どんどん橋
どんどん橋 件の口コミ
6清水俊一
11 六月 2023 19:59
旧人見街道が玉川上水に架かっていた橋で、上水に対しほぼ直角に架かっていて、現人見街道の牟礼橋から見ると煉瓦作りのアーチが見て取れ欄干低さも時代を感じさせる。
凩凪むぺる
08 一月 2023 3:19
人見街道 (杉並区大宮八幡神社~府中市大國魂神社) を通行した人はこの橋 (街道開通当初は木橋だと思う) を往来していたことであろう。
江戸時代に江戸市中の水を確保するために造られた玉川上水、これに架かるどんどん橋(築年不明の石橋だが橋の袂に、宝暦7 (1757) 年11月石橋供艱之碑が建之されている)は両岸の遊歩道とあわせて武蔵野の風情たっぷりでとても美しく清々しい。
この玉川上水は羽村取水堰~四谷大木戸の43kmで92mの標高差、100mで僅か21cmの標高差ということになる。ほとんど勾配がない所を通している。江戸時代の土木技術の高さに驚かされる。
落合真史
26 十一月 2021 11:05
昔の橋が残っている"どんどん橋"名の由来は橋桁に水流が勢いよく当たり"どんどん"と音がするからであると伝える!
小河内ダムが完成し羽村の取水路が閉じられ昔"人喰い川"と呼ばれた玉川上水も見る影もなくなった自殺や水難で多くの人が犠牲になり、兵庫橋に1952年水難慰霊碑が建てられた。
記憶に寄れば1959年だったか幼い三姉妹が入水自殺したのが最後だったと思う。
一年350日上水緑道を浜田山から三鷹駅まで往復ウォーキングを日課にしていたので、毎日毎日毎日どんどん橋を通る放射5号線ができ驚くほど様変わりしたどんどん橋附近、大欅だけは残されたが時代は日々変わっていく、昭和は遥かに遠くなってしまった、気が付けば80歳を超える爺になった