久米平内堂
住所 | 東京都台東区浅草2丁目3 |
電話 | +81 3-3842-0181 |
サイト | www.senso-ji.jp |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.5 4 件の口コミ |
Kume no Heinai-dō | |
最寄りの枝 |
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久米平内堂 件の口コミ
4 宝蔵門の手前右手にある
小さなお堂で、縁結びスポットです。
祀られる久米平内は、
剣の達人で多くの人の命を奪いました。
自分の像を境内に埋めて
多くの人に踏みつけられることで
殺した人達への供養としました。
後に「踏みつけ」が
文付け(恋文)に通じることから、
願文を納めると恋が成就すると 言われるようになりました。
久米平内堂を訪れ、不思議な感覚に包まれました。その独特な建築様式と美しい彫刻は、まるで異世界に足を踏み入れたような気分を味わいました。壁や天井に描かれた色とりどりの模様は、幻想的な世界への扉を開いているようで、見るたびに新たな発見がありました。内部に広がる神秘的な雰囲気は、時間と空間を超えた旅に連れて行ってくれるようでした。久米平内堂は、日本の古代からの知恵と芸術が融合した場所であり、その存在は私に奇妙な感銘を与えました。訪れた人々も、その不思議な空間に引き込まれ、何か特別なものを見つけたような表情を浮かべていました。この堂内で感じた不思議な気持ちは、言葉では表現しにくいものであり、心に深く刻まれた貴重な体験となりました。
久米平内石像で世に知られた平内堂は、昭和20年 (1945) 3月の戦災で焼失。現在のお堂は同53年10月浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進したものです。
『贈訂武江年表』 (東洋文庫) に、平内は天和3年 (1683) に没したとあるが、その生涯について諸説があるようです。
平内堂には次のような伝承が。平内は剣の道にすぐれ、多くの人を殺めた。その供養のため、仁王座禅の法を修行し、後年、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこみ、自らの座禅の像を刻ませ、お堂に祀りました。臨終にのぞみ犯した罪を償うため、この像を人通りの多い浅草寺境内に埋め、多くの人に踏んでもらい、その後、お堂に納めたといいます。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸中期以降、特に縁結びの神として庶民の信仰を集めました。
なお、平内の墓は文京区海蔵寺にあります。