真言宗豊山派 醫王山 眞性寺(真性寺)
住所 | 東京都豊島区巣鴨3丁目21−21 |
電話 | +81 3-3918-4068 |
サイト | sugamo.or.jp/prayer_detail02.html |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 3.9 18 件の口コミ |
Shinshōji Temple | |
最寄りの枝 洗い観音 — 東京都豊島区巣鴨3丁目35−2 |
|
近くの同様の会社
|
真言宗豊山派 醫王山 眞性寺(真性寺) 件の口コミ
18 JR巣鴨駅の近く。地蔵通り商店街の入口付近にあるので目立ちます。境内は決して広くないですが、仏像・地蔵像などはドッシリしたサイズで存在感を放っています。
巣鴨寺社巡りの一軒目に丁度良いかも。
最寄り駅はJR巣鴨駅
真性寺(しんしょうじ)は、真言宗豊山派の寺院。山号は医王山。院号は東光院。本尊は薬師如来。眞性寺とも表記される。
江戸六地蔵を見にきました。
すぐ近くに刺抜き地蔵がある為参拝客が途切れる事が無く賑わっています。
境内は広くは有りませんがきれいでその他のお地蔵様や菩薩像もあります。
巣鴨駅からとげぬき地蔵商店街へ入る入口にありる、「眞性寺」江戸六地蔵のひとつが、鎮座されてます。初めて巣鴨に行かれるかたは、とげぬき地蔵さんと間違えるかも??暖かい日が続いてたため、梅の花が咲いていました。
江戸六地蔵の四番目だそうです。
約三百年前の正徳(しょうとく)四年に完成したお地蔵さまです。
西暦1714年ぐらいですかね。江戸時代中期ぐらい。
高さは台座を入れて3.5メートル。それほど大きくはないですが地味に良いです。
持論として仏様に評価等を付けるべきではないので基本的に星は5つですね。
菊祭りやってました。2021/11/11
江戸六地蔵さまが出迎えてくれました。
とげぬき地蔵への入り口なので、なかなか賑わっていましたが、経年劣化はまぬがれずちょっと枯れた印象。
しかし、阿弥陀堂の手作りウェルカム感はホッとしました。
8代将軍吉宗がたびたび参拝されたと伝えられる真性寺(しんしょうじ)。巣鴨商店街の入り口付近(中山道の江戸の入り口にあたる)にあるので、ぜひお参りしましょう。江戸六地蔵の第4番もお祀りされています。
以下、観察情報を記す。
1【空海・覚鑁供養塔】
入口左手にあり。弘法大師 空海と興教大師 覚鑁を供養している様である。
碑石形状は自然石型。健之年月日は、おそらく、明治二十年前後。正面には、「ア (梵字) 弘法大師一千五拾年 興教大師七百五十八回 供養塔」と刻む。
刻字から、四代目 常磐津文字菊が建てた碑石と了解される。
裏面に漢籍碑文を確認。裏面謹書は大沼蓮齋。撰文と彫刻は酒井亀泉。
内容は剥落が激しく、良く分からない (しかも、現在進行形で風化しており、地面に剥がれた石が落ちている。) 。辛うじて読めるところを見るに、おそらく、前半に、「三千人の弟子を抱え、七十余人に名を名乗らせるまでにしたとか」そういう文字菊の業績を讃える内容。後半は、文字菊が父母の供養のため、真性寺に様々な寄付を行った旨などを刻んでいるのではないかと思われる。
2【日露戦役巣鴨略祈念碑】
明治三十九年銘。造立趣旨は、従軍者の忠魂。篆額は溝口直正 伯爵によるもの。撰文は宮本小一。謹書は中根聞。彫刻は井亀泉。奉納は、巣鴨町兵事義會とある。
戦死者筆頭に刻まれるのは、中山鋋次郎海軍大佐 (調べたところ、駆逐艦 暁の艦長だったらしい。) 。他九名戦死。また病死者二名の名前を刻む。
3【大震災家裁遭難者供養塔】
大正十三年健之銘。正面題字は胡桃中村方載によるもの (謹書は大正十二年か。) 。石工は原田清泉。造立趣旨は、関東大震災で亡くなった人の供養で、発起人は征矢彦太郎とある。
裏面に征矢彦太郎に賛成者した者の連名。賛成者連名とあるので、これらの連名者がお金を出したのかは良く分からないが、結構な数が賛成している。賛成者筆頭は「青水敄譽 (務誉) 」とあるか。
なお、関東大震災後、被災者が東京都心部近郊に一時疎開したが、当時牧場が広がっていた巣鴨や西巣鴨、小石川植物園にも家を亡くした人々が溢れ返ったという。
残りはまたの機会に観察する。
奈良県桜井市の総本山長谷寺の末寺となります。聖武天皇勅願、開基は行基菩薩と伝えられ、中興開基は元和元年(1615)祐遍法印です。有り難く、御府内八十八ヶ所第33番札所の、ご本尊 ”薬師如来”と、”江戸六地蔵尊”の御朱印を頂きました。
都営三田線のA3出口のすぐ近くでとても便利なところにあります。
御府内八十八ヶ所の三十三番目の御朱印を頂きました。
歴史があり、都内にあるお寺としては広いです。
梅の花がとても綺麗でした。
江戸六地蔵の内、お地蔵さんが出来たのは4番目、巡礼は3番札所になってます。
お線香の絶えない大切にお祀りされたお地蔵さんです。
きっと江戸時代から沢山の人がおすがりしたんでしょうね!
巣鴨地蔵通り商店街の入口付近にあるお寺、江戸六地蔵のひとつ。境内には大きな大きなお地蔵様がいらっしゃいます。11月上旬だったので「菊祭り」をやっていてとても賑やかでした。屋台の食べ物屋さんが出ていて、ついつい誘われておでんとお酒を楽しんでしまいました。
〔医王山 東光院 眞性寺/Shinsyouji Temple〕
聖武天皇の時代に創建、江戸時代には 八代将軍 徳川吉宗 公が参拝しました。
<歴史の長い古刹>
約1200年以上の歴史がありました。お寺の発願者は、聖武天皇(701年~756年)でした。
聖武天皇は全国に国分寺と国分尼寺を配置し、東大寺の大仏を建立した天皇です。
開基は行基菩薩(668年~749年)でした。
江戸時代の元和年間(1615年~1524年)に再び、再興され、徳川吉宗公 がたびたび 参拝しました。
<江戸六地蔵>
江戸の入り口、六ヶ所に配置された お地蔵様です。
中仙道(中山道)の入口に設けられた 銅製のお地蔵様は、今も 国道と行き交う人々の安寧を見守っています。
他の五ヶ所は
(1) 品川寺(品川・東海道)
(2) 東禅寺(山谷・奥州道)(現在は移転して上野下谷にあります)
(3) 太宗寺(新宿・甲州道)
(4) 霊巌寺(白河・水戸道)
(5) 永代寺(富岡・千葉道)(現在は廃仏毀釈にて存在しない)
〔アクセス〕JR・都営三田線 巣鴨駅 徒歩5分
巣鴨駅から巣鴨地蔵通り商店街にはいる手前左側にあるお寺で、大きな仏像が目立ちます。場所柄参詣する人が多く、いつも線香の匂いが立ち上っています。ここをお参りして巣鴨地蔵にいき、最後は庚申塚というのが私のルートです。
通称「江戸六地蔵尊 眞性寺 (しんしょうじ)
浄土真宗 豊山派のお寺
都会の中で大きなお地蔵さんとゆっくり向きあえるお寺
中山道の出発点 日本橋と最初の宿場町 板橋宿の間にあり。かつての旅人は旅の安全を祈ったであろう地蔵尊 (2.7メートル) もの大きさを誇る。
建立は1714年で江戸名所図絵という江戸時代のガイドブックにも記されている。
因みに江戸の街道にはそれぞれ大仏があったそうでその総数が六になため江戸録地蔵尊という枕がつく。現存は5体である
巣鴨の地蔵というととげぬき地蔵尊高岩寺が有名だが高岩寺は明治時代に上野から移転してきた。江戸時代からこの地にあり中山道を見守り続けているのは真性寺である。
現在の巣鴨地蔵通り商店街は旧中山道である。
御朱印を頂きに社務所を訪ねましたが、敷居が高い印象でした。
本来、御朱印とは・・と、軽く御説教を頂戴してから御朱印を書いてもらいました。
また、代金など決めていない、と仰るので、ではこれでお願いしますと300円をお渡ししました。
非常にシンプルなお寺でした。
江戸六地蔵らしいですが、どうしても巣鴨はとげぬき地蔵のほうが有名になっておりますので、知らない方のほうが多いかもしれません。
夜でも自由に参拝できるのがいいですね。
私が訪問したのは2017年11月半ばに差し掛かる頃で、菊祭りが行われていた。巣鴨地蔵商店街の至るところに菊が飾られていた。
ここには、鱗の代わりに菊の花を纏う、なんかぐるぐると回転するファンシーな龍の置物があった。