板橋区立加賀公園
住所 | 東京都板橋区加賀1丁目8 |
電話 | +81 3-3579-2251 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/035/035515.html |
カテゴリー | 公園, 観光名所 |
評価 | 3.4 7 件の口コミ |
Kaga Park | |
最寄りの枝 板橋区立加賀第二公園 — 東京都板橋区加賀1丁目16−1 板橋区立加賀二丁目公園 — 東京都板橋区加賀2丁目13−1 板橋区立南板橋公園 — 東京都板橋区板橋1丁目39−1 板橋区立氷川つり堀公園 — 東京都板橋区氷川町21−15 |
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板橋区立加賀公園 件の口コミ
7 加賀公園〜。 (犬のトイレ休憩場所らしい)
犬の散歩のおばちゃんの井戸端会議場所。階段の登り口を塞ぐ様におばちゃんどうしがくっちゃべっている足元でひもに繋がれた犬が絡まって吠えまくっていた。階段を登り、小高い丘を散策すると、黒太い蚊が腕になすりついてきた。バチん。むひを持ってお出かけするとよいでしよう。
金沢橋〜。 (人間のトイレ休憩場所有ります)
かつてこのあたりは加賀前田藩下屋敷で、公園は屋敷内の庭園にあった築山跡だそう。
また明治から終戦までここには火薬を製造する板橋火薬製造所があり、石神井川の水を利用して火薬を製造していたんですって。
たまたま通りかかった時、小高い丘の公園が有り山城の跡?かと気に成ったので寄ってみたら、加賀藩前田家の屋敷跡との事。
それ程高くは無いですが直ぐ脇の石神井川と都内の住宅街の効果で思いのほか眺めは良いです。
加賀藩の上屋敷は今の東大ですが、下屋敷はこちらです。ですから板橋区には金沢の風情が残っています。そこも紹介します。
令和3年3月 石神井川沿いにあるこの公園の桜はまだ咲いていません。
電気軌道(トロッコ)線路敷跡
区立加賀公園のこの場所から、隣接する野口研究所の構内にかけ、道路のように見えているのは、戦前、この一帯(現在の加賀一・二丁目)にあった板橋火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)の線路敷跡です。軌道は北区十条の鉄砲製造所や王子にあった分工場とも結ばれており、製造所内外の物資や人の運搬に大きな役割を果たしていました。
現在、埼京線にかかる十条台橋の南側の線路脇にあるコンクリートの土台は、明治38年(1905)に軌道敷設時に建設された跨線橋跡です。
その後、明治40年度には、製造所内の火薬研究所(現:加賀公園・野口研究所付近)や本部(現:東板橋体育館付近)、原料倉庫(現金沢小学校付近)を結ぶ為に軌道が延伸しています。以降も軌道網の整備は進められ、大正12年(1923)の構内図によれば、ほとんどの建物が記号によって結ばれており、さらには清水町から北区西が丘にかけてあった兵器支廠(後の補給廠)にも伸びていました。
なお、板橋火薬製造所は昭和15年(1940)に東京陸軍第二造兵廠(二造)に改組されています。
また、この軌道は幅が750mmの珍しいもので、そこを走る電気機関車はその車体の形状から「だるま電車」とも、走りながら鐘を鳴らしことから「チンチン電車」とも呼ばれていました。
掲示板より
加賀公園は加賀前田藩の下屋敷跡の一部。1680年当初、別荘だった下屋敷 (平尾邸) は28000坪に及ぶ広大な土地を有し、徳川御三家含めて大名屋敷としては最大の広さを誇っていたそうで、上屋敷 (本郷邸) や中屋敷 (駒込邸) 含めて、前田家の権勢がいかに大きかったかを伺い知ることができます。
戦前には火薬の製造所として利用されたとのことで、今もその痕跡が残っています。
現在の公園は、築山の一部しか残されておらず、説明を受けなければごく普通の町中の公園にしか見えません。
お花見シーズンには隣を流れる石神井川の桜含めてきれいなので、遠く加賀藩の権勢を思い浮かべながらお花見も良いかもしれませんね。