上野大佛
住所 | 東京都台東区上野公園4−8 |
電話 | +81 3-3821-4749 |
時間 | 10:00-15:00 |
サイト | kaneiji.jp/information7sp.html |
カテゴリー | 文化的ランドマーク, 彫刻, 観光名所 |
評価 | 3.8 16 件の口コミ |
Ueno Daibutsu | |
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上野大佛 件の口コミ
16 上野恩賜公園内にある顔だけの大仏。昔はれっきとした姿の大仏でしたが、関東大震災により頭部がもがれ、胴体は戦争における金属の材料として使われてしまった。そして最終的にこのように顔だけが残った。大仏の下には当時の在りし頃の姿を写した写真が置いてある。
これ程の不幸に見舞われた大仏ではあるものの受験の合格祈願のご利益のある大仏で受験生達にとっては頼もしい存在だろう。近くの仏塔には薬師如来が安置されていている。ご利益目的じゃなくても普通に観賞するのも良い。
御朱印 (清水観音堂でいただけます) と撮影しようとしたところ中年の男性にいきなり説教されました。こちらにも予定があり、朝から参拝などできませんし、そのようないわれは存じていますが撮影する時間などこちらの自由です。なら夕方まで御朱印受け付けないでください。不愉快なのでもう行きません。
ひっそりとお顔だけの大佛様。上野公園は、もちろんいつでも開いていますが…こちらの大佛様にお会いするには!時間が限られていますし、鍵が閉まってしまう時間が割と早いですよ。今は土日は16時まで延びているようですが、平日は15時まででした。御朱印は土日でも15時までと書いてましたよ。大佛様にお会いするのに入場料はいりません。
I like how this temple is built, standing out when compared to any other temple.
The Buddha face and the temple top architecture is somehow similar to hindhus temple.
And it is at the Ueno park so it will not be difficult for the access
上野の雑踏の中で、ふと足を止めて心の憩いを求めることができる。
ただ、周りの絵馬をみると現世的な己の欲望のために神仏にすがる姿は聊か鼻白んでしまう。自分以外のものの幸せを願う気持ちは称揚されるものだが、受験という己の努力で贖うべき目標に神仏の力を頼みにするのはお門違い。ほぼ観光のための娯楽というほかない。ここで絵馬をかく時間があったら歴史の本でも読んで欲しい。
それはそうと、この施設を地道に整備保全されている方々には頭が下がる思いです。40年前も今も、ここには大仏様がいらっしゃる。そして、私のような者が戯言を言っても静かに笑っていらっしゃる。 反省。
無事に合格できましたので
お礼参りに伺いました。
ありがとうございました
せっかくお邪魔しましたので
お散歩させていただきました。
入場無料の展覧会などもあるので
ぜひ皆様もいらしてください
寛永八 (1631) 年、京都・方広寺の大仏に見立てられ、当初は漆喰で作られましたが、明暦の頃に高さ6メートルの銅仏に改められました。上野戦争では辛くも被害を免れましたが、大正12年の関東大震災で顔が落ちてしまいました。その後、寛永寺で保管された大仏は再建される計画もありましたが、復元されることはなく、体は第二次世界大戦時に供出されてしまいました。再び旧地に迎えられた大仏は建立当初より大きく姿を変えましたが「これ以上落ちない合格大仏」として広く信仰を集めているそうです。
上野公園3回きてますが、初めて見ました。関東大震災で顔が落ちて復元されることなく顔だけの大仏様になってしまったようです。それ故もう落ちないということで、受験の合格祈願で訪れる人が多いようです。
以前 一度 上野訪問時 前を通りましたが、開堂時間に間に合わず
今回 昼過ぎぐらいに近くにきたので訪問しました
ちなみに開堂時間は 午前10時~午後3時です
上がると 有人の小屋がありお守りなど販売されています
(御朱印はありますが、ここではもらう事ができません)
以前は胴体もありましたが火災にて顔だけが残り 落ちないという
事で受験生に人気の大仏様です
あまり広くはありませんが、大仏様の顔を近くで見ることができます
20211204新橋&上野公園1周弾丸ツアーに行って来ました!
「天寿ゞ」さんで空腹を満たし、不忍池辯天堂、大黒堂、五條天神社、花園稲荷神社、清水観音堂で参拝を済ませ、東叡山寛永寺・上野大仏&パゴダ薬師堂へ向かいます!
この山 (岡?) は、かつて大仏山と呼ばれ青銅製の大きな釈迦如来坐像が安置されていた大仏殿が有ったそうです!
大正12年の関東大震災で顔が落ち、再建計画案が浮上する中で戦時中の金属類回収令に体と頭が供出されたとの事です!
そこで顔だけの「大仏様」です!
東叡山寛永寺・上野大仏:東京都台東区上野公園4−8
ご由緒:1631年、越後国の村上藩主・堀直寄が戦死者慰霊のために、上野にあった自宅内に釈迦如来像を造立したのが始まりといいます。
1647年に地震で倒壊しましたが、1658~1661年に金銅像として再び釈迦如来像が造立されました。
その後、火災や大地震などで損傷しましたが、その都度修復されました。
しかし、1841年に火災で大仏殿と大仏を損傷。
1843年に堀直央の寄進であらたに大仏(現・上野大仏)が造立されました。
しかし、1923年の関東大震災で頭部が落下してしまいます。
さらに第二次世界大戦の金属類回収令によって、頭部と胴部が供出され、残ったのは大仏の顔面のみ。
その後、寛永寺が大仏の残骸を保管しますが、資金の目処が立たず再建計画は放棄されたとの事です!
1972年に残った顔面をレリーフとして保存して現在に至るそうです!
ここの売店の爺さんがとにかく何につけても高圧的で、訪れた人の落ち度を探してる感じがして苦手です。
私に言ったわけではなかったですが、後ろに御朱印で並んでた中年の女性に「御朱印をもらうのにこの時間ではご利益はない。欲しいならもっと早く並びなさい!」と注意してるのには驚いた。。。
その時刻は14時でした。(15時までしかそもそも開いてないので)
もちろん、御朱印の受付時間内です。
色々な自社を参拝して御朱印を頂いてますが、そんなこときいたのは初めてです。。
またそのあとに、その女性の神社の御朱印帳を見て、「神社とお寺で分けなさい」と注意もしてましたが、それは確かに分けた方がいいかもとは内心で思いましたけど。。
追記:でも、御朱印自体はこの爺さんではなく、爺さんに「先生」って呼ばれていたお婆さんが静かにすらすらっと書き上げていましたが、とても達筆で感動ものではありました。
でも、別の書き手さんがいるのかな?一昨年参拝した時と字体が全く違うので・・・。
追記:昨日、上野大仏さんに参拝に行きあの爺さんは苦手だけど御朱印素敵だし頂きたいなと伺いました。
すると、行った人ならわかると思いますがパチンコ屋の景品交換所の小さい窓口みたいなところで御朱印依頼をするのですが、そこが完全に締まってる状態。
そして、その周囲にびっしりとB5サイズの紙くらいに4,5枚?
ほど「御朱印とは~」みたいなことが書かれていました。
文字も小さく、写真でも撮りたかったけど、あのじじ・・いやお爺さんに叱られたら嫌だし特に読まなかったけどざっと見て、「奉拝という文字が~とあって」
「お参りをしなさい」
「修業をしなさい」
みたいなことが書かれていたような気がします。さっと見ただけなので勘違いだったら申し訳ない。けど、そんな文字が見えて「あー、めんどくせ。もういいや」と去りました。
もなんか書いてあったような・・・。
じろじろ見ると叱られるのでパッと見ですけど、売店の掘っ立て小屋も爺さんしかいなかったかな?(だから締まってたのかな?)
修行?どこでするの?・・・まあ、めんどくささが増してたので2つにしていましたが、1つに変更しました。
駅で見かけるポスターにもなっている有名な大仏の顔があります。
窓口の方も親切フレンドリーにご対応頂き感謝しております。
足腰健康守りという下駄のお守り買いました。
絵馬を使った参拝の仕方がユニークです。
ぜひ足を運んでいただき絵馬を購入して参拝をしてみて下さい。
知る人ぞ知る上野大仏(って私も長年知りませんでした)。関東大震災で崩れ落ち、顔だけ残ったそうです。これ以上落ちないということで受験生の救いの綱になっているとかいないとか…。上野精養軒前の、いつも素通りしていた小高い丘の上にありました。
I love the architecture of the temple, although it is incredibly small.
I went to get a goshuin and they had two kinds. I got both but am highly disappointed by the quality, both are just messy- I have the feeling she didn't give a damn how it looks because I'm foreigner so it doesn't actually matter.
This nearly 7 meters tall statue of Buddha was built in the mid-seventeenth century. In the 1923 Kanto earthquake the head fell off, and only the faces left on display in the park today. - Source Shitamachi Museum Tokyo.