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八卦堂跡

住所 東京都文京区後楽1丁目6−6
電話 +81 3-3811-3015
時間 09:00-17:00
サイト www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3 6 件の口コミ
Site of Hakkedō Pavilion
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自由の鐘 — 1-6 Hibiyakoen, Chiyoda City, Tokyo 100-0012
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八卦堂跡 件の口コミ

6
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野村嘉幸
02 六月 2023 16:09

小石川後楽園内にあります。関東大震災で焼失したそうで残念です。

尾方隆志
04 二月 2023 17:05

高台に基礎のみ残っており、アベックがなんだコレと言っていた。案内によると光圀公ゆかりのお堂で、大正十二年の関東大震災で焼失したとのこと。

???こう
10 一月 2022 19:07

よぉ解らんけぇスルーしとった ('ω') ≡3ーッ

Kei
02 一月 2020 13:27

光圀公がまだ幼かった頃、徳川家光将軍と謁見した際に、中国の学問の神様である文昌星像をいただいたそうですが、その像を安置するために造ったのが八卦堂だそうです。八卦堂は関東大震災で焼失してしまい、現在は石の台座が残るのみとなっています。

Jinpei
31 十二月 2019 11:51

水戸光圀公が7歳の時、将軍徳川家光に謁見したおり「文昌星」像を賜ったそうです。後に光圀公は文学を好むようになり、文昌星を思い起こし八卦堂を作り、その像を安置したと言います。
八卦堂は大正12年の関東大震災で焼失してしまいました。
今は建物の基礎部分と灯籠の土台、延段が残される飲みですが、八角形の基礎部分に8本の柱が立っていた窪みを見ることができます。

masayoshi
10 八月 2019 5:29

建物はなく八角形の石の基礎があります。
角の石は八角形の角度に削られていて、当時の技術が垣間見えます。
正面に手洗いがありますが、空中にあるような造りになっていて・・ちょっと面白いです

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