有章院霊廟二天門
住所 | 東京都港区芝公園3丁目3 |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Yusho-in Reibyo Nitenmon Gate | |
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有章院霊廟二天門 件の口コミ
7 愛宕神社から増上寺に向かって歩いていて、初めて見ましたが色鮮やかで素敵な門でした。増上寺には何度も訪れていますが、少し離れているので気付きませんでした。
外国の方々も写真を撮られていました。
戦災で焼けた7代将軍徳川家継の霊廟の残存。家継が満6歳で死んで宗家が絶えた将軍家は紀州から吉宗を迎えることになるのだが、吉宗は無駄に一代毎に建てていた霊廟の建築を中止した。すなわち有章院(家継の法名)が最後の霊廟となるのだが、現存していれば増上寺は霊廟だらけの景観(隣接して6代家宣の文昭院霊廟、増上寺本堂を挟んで南側に2代秀忠の台徳院霊廟)であったろう。往時を想像するには日光の三代家光の大猷院霊廟が唯一完存しているので参考になるが、おおむね二天門、勅額門、中門、御霊屋(権現造)、唐門、拝殿、中門、宝塔(墓塔)と並んですこぶる壮観であった。以前何度か訪問した際は排ガスにまみれ塗装もはげてボロボロだったがようやく塗りなおされたみたいだ
とてもきれいに塗装されていて、ぱっと見歴史を感じませんがとんでもない!戦時の空襲でほとんどの建物が焼け落ちている中、残っている数少ない当時の建造物です。重文指定。
西にプリンスホテルがありますが、空襲前はそこに徳川家の墓所があり、この二天門はその入り口にあった門。有章院とは徳川七代将軍家継その人です。
東京プリンスホテルの敷地内ですが、地下鉄御成門駅地上出口のすぐそばにあります。
長らく古色蒼然としていましたが1年ほど前に全面改築が完成し、創建当時の色かたちを観ることができます。
元来は近くの増上寺境内の建築物だったのが恐らく明治になって切り離されてここにあるのでしょう。
芝公園近辺の散歩には欠かせないグランドマークです。
東京プリンスホテルの敷地内に国指定重要文化財である「有章院 (徳川家継) 霊廟二天門」がありますが綺麗です。
東京都文化財情報データベースによれば
『有章院は、幼くして亡くなった江戸幕府の第7代将軍徳川家継の院号です。その霊廟が享保 2年(1717)第8代将軍徳川吉宗により建立され、豪華さは日光東照宮に劣らないとも伝えられますが、昭和20年(1945)の空襲により、この二天門を残して全て焼失しました。有章院霊廟の唯一の遺構として、貴重な建物です。
有章院二天門は、全体は総朱漆塗ですが、組物や垂木など一部を黒漆塗として引き締めています。正面中央には両開きの桟唐戸が入り、両脇2間には二天像を安置しています。』とあります。
「有章院霊廟(ゆうしょういんれいびょう)」は、1717(享保2)年「増上寺」に造営された「みたまや(霊を祀った建物)」だが、1945(昭和20)年の空襲で大部分が焼失したという。唯一空襲を免れた「二天門」は、「日比谷通り」に面した「東京プリンスホテル」敷地内で、国指定の重要文化財としてその姿を見せている。暫時は塗りが剥げ落ち老朽化した無残な姿を曝していたが、2015(平成27)年から約3年をかけて大規模保存修理が行われ、面目を一新した。構造は「3間1戸8脚門」「切妻造(きりづまづくり/最頂部から両側に葺き下ろす形状の屋根を持つ建物)」で、両脇二間に四天王の北方を守る仏法守護「多聞天/毘沙門天」と西方を守る仏法守護「広目天(こうもくてん)」を安置した建造物だ。なお「有章院」とは、4歳で将軍となり8歳で亡くなった七代将軍「徳川家継(いえつぐ)」(1709/寶永6年~1716/正徳6年)の諡号で、墓所は1958(昭和33)年の発掘調査後、「増上寺 安国殿」裏の「徳川家霊廟」に改葬されたという。