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志村一里塚

住所 東京都板橋区志村1丁目12−16
時間 00:00-24:00
サイト www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/052/052614.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.2 6 件の口コミ
Shimura Ichiri Milestone
最寄りの枝
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近藤勇の墓 — 東京都北区滝野川7丁目8−10
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志村一里塚 件の口コミ

6
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Mariko
11 一月 2023 21:01

都内に残る一里塚は志村と西ヶ原の2箇所らしい。西ヶ原と比べると小さいなぁと思っていたが、希少な史跡ではあった。

岡本高志
02 十月 2022 9:41

数少ない喫煙場所として、近くを通った時に利用しています。

max
02 十月 2021 5:10

都内に残る一里塚の一つ。
西ヶ原の一里塚が雰囲気が良かったので期待して訪ねてみましたが、道幅がかなり広く現在の主要国道の印象が勝っている感じでした。

松雄楊
06 七月 2021 2:07

中山道に遺る一里塚。見事に遺っていて、納得の国史跡。ここに辿り着くと一里塚に魅入ってしまいます。

中松拓也
09 五月 2021 5:09

志村一里塚
江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年 (一六四) 二月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、五間 (約九m) 四方、高さ一丈 (約三m) の塚が江戸日本橋を基点として一里 (四㎞弱) ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。

志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第三番目の一里塚として築かれたもので、天保元年 (一八三〇) の「新編武蔵風土記稿』では「中山道往還の左右にあり」と紹介されています。

幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年 (一八七六) に廃を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚は昭和八年から行われた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。

今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、都内では北区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正十一年 (一九二二) に国の史跡に指定され、昭和五十九年に板橋区の史跡に登録されました。

平成十七年三月
板橋区教育委員会

岡田修一
20 三月 2020 6:46

都内には志村と西ヶ原にのみ残る一里塚。
ともに、道路拡幅のため、改めて整備し直されたのかな。
説明板見る限り、昭和8年までに整備し、いまに至っているようです。
しかし、一里塚撤廃の命令が出ていたなんて知りませんでした。
小さい時、よくこの辺りまで探検に、高校時代は通学経路だったので、懐かしい場所でもあります。

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