高安寺
住所 | 東京都府中市片町2丁目4−1 |
電話 | +81 42-361-2229 |
サイト | www.kankou-fuchu.com |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.7 3 件の口コミ |
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高安寺 件の口コミ
3 東京都下は府中市に有ります古刹「高安寺」です。
この寺は様々な時代の、超の付く有名人に関わりが有り、非常に興味深い古刹です。
時系列に明記してみます。
まず創建年は不明ながら、平安時代に藤原秀郷の居館がこの場所に有りました。その後、藤原秀郷の居館跡に寺を普請し「見性寺」としました。高安寺の旧名称です。それがここ高安寺の始まりとされています。平安時代が草創ですかね。
(因みに藤原秀郷は、平貞盛と共に「将門の乱」を鎮圧し、平将門を討った人物です)
また見性寺という名称の頃の鎌倉時代元年の1185年には、源頼朝の怒りを買い鎌倉入りを禁止され京に引き返す途中の源義経と弁慶が、この寺に立ち寄り頼朝からの赦免を祈願し写経をしています。
南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の戦いの際に、この寺に本陣を構えたとか。
そして同じく南北朝時代に足利尊氏が開基として、名称を高安寺に変更した様です。
足利尊氏の旧名「高氏」から一文字取り高安寺とした様です。
凄いですね。
藤原秀郷、源義経、武蔵坊弁慶、新田義貞、そして足利尊氏。そうそうたる歴史上の人物がこの地に関わっています。
また戦国時代には小田原北条氏の篤い庇護をこの寺は受けました。そして小田原北条氏滅亡後の江戸時代に、この地は最終的に徳川家康の家臣であった高林【市左衛門】吉利という武将(府中領の最初の代官)に所領として拝領されました。その後、四代で100年ほど高林家がこの地を治めました。
そして、ここ高安寺は新田義貞をはじめ様々な武将が陣を敷いた事から「高安寺城(城跡)」という別の顔も持っています。
見どころは非常に立派な山門でしょうか。複雑かつ緻密に組み立てられた建物は、ずっと見ていても飽きる事は有りません。素晴らしい。
ここまで美しい山門はなかなか有りません。
因みに、山門の天井には龍の絵が画かれていました。
(山門自体はそれほど古くは無く、明治時代の普請との事です)
あとは、源義経と弁慶が滞在した際に弁慶が水を汲んだとされる古井戸が寺の一番奥に有ります。
樹齢数百年の感じの大樹も数本有ります。
この古刹も行って損無しです。これ本当です。
文句無し星5つですね自分は。
是非にブラリと散歩してみましょう。
019.11.19
1300 年代に始まり、室町幕府時代の将軍、足利尊氏によって建てられました。
多摩地域を代表する寺院の一つであり、境内には文化財に指定されている史跡が数多くあります。
高安寺は観音菩薩を祀る「元通閣」と釈迦牟尼菩薩を祀る「唐智院」に大きく分かれており、このうち元通閣は2018年18日に一般公開され、参拝が行われる。統一院は平日は開門しており、法話会開催時のみ一般の参拝が可能です。