柄鏡形敷石住居跡
住所 | 東京都国分寺市本町4丁目17−9-8 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4 2 件の口コミ |
Mirror-Shaped Paving Stone Dwelling Site | |
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柄鏡形敷石住居跡 件の口コミ
2佐竹勝義
07 一月 2021 3:33
国分寺崖線の崖の上には、縄文遺跡がたくさん発見されていますが、この遺跡もその一つで、縄文時代中期、約4千年前の住居跡で、住居の形が手で持つ柄鏡の形をしており、また、河原石を敷き詰めているのが特徴で、柄鏡形敷石住居跡と呼ばれています。
この地方の当時の縄文土器は、勝坂式土器と呼ばれており、特徴ある造形をしています。
縄文時代が終わり、次の弥生時代になると遺跡は皆無に近い状態になります。
このあたりは、水が少なく、農業には適さなかった為でしょうか。
本格的に農地が開かれたのは、時代が大きく下り、江戸時代になり、玉川上水が開通し、多くの分水路が出来るまで待つこととなったようです。