山2丁目8−44 法務省旧本館 赤れんが棟 — 東京都千代田区霞が関1丁目1 北町奉行所跡 — 東京都千代田区丸の内1丁目8 |
勝海舟邸跡 件の口コミ
9 以前からTVで知っている場所でしたが、行く事はないか、、と思っていたら、
数年後、偶然通りかかりました。氷川神社から氷川坂を下ってきたら角に見たことある建物!
特に、何もありませんが思いを馳せるには良い場所です。
たまたま歩いていたら、道路にハミ出て撮影しているおじさんがおり見つけました!
おじさんから結構離れていましたが、撮影の邪魔するなよ! みたいな感じで睨みつけられました!
車がそこまで通らないため道路の真ん中で撮影もいいてすが、他の通行人の方に迷惑だけは掛けないでください!
勝海舟邸あとです。
碑のみで建物の面影はありませんが
六本木にも近く、東京ミッドタウンから数分の場所であるにも関わらず、静かな住宅街の一角であることや、起伏のある地理が江戸当時を偲ばせます。
赤坂駅から徒歩で10分程度要す。標識によると、ここは幕臣・勝海舟の旧宅跡で1859年から明治元年(1868年)までをこの地で過ごしたとか。勝海舟の一番の功績は「江戸城の無血開城」では無いでしょうか。官軍の大将、西郷隆盛との池上本門寺会談で江戸の戦火を防ぎました。勝海舟は道中に寄った洗足池の風景が気に入ったらしく、別荘を建て、遺言により夫婦の墓所も有る。
地図を見ながら…もう1つの目的地に行く途中に勝海舟邸と表示あり立ち寄りました。邸とあるので建物が在ると確信してましたら、無かったです。お向かいのマンションの方か管理人さんみたいな方が何かお探しですか?と聞いて頂いて…勝海舟邸跡が判明しました。
ソフトタウン赤坂という建物のところに木碑と説明版があるのみです。
勝海舟がこの地に住んでいた時期は説明版によると安政6年 (1859年) から明治元年 (1868年の十年間、勝が生涯で最も活躍した時期でした。
こちらに住んだ翌年、日米修好通商条約の批准をワシントンで行う為に品川から咸臨丸で出航しました。その間に桜田門外の変が起こりました。
文久2年 (1862) には坂本龍馬が松平春嶽の紹介状を持ち、当時軍艦奉行並だった勝に面会する為にこちらの屋敷を訪れました。
又、慶応4年 (1868年) 幕府陸軍総裁として江戸城無血開城の談判を西郷隆盛と行う為、勝はこの場所から赴きました。
近くには勝海舟と坂本龍馬の師弟像がありました。
場所は離れますが隅田区の両国公園内に勝海舟生誕の地記念碑があり、勝海舟幕府絵巻や記念写真の撮影出来る椅子があります。
勝海舟の家は、元氷川坂の下に、そして氷川神社はその上部にあります。普通、有名な武士の邸宅は、山の手にあるのですが、庶民の住む底部に近いところに居を構えるのは勝海舟らしいなと思いました。元氷川坂を上って氷川神社に行く道が風情があっていいコースです。
赤坂には勝海舟関連の地が3箇所ある。
1:赤坂田町中通りの家(勝塾としても知られる)
弘化3年春に移転(麟太郎24歳)。
現:赤坂3丁目13番地2号みすじ通り辺り。
2:赤坂本氷川(氷川神社裏手の崖下、盛徳寺の隣)
現:赤坂6丁目10番39号。
安政6年7月に移転(麟太郎=海舟37歳)
*地図上に示された地点はこの2のことである。
坂本龍馬が訪問したとされる家。
3:赤坂氷川町4番地。
明治5年(海舟50歳〜明治32年1月19日77歳まで)。
現:赤坂6丁目6番地14号。
旧:氷川小学校、現:区立特別養護老人ホーム、
こども中高生プラザ。