熊野神社(荒藺ヶ崎)
住所 | 東京都大田区山王3丁目43−11 |
電話 | +81 3-3774-2980 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.tokyo-jinjacho.or.jp/ota/5371 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.3 7 件の口コミ |
最寄りの枝 馬込八幡神社 — 東京都大田区南馬込5丁目2−11 大森神社 — 東京都大田区大森北6丁目32−12 子安八幡神社(仲池上) — 東京都大田区仲池上1丁目14−22 大森貴舩神社 — 東京都大田区大森東3丁目9−19 |
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熊野神社(荒藺ヶ崎) 件の口コミ
7 住宅街に溶け込むように存在する神社。
最寄り駅のJR大森駅からだと、池上通りを徒歩10~15分程度。
MEGAドン・キホーテの少し先、日蓮宗善慶寺の境内に入ると、本堂脇に鳥居があり、その先のとても急な石段を登ると拝殿があります。
境内自体はさほど広くはありませんが、思いのほか巨大な樹木が上空を覆うように茂り、一帯は不思議なほどの静寂感に満ちています。
初詣や例大祭などには地域の人たちが集まり、ここが深く地域に根付いている神社であると感じます。
大森山王の高台、木々が鬱蒼と茂る鎮守の森に鎮座される神社で、舞殿、境内社、石碑などがあり、立派で格式があります。
荒藺ヶ崎(あらいがさき)の熊野神社は、元亨年間(1321年〜1323年)の創建と伝えられ、江戸時代に出版された新編武蔵風記に記載されています。本殿は、昭和44年 (1969) に改築されたコンクリート製で新しいものですが、舞殿、燈篭、狛犬は古いものです。
(2022年8月初旬再訪)山王台地の東端高台、室町時代に北条氏の家臣であった梶原氏が築いたとされる新井宿城があったと伝えられる場所に祀られている熊野神社。1年半ぶりの参拝ですが、時の流れに影響されない修久の厳かさがあります。境内では、職人さんが建造物の補修をされていました。石段脇で文政七年(1824)三月に氏子中が建てた石坂再建供養塔を見かけました。いつの時代になっても、氏子の方々が神社を大切に守ってこられた歴史を感じます。
『あらいがさき』と読みます。境内の東西からは直接拝殿前にアクセスできますが、南側の善慶寺から石段を上るのが表の参道。向かって左 (西) が男坂、右 (東) が女坂で、女坂の途中に『衆善稲荷』。
御朱印を頂きに参拝。
山王の台地上の端に位置していて、麓から一気に急階段を登ると拝殿が現れます。
麓からだとまず善慶寺という日蓮宗のお寺の山門を潜り、それから熊野神社の鳥居を潜るという独特の体験が出来ます。
光景としても面白いです。
創建は不明ですが、元亨年間 (1321年〜1323年の鎌倉時代後期) の書物に名前が現れることから、それ以前の創建は間違いないようです。
池上通りから善慶寺を通ってその奥の山王の丘の上にあります。
善慶寺側から参拝すると急坂の参道を登り雰囲気がありますが、裏手は山王の住宅街に抜けるようになっていて車でも近くまで行けるので拍子抜けしてしまいます。
木原山に鎮座するすごいパワーを感じる古社。木原氏が一帯を治めたのは江戸時代。ここに熊野を持ってきたのは鎌倉時代、梶原氏とも言われている。が、平将門の乱の鎮圧の際に藤原恒望に従った熊野五郎武通が熊野神社に戦勝を祈願したという伝説がある。伝説というのは単なるでたらめではないことがとても多い。伝説がまま真実であれば940年頃には既にここは存在したことになる。