旧小坂家住宅
住所 | 東京都世田谷区瀬田4丁目41-21 | ||||||||||||
電話 | +81 3-3709-5471 | ||||||||||||
時間 |
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サイト | www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/152/d00128402.html | ||||||||||||
カテゴリー | 史跡, 観光名所 | ||||||||||||
評価 | 4.4 7 件の口コミ | ||||||||||||
Former Kosaka Residence | |||||||||||||
最寄りの枝 |
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旧小坂家住宅 件の口コミ
7 世田谷区瀬田の国分寺崖線沿いの斜面の上にあります。庭園はほとんどが斜面にあります。
この住宅は、昭和初期に新聞社社長や国会議員を務めた小坂順造の別邸として建てられたものです。
見学は無料でできます。住宅の中は結構広いです。和洋折衷がなかなか素晴らしく、当時の実力者ならではと思える住宅です。
駐車場はありません。国分寺崖線に沿ったこの辺りは史跡が多くあるので、二子玉川駅からバスか徒歩で行くのがいいかと思います。
昭和初期に建てられた別邸建築の旧小坂邸。
古民家のような土間のある入口、広い和室や回り廊下、サンルームのある洋室など、自由に和洋を取り入れた意匠が素晴らしい建物です。
2階部分以外は自由に見て回ることができます。
希望すれば係の方が建物について、とてもわかりやすく説明してくれます。
庭の緑も素晴らしく、とても癒される空間でした。
GWの喧騒を避け、世田谷散策。岡本家住宅から回って来ました。無料です。(徒歩5分程度)横山大観夫妻が疎開して暮らしたという茶室跡に近い、下の池側から屋敷へ登る。夏は虫が多そう。昔の衆議院議員は今時の政治家とはレベルが違うのね。屋敷は和洋折衷。1960年代頃まで住民が暮らしたとかいうので、浴室などは懐かしい感じ。当主夫妻の寝室(マスターチェインバールーム)は寝台がないせいか、応接間のように見えた。付随するサンルームからは富士山が見えるらしい。書斎にはこの家の早世したご次男の肖像画や写真などが。ボランティアのガイドさんが付近の別邸の説明をたくさんしてくださった。岡本の辺りには大正期から、政財界の方々の別邸がたくさんあったらしい。世田谷は戦後20年くらいまでは超田んぼ&畑、酪農家ばかりの田舎だったものね。
実業家・政治家であった小坂順造の別邸、戦災で渋谷の本邸が焼けてから、こちらの別邸を本邸されたそうです。
古美術品のコレクターとしても有名な方で邸内に大きな蔵もあったり、仏像が飾られた黒い壁紙の書斎があったり、とても不思議な建物です。また、敷地がL字型のため、建物の部屋が雁行のように並んでいます。崖の上に立つ建物なので、縁側からの景色が素晴らしいです。ため息が出る程、美しい建物です。
また、織部床のお茶室もありますが、がけ下にも茶室もあったそうで、あの横山大観が疎開が住んだそうです。
世田谷区が一般公開している旧小坂緑地にある旧小坂家住宅、衆議院議員などを務めた小坂順造が昭和12年に建造した別邸で、大正から昭和初期にかけて流行した民家風の瓦葺き木造の瀟洒な邸宅です。世田谷区指定の有形文化財で、内部見学も可能。
部屋の造りや家具など、建造当時としては豪華だったかも知れませんが、広い部屋の整理や清掃など、どなたが担当されたのか分かりませんが、結構大変であったことが想像されました。部屋から眺める庭園や雑木の茂る敷地内の景観、これは素晴らしいと思います。
建物は古く、必要最低限の補修しかされておらず、昭和の雰囲気が感じられます。清掃はきちんとされていて、気持ちよく見学できます。丘の上にあり各部屋の窓からの景色は大変良いです。天気の良い日は奥の寝室から富士山が見えます。散歩の途中に休憩するのも良いでしょう。ただし冷暖房は無いのでその点は承知ください。入場無料
瀬田四丁目に緑地として公開されています。無料です。ぱっと見開いているのか判らなかったのですが、玄関の引き戸を開けたら管理をしているらしきシニアボランティアの方が数名いました。ガイドでは無かったので一人でゆっくり廻れます。
昭和12年築ですが、その後も大事に大きな改修をしなかった様で建築当時の状態が見れます。今でも快適に住めるぐらいきれいです。
世田谷が都内の別荘として使われていた時代の建築なので、丸木根太の廊下や茶室、山小屋風の書斎等があります。別荘用途なので狭めですが、内倉や女中さんの呼び出し機があるぐらいの広さはあります。改装されていますが電話室もあります。
なのに茶室の水屋が引き戸で隠されて廊下と共用出来る工夫があったりと、小さい快適を狙った作りもありと大規模超豪快ではありません。床や戸の木材、ドアノブなどは一般的なものでした。
外観は純和風で網代編みが装飾として使われている数寄屋要素が主体ですが、玄関から一番遠い寝室だった部屋と玄関右手の書斎だった山小屋風の室内装飾の部屋は内部だけ洋風でガス式暖房マントルピースがあります。ガス機器も置かれたままでした。