北町奉行所跡
住所 | 東京都千代田区丸の内1丁目8 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.4 8 件の口コミ |
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北町奉行所跡 件の口コミ
8 東京駅をさまよいながらやっとたどり着けました。
本当にビルとビルの間にありました。
基礎と言うか土台の一部しかありませんが、あったんだと思うと感慨深いものがありました。
この地域は、江戸時代には呉服橋門内と呼ばれ、文化3年 (1806) から幕末まで北町奉行所が置かれていました。町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに幕府の三奉行のひとつで、今の有楽町駅前にあった南町奉行所と、ここ北町奉行所の二か所に分かれて交代で町人地の行政・司法・警察の職務を担っていました。名奉行として有名な遠山左衛門尉景元は、天保11年から14年 (1840-1843) まで当所で執務をしていました。
平成12年からの発掘調査では、北町奉行所の上水道や井戸、屋敷境などの遺構が発見されました。ここに復原した石組みの溝は、ここから西方約30mの地点で発見された、屋敷北東角の道路との境を巡る下水溝の一部です。この遺構は、本来3~4段の石積みであったものと思われますが、発見された時は最下段を残すのみでした。溝の角石が切り取ってあるのは、邪鬼が進入する鬼門である艮 (うしとら: 丑寅) の方角を防護するための呪術的な意味を示すものとされています。
〇北町奉行所跡の石組
この石組は北町奉行所跡の北東角の道路との境にあった下水溝の一部らしいです。角石が切りとってあるのは、鬼門である丑寅の方角を防御するためとのこと。
【ポイント】
・角石
〇北町奉行所跡碑
グラントウキョウノースタワー前に北町奉行所跡碑があるので要チェック。
〇南町奉行所跡
有楽町駅周辺にあるのでこちらも要チェック。
大きな看板はありませんが、昔を忍ばせるかけらです。
今は時代劇は廃れていますが、その昔、"遠山の金さん"等番組が放送されていたときは、人の散策は、多かったです。
江戸時代の奉行所です。月別で北町と南町に別れています。
休みの月は書類整理や残した仕事をするとか
1000000人を越える人口をたった100人の与力と同心で解決するわけですからとても事件を調べられる訳がありませんね。
それに今の警察機能だけを執行するだけでなく、行政や区役所みたいな仕事までするのですから
大変な仕事量の役所だったんです。
ですから江戸の町の境目辺りにはゴロツキや悪人が蔓延っても手が出せない状態になりました。
品川と南千住には処刑場を作り見せしめに刑を執行しましたが、事件は絶えず起こりました。
平成29年10月22日日曜日
台風の影響があるこの日に訪問しました。ビルの谷間にありますので、ちょっと解りづらいかもね。江戸時代にここには奉行所があったとは信じられません。一度おいでやす。
1601年当地に設置され、その後移転を切り返し1806年に当地に戻る。南町奉行所と月番で業務を行っていた。
場所が分かりにくくトラストシティN館の東側にある植え込みの中にあります。東京駅構内に石碑があったのですが現在では撤去されています。有楽町駅中央口前に南町奉行所跡があるのでそちらもぜひ行ってみては?