平塚神社
住所 | 東京都北区上中里1丁目47−1 |
電話 | +81 3-3910-2860 |
サイト | hiratsuka-jinja.or.jp |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 3.4 14 件の口コミ |
Hiratsuka Shrine | |
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平塚神社 件の口コミ
14 かつてこの地を含めた豊島郡を支配していた坂東平氏の1つである豊島氏の城と郡衙があった場所にある神社。
河内源氏2代目棟梁であった源頼義の息子である源義家・源義綱・源義光の三兄弟が神として祀られている。
3兄弟が奥州征伐後の帰路の途中に豊島氏の城に滞在したらしく、感謝の印として自身の鎧を与えたとのこと。
当時の領主であった豊島太郎近義はその鎧を埋めて社殿を造り、3兄弟を守り神として祀ったのがこの神社の始まり…らしい。
ちなみに3兄弟の内、長男の源義家の子孫は後に鎌倉幕府将軍(3代まで)となり、その分家の足利氏は室町幕府将軍家となる。
三男の源義光の子孫は武田信義や武田信玄で有名な武田氏、他に佐竹氏や小笠原氏といった氏族が発生している。
豊島氏は戦国時代には戦に敗れてしまい大名の地位は失ってしまったが、分家が後を継いで江戸幕府では旗本として幕末まで武家として存続はできた模様です。
神社は豊島氏が領主としての地位を失った以降も細々と存続はしてたらしいが、江戸時代になり山川城官貞久という人物が参拝後に検校という地位へ出世したり、将軍の徳川家光が病になった時も再度参拝したら回復したことから、感謝の印として社殿が修復されたり、幕府から五十石の朱印地を与えられるに至ったとか。
もしこうした出来事がなければ、ひょっとしたら神社としては今頃は存続してなくて、埋められてた鎧も掘り起こされてどこかの博物館にでも展示されてたのかもしれないですね。
参道の左右ほとんどは月極駐車場として運営されているので、拝殿付近までは神聖さに乏しいのが残念。
久しぶりに行ったら参道の一部に保育園が新設されてるので、保育園の事業を始めるのだろうか。
御朱印は新型コロナ渦の影響で直書き中止中(令和4年3月11日時点)で、書き置きのみの対応でした。
また参拝して、その時に直書きの御朱印もいただきたいと思います。
細長い参道の奥に本殿が在る神社で、平安時代に創立した源義家公を祀る歴史ある神社だと知りました。
入口の団子屋さんが小説の浅見光彦シリーズ出てくるとか、都内にある古墳が本殿の裏手に在るとか、当所お構いなくウロウロしてましたが…
実家の氏神様。瓦がきれいに新調されていて、よく手入れされていたような。神社の社とは土地の神というらしい。地縁は大切にしたいもの。上中里駅、西ヶ原駅という都内屈指のマイナー駅が最寄りだが、それだけにこじんまりしつつも落ち着く雰囲気です。とはいえ遠方からいくというより地元の方用であると思う。小説やドラマで舞台になった和菓子屋さんなり、隣の防災公園なり野球場やテニスコートと一緒にまわるのはありだとおもう。おみくじでとてもよいコメントをいただいたのでテンションあがりました。今年もどうか見守りください。
「平塚神社」は由緒ある神社で、平塚城の城主 豊島近義は後三年の役で城に立ち寄った源義家から饗応への返礼として鎧1領を譲られたが、これを清浄な地に埋め、塚を築き、平塚城の鎮守とした。塚は「甲冑塚」とよばれ、高さが低いため「平塚」ともよばれた。豊島近義は社殿を建て、源義家、源義綱、源義光を「平塚三所大明神」として祀り、一族の繁栄を祈願したという。
だそうです。その後豊島氏は太田道灌に攻められて滅亡し、平塚神社は細々と続いておりましたが、江戸時代になり、
平塚郷の無官の盲人 山川城官貞久は、平塚明神に出世を祈願して江戸に出たところ、検校の地位を得て、将軍徳川家光の近習となった。のちに山川は家光の病気平癒を祈願したところ直ちに病気は快癒し、山川は感謝して平塚明神社を修復し、家光は50石の朱印地を明神に寄進した。
で復興を果たしたようです。
霊験あらたかな神社のようです。
奥に駐車場があるためか、境内のなかを参拝じゃない人が行き来して忙しないです。
都内で誕生日の御朱印がいただけるということで有名な神社の一つですが、神職さんがいないことが多いようです。
創建は不詳ながら平安時代後期の元永年中 (1118~1120年) と伝えられる。江戸時代に山川城官貞久により中興された。
非公開となっているが、拝殿の裏手には源義家公の鎧埋められている甲冑塚古墳がある。
七社神社から駒込駅方面に歩いて10分ほどに鎮座している。元々は豊島氏の拠点である平塚城 (城館) があった所に八幡太郎義家から拝領した鎧を祀った塚が起源。後に石神井に本拠を移した豊島氏は15世紀後半に太田道灌によって平塚城で滅亡している。神社そのものはさほど特徴らしきものはないが、この時期には桜が咲いていて近隣の桜の名所 (六義園や旧古河庭園) が休館や休園であることからゆっくりと花見ができるスポットである。鳥居入口には浅見光彦シリーズで度々出てくる平塚亭があり、花見のお供にはオススメである。
都電もなかのお店へ行く途中で偶然迷い込んで入った場所です。
自転車だったのでどこに停めて良いかわからず、危うくそのまま鳥居をくぐり抜ける勢いだったので手前端の茂みに停めてお参りしました。書き手の宮司さんは不在だったのでそのまま立ち去りました。元々予定になかったのでまぁまた機会があればという感じです
京浜東北線の上中里駅から徒歩5分、地下鉄の西ヶ原から10分ほど。
武芸を通じた立身出世、ひいてはスポーツの上達を祈願する神社として有名だと聞いています。。
隣に区民体育館があるので、行き帰りに参拝する人が多いです。
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の3にさせていただいています。
参道が長いですね。
いっぱい倉庫の様な扉がありましたが、お神輿ですかね?
きっとお祭りが賑やかなんだろうなと思いながら歩きました。
参拝して社務所の前に行ったのが12: 08
「午前中の社務受付は終了しました。午後の受付は一時三十分より受付します。」
との貼紙が
一つ前にお邪魔した神社さんでゆっくり森林浴 (紅葉浴) とかしてウロウロしないで来ていたら間にあっただろうか?
来年東京に来れるかな?とか思いつつ今回はご縁が無かったという事だからまた来い!と神様に言われているのだろうと取り敢えず諦めた。
こちらはお誕生日に来ると御朱印に「誕生日おめでとう」の印を押してくれるそう。
誕生日に来ようかなぁ。
そしたら頑張らないと!
うん!神様の思召しだな。
「頑張れ!」と。たぶん。
おもしろいと思ったのは
お社の前の鳥居が小さくてかわいい。
手水舎が蓋を開けてする様式な事。
最初の鳥居横のお団子屋さんが昔を偲ばせるようで良い感じだなと。
平日のお昼に待ってるお客さんがいて、入り難かったけど次は何か買ってみようと思う。
地元の神社なので、子供の頃から御縁があります。失礼な言い方かも知れませんが、派手派手しく無く、本当に気を落ち着ける神社です。
隣の平塚亭は、お団子、大福、お稲荷さん、何をとっても美味しいです!
平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
故 内田康夫さんの『浅見光彦』シリーズで頻繁に出てくる北区の平塚神社️さん。
前から気になっていたんですよね
いつか行ってみようと…
御朱印もいただき、しっかり平塚亭の写真も撮ってきました