(医)石戸谷小児科
住所 | 東京都狛江市中和泉1丁目1−1 狛江YSビル4F |
電話 | +81 3-3430-1070 |
サイト | www.ishitoya-child.com |
カテゴリー | 小児科医院 |
評価 | 2.8 11 件の口コミ |
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(医)石戸谷小児科 件の口コミ
11 子供が川崎病で発疹もあり衰弱しきっていたのに、突発性発疹だと大誤診された。何度下剤うっても熱下がらないし、意味のない抗生剤飲めと言ってきた。そして、数日間様子を見ろと鬼のようなことを言ってきた。
私の夫が医療関係の仕事をしていたため川崎病の知識があったため同病のガイドラインを見てみたら症状が全部当てはまるため大きな病院に電話を掛け症状を伝えると川崎病の可能性があるためすぐに来て欲しいとの返答を受けた。案の定川崎病でその場で入院。適切な処置を受けることができた。
知り合いの看護師にこの事実を伝えたところ小児科でも扱うことが多い川崎病の可能性を見逃すなんて腕が悪い病院だと一括してくれた。
石戸谷小児科は女医さんで丁寧そうな感じだがこの大誤診により私の子供が死の淵を彷徨いそうになりました。腕が最低な医院です。狛江市自体ロクな小児科がありませんがここもろくでもありません。皆さん騙されないよう家庭の医学等を家に置いて知識をつけておきましょう。
乳児健診でお世話になりました。口コミ通りです。先生は親切かつ丁寧だと思います。上の子が騒がしくてあまり話ができなかったと後日電話で気になることはないかと電話してきてくださいました。
受付や看護師の方は確かにあれですが、気にしない人やそのくらい気さくな方が楽であれば先生はとても良い方なので、かかりつけにしてもいいと思います。
私はビビりなので、違うところで普段はお世話になってますが。
正直小児科に限らず病院なんて受付や看護師の方は態度悪かったり上から目線だったりが多いと思います。とりあえず一度行って合わなかったら変えればいいと思います!
乳児健診予約がこちらの都合も聞かずに勝手に決められてしまった上に、かなり先の日程だったのでそこは-1にしました。
先生は良いですが、受付?看護師?の人たちの中に鼻で笑うようなバカにするような応対をする方がいて不快です。
感じのいい方ももちろんいらっしゃいますが。
ベテランなのかしらないですが、もう少し改めた方がいいと思います。
口コミが低いですが、私は0歳の息子がいつもお世話になっています。
先生はこちらがご相談していることを最後まで聞いてくださいますし、看護師さんもいつも息子の名前覚えて声をかけてくださいます。
変な愛想はなく、クールな印象の方も多いですが、きちんと接すると子供を最優先に考えてくださる方ばかりです。いつも何か相談するとみなさん解決策を出して手を貸してくださいますし、これからもお世話になると思います。
以前かかりつけとして通院していましたが、引っ越ししてしまったのでお礼を言いたくてこちらに書かせていただきます。
石戸谷小児科には
沢山お世話になりました。
近隣の病院だったので、気軽に行くことができ、
優しい先生に笑顔で接してくれる看護師さん、丁寧に説明してくれる受付さん
とても大好きでした。
乳幼児健診では些細なことでも
親身に相談に乗ってくれ、
安心して相談できました!
看護師、受付それぞれ仕事あるにも関わらず、何か書くものあったり、
先生と話してる時子供が泣いているとあやしてくれるなど
他の病院では無い温かい心遣いがあります。
子供達は石戸谷小児科が大好きなので
風邪をひいて病院に行こうね。と言うと
病人にも関わらず、嬉しそうな表情をしてくれます。
薬も他の病院違って個々の症状をしっかりと見て、処方してくれるので安心です。
咳がひどく子供が苦しそうな時は、
薬だけではなく、吸入器も貸し出してくれるので、子供の症状が軽くなるのも早いです!
石戸谷小児科の様な病院が引っ越しで近くになく
残念です…。
今までありがとうございました。お世話になりました。
こちらにお邪魔したことはありませんが、あまりに評判が悪いようなので(苦笑)、石戸谷先生の応援を少し. 。
石戸谷先生は、慈恵医大第三病院小児科で(私の知っている頃. 1980年代は)たしか病棟付きの医長をされていました。
母によると、ご自身もお子さんがまだ小さいのに、いつも病棟にいらっしゃいました。
私は、幼児期の急性期をなんとか生き延び(そこは当然、記憶がない)、経過観察として小学校を卒業するまで毎年、定期入院していたのですが、深刻で暗くなりがちな小児科病棟で、子どもも親御さんも、明るく元気づけてくださる先生だった印象が強く残っています。
膨大な数の小児科医に寄ってたかって弄り回されなければならなかった子どもの頃の私の印象に残っている数少ない優しい先生の一人です。
当時、慈恵医大第三の小児科には、血液学の権威で「国内で5本の指に入る小児科の名医」とも言われた赤塚順一教授がおられ、私はその患者でした。
厚生労働省のデーターベースや論文データーベースを検索されれば、今でも大量に、赤塚教授のチームのプロジェクトや論文、臨床報告が出てくると思います。石戸谷先生も赤塚教授の率いた小児科メンバーの一人で、特に厚労省管轄の臨床研究プロジェクトを調べてみたら、赤塚教授、当時の助教授(頻繁に渡米されてたので半分くらい?)、それに、石戸谷先生が主要執筆者(つまり、実質的な研究遂行者)になっているものが多いようでした。たぶん、医長クラスなので、大学では助教クラスにあたると思います。
当時は、特に小児科は本院より第三病院を選んで行くという人も多かったそうです。
というのも、小児科の赤塚教授は、当時は必須だった保護者の同意書が無くとも、命に関わればご自分の責任で手術を執刀されたり、小児科以外の患者でも、命を救われた方がたくさんいらしたそうです(というか、待合室で内科の患者さんが「命の恩人」と仰ってるのを耳にしたこともあります)。当時の噂ですが、本院に、さらに上の年齢の教授がいらっしゃったのですが、赤塚教授とその一派(苦笑)は、徹底して無駄な薬は処方しないなど、病院の「儲け」より、患者優先のスタイルで、いわゆる「医局文化」の時代に、政治的な動きも一切されない方で、本院の教授が定年後も残られたのに対して、赤塚教授は慈恵を定年で引退され、その後、別の大学病院や川崎の小児医療専門病院などに招かれ、その後、勇退なさったのですが、ほどなく、赤塚教授の派閥は、医局文化の時代、その業績に関わらず、どんどん外されてゆき、今では誰一人も大学病院には残られなかったようです。(調べたら、助教授だった先生も開業され、外来の医長だった先生は関西の病院にて小児科診療部長をなさっているようです)
知っている方は、「あの石戸谷先生が大学病院や高度専門病院などに残らず、開業医をされている!」ということ自体に驚くのではないかと思います。
小児血液学、内分泌系の超エキスパートの先生ですよ!
赤塚教授が外来休診の際に(外来を大事にされていたので、週3日は出られてましたが)、風邪などを引いて行くと、教授の担当患者は、序列が上の先生から順に割り振られたので、石戸谷先生に外来で診療していただいたことは、おそらく数えるほどだとは思いますが、記憶では、風邪薬などは、赤塚教授より「当たり」のことが多かったと思います。(幼かったので、もう一人の女性医長先生と少し混じっているかもですが. 。助教授先生はよく米国出張で留守をしていて、赤塚教授非番のときは、もう一人の女性医長のことが多かったですが、何度か石戸谷先生に外来で診察していただいたように思います)
いつも同じ薬、と書かれている方がいましたが、小児は薬物に対するアレルギーなどで何が起こるかわからないので、前に飲んで副作用なく効果が出ているのであれば、敢えて違う薬は出さないようにされていると思います。
特に風邪薬は、中枢神経を抑制する系統の薬ですから、アレルギーや分量で深刻な障害の原因にもなるものです。また、強い薬は胃腸にダメージを与えやすく、普段と違う強い薬を貰って、24時間、吐き続けた経験があり、いまだに覚えているほど苦しかったです。
私は「1万人に1〜2人」とも言われるほど奇跡的に後遺症なく無罪放免になって20年以上になります。
自分が子育てをするべき年齢になっていますが、正直、小児科病棟を思い出すと結婚や子育てに抵抗(トラウマですが、本当は. )があり、そういうことを避けて40代が目前になっているほどです。小児科は本当に薬ひとつのチョイスで一生の後遺症を残したり、あるいは生死が決まるような世界です。慎重さは重要です。
日々、たくさんの生死を病棟で見てきましたが、最初はただの風邪みたいだったりするんです。強い薬で抑えてしまって、それを見逃してしまうと、48時間で全身麻痺が起こって、さらに数時間で呼吸困難になるようなスピードの速さが大人と小児科の違いです。
まぁ、そういう世界が基準になってしまうと、「たいしたことないですよ」ってことの方が開業医は多いでしょうから、親御さんが無駄にエキサイトされちゃうと(悪いことだと言っているわけではないですよ。親としては、当然なんだと思いますから)ボタンの掛け違いみたいなことは起こってしまうのかも知れないですけどねぇ. 。
医者選びについて述べますと、そういう高度なICUに入って生死が数秒の判断で決まるような判断力や病気などの知識を持っていてリスク値を見逃さないように慎重に診察する先生を選ぶか、私が幼児期の難病に突如襲われたときに最初に駆け込んだ近くの総合病院の小児科医のように経験不足から完全に風邪だと思って対応するけれど、対面は「接客」としてニコニコして済ませるか(私の場合、その診断を間に受けてたら、確実に48時間後に死んでいたらしい)そういう個人の価値観で決めるべき問題だと私は思っています。
それにしても、一般内科も診られていたら、1時間くらいかけて行くのになぁ〜。
診察してくださる小児科の先生自身はとても良い方なのですが、小児科受付の看護師たちの対応の感じが悪すぎます。お忙しいのはわかりますが、行く度に不快な思いをさせられた記憶しかありません。つい先日も純粋にわからないので質問したところ、小馬鹿にするように笑われました。二度と行きません。
駅近で薬局も同じビル内にあり便利です。
先生は一般的な薬は処方しますが、風邪と時いつ行っても同じ薬です。。。
クリニックビルであまり換気が良くなさそうなので感染症が流行っている時はおすすめしません。
こちらにお邪魔したことはありませんが、あまりに評判が悪いようなので(苦笑)、石戸谷先生の応援を少し。
石戸谷先生は、慈恵医大第三病院小児科で(私の知っている頃は)病棟付き医長をされていました。暗くなりがちな小児科病棟で、明るく元気づけてくださる先生で、定期入院していたため、膨大な数の小児科医に寄ってたかって弄り回されなければならない子どもの頃の私の印象に残っている数少ない優しい先生の一人です。
当時、慈恵医大第三の小児科には、血液学の権威である赤塚順一教授がおられ、私はその患者でした。厚生労働省のデーターベースや論文データーベースを検索されれば、今でも大量に、赤塚教授のチームのプロジェクトや論文が出てくると思いますが、石戸谷先生も赤塚教授率いる小児科メンバーの一人です。当時は、本院より第三を選んで行くという人も多かったそうです。
赤塚教授は、当時は必須だった保護者の同意書が無くとも、命に関わればご自分の責任で手術を執刀されたり、小児科以外の患者でも、命を救われた方がたくさんいらしたそうです。当時の噂ですが、本院に、さらに上の年齢の教授がいらっしゃったのですが、無駄な薬は徹底して処方しないなど、病院の「儲け」より、患者優先で、いわゆる「医局文化」の時代に、政治的な動きも一切されない方で、本院の教授が定年後も残られたのに対して、赤塚教授は慈恵を定年で引退され、その後、別の大学病院や川崎の小児医療専門病院などに招かれ、その後、勇退なさったのですが、慈恵第三の有名な「赤塚チーム」は、医局文化の時代、その業績に関わらず、誰も大学病院には残られなかったようです。(調べたら、助教授だった先生も開業され、外来の医長だった先生は関西の病院にて小児科診療部長をなさっているようです)
知っている方は、「あの石戸谷先生が教授になられず、開業医をされている!」と驚くほどと思います。
小児血液学、内分泌系の超エキスパートの先生ですよ!
記憶では、風邪薬などは、赤塚教授より「当たり」のことが多かったと思います。
いつも同じ薬、と書かれている方がいましたが、小児は薬物に対するアレルギーなどで何が起こるかわからないので、前に飲んで副作用なく効果が出ているのであれば、敢えて違う薬は出さないようにされているはずです。
私は「1万人に2人」とも言われるほど奇跡的に後遺症なく無罪放免になって20年以上、自分が子育てをするべき年齢になっていますが、小児科病棟は本当に薬ひとつのチョイスで一生の後遺症を残したり、あるいは生死が決まるような世界なので、慎重さは重要ですよ。
一般内科もやられていたら、1時間くらいかけて行くのになぁ〜。
診察室で服を脱いだ後、再度着させてくれる時間もくれず、院内の待合室に肌着のまま行き 服を着させようとしたら廊下に出るように言われました。
発熱していたのでインフルエンザの疑いもあるのはわかりますが、ふくくらい着させてくれてもいいんじゃないかと…
優しくないですね。