明治生命館【国指定重要文化財】
住所 | 東京都千代田区丸の内2丁目1−1 |
電話 | +81 3-3283-9252 |
時間 | 09:30-19:00 |
サイト | www.meijiyasuda.co.jp/profile/meiji-seimeikan |
カテゴリー | 史跡, Heritage building |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Meiji Seimei Kan | |
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明治生命館【国指定重要文化財】 件の口コミ
7 明治生命保険相互会社本社本館は、昭和9年 (1934) に建設された鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階地下2階建のオフィスビルで、日比谷通りの東側、皇居馬場先濠に西面して建っている。2階から6階までのコリント式オーダーの列柱を並べ、2階から8階までは縦長の窓、1階はアーチ窓としている。堂々たる風格の洋風建築で、明治期以降に洋風意匠を導入した我国の建築の一つの到達点と高く評価されており、昭和期に建てられた建造物としては初めて重要文化財に指定された。設計監理は岡田信一郎と弟の捷五郎である。
主な文化財(建築物)は下記
・明治生命保険相互会社本社本館
明治生命館は、1934年(昭和9年)3月、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工しました。設計は当時の建築学会の重鎮であった東京美術学校(現、東京芸術大学)教授岡田信一郎氏(※)です。古典主義様式の最高傑作として高く評価され、わが国近代洋風建築の発展に寄与した代表的な建造物と言われています。
1945年(昭和20年)9月12日から1956年(昭和31年)7月18日までの間、アメリカ極東空軍司令部として接収され、この間、1952年(昭和27年)まで2階の会議室が連合国軍最高司令官の諮問機関である対日理事会の会場として使用されました。マッカーサー総司令官もこの会場で開催された会議に何回も出席しています。
1997年(平成9年)5月29日、文化財保護審議会の答申によって、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。
重厚な建物。荘厳な雰囲気がある。古典様式のオフィスビルの最高傑作のひとつ。昭和9年竣工。国の重要文化財。昭和期に完成した建物としては初の重要文化財登録であった。
戦後、GHQに接収され、対日理事会が開かれた。マッカーサー元帥もここに足を運んだという。明治生命のみならず、日本の歴史の舞台になった場所だ。昭和9年の完成から大空襲を乗り越え、80年以上の長きに渡って街を見守り続けている。時間がなかったので中は見学できなかったが、又の機会に訪れたい。
重厚としかいいようがない建物。奥に両開きに開くタイプの自動ドアが二重になっており、建物に足を踏み入れた途端に全くの異空間に入ったような印象に。建物のかたまり感というか膨大な質量の感覚に圧倒されます。
日比谷通りに面したビル群の中でもひときわ重厚で威厳に満ちた外観の明治生命館。
戦後11年間はGHQに接収され、対日理事会の会場にもなった。
今年の秋には、世田谷にあった静嘉堂文庫美術館がこちらの1階に移転されるらしく、館内の一般公開はしばらく休止との事。
かつて、この場所には名作として知られた三菱二号館があり、明治28年竣工からわずか35年で取り壊しての新築だったらしい。。
設計者、岡田信一郎氏のプライドをかけた一作
悔しくも彼の遺作となってしまったが、弟の捷五郎氏に引継ぎ完成された。
その館が、明治から目指して来た日本の様式建築の到達点と称されているのだから、胸アツ過ぎる。
とても上品な雰囲気があった静嘉堂文庫美術館が、この歴史ある館で開館するなんて‥
また新しい歴史を刻んでいくんだな。
この秋をとても楽しみにしている
3年7ヶ月の建設期間を経て、
1934年竣工/岡田信一郎氏 設計
1997年 国の重要文化財に指定
2004年 隣接地に「明治安田生命ビル」竣工(明治生命館、全体保存)
「明治生命館」
2016年に披露宴に招待されて行ってきました。大変重厚な建物で見ているだけでも飽きません。内装も素晴らしくて、初めてこういう場所に来た子供たちも感激していました。
この明治生命館が竣工したのは、1934年(昭和9年)3月のことです。戦時中の金属回収、東京大空襲、そして終戦後にはアメリカ極東空軍司令部(FEAF)として使用するためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会(ACJ)の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館には、その重ねてきた時間の重厚さが漂っています。