日本国道路元標(複製)
住所 | 東京都中央区日本橋室町1丁目1 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/kankosyakaisihon/83/1304.pdf |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.5 20 件の口コミ |
Zero Milestone In Japan | |
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日本国道路元標(複製) 件の口コミ
20 以下は東京市道路元標へのクチコミとして書きました。投稿後、重複扱いで日本国道路元標になってしまいました。
写真は同時に投稿した日本国道路元標になっています。
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元標の広場 という路肩の公園に里程標、日本国道路元標などと一緒に展示されています。
都電の架線柱を流用したものなので、近隣県の道路元標とは形状が大きく異なります。
淀橋町道路元標に 日本国道路元標から一番近い とコメントしていますが、こちらの存在を忘れていました。こちらが日本国道路元標に一番近いです。
日本国道路元標と同じく文化財登録されています。
2023.8 (土)
日本橋 (ブリッジ) 日本橋三越へ行く途中で見かけた。
趣があっていい感じ (^^)
この日は暑くて写真だけ撮って早々に後にしました。
涼しいときにじっくり見てみたい。
元標の広場に「日本国道路元標」 (複製) があり、説明石碑には
『日本国道路元標
日本橋は1603年に創架され、江戸幕府により五街道の起点として定められました。 現在の日本橋は1911年に架橋されたルネサンス様式の石造二連アーチ橋で、四隅の 親柱の銘板に刻まれた「日本橋」及び「にほんばし」の文字は最後の将軍・徳川慶喜公 の揮毫によるものです。 1972年、日本橋中央の「東京市道路元標」がこの広場に移 設・保存されました。その据えられていた跡には、内閣総理大臣佐藤栄作氏 (後にノー ベル平和賞受賞) の揮毫による「日本国道路元標」が埋標されました。この複製も同時 に制作・設置されたものです。東京市道路元標は、1999年に米寿を祝う日本橋とと もに国の重要文化財に指定されています。』
と書かれています。
五街道の起点にあたる日本橋が起点であることを示す元標。本物は日本橋の中央にあるのでこちらは複製になりますが、日本各地の都市までの距離を示す石碑もあり、日本の道路の起点としての風格を漂わせています。
東京日本橋。私は単身赴任で2021年3月から東京に住み始めました。
あてもなくサイクリングしているとここに来ることが多い。東京来てここへ訪れるのはこれで4度目。
「全ての道は日本橋へ通ず」
日本中の主要道路は全てここに通じています。
東京まであと〇〇kmはここ日本橋までを指しています。
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の起点は日本橋。
また、現在使用されている国道の起点も、日本橋。
日本一長い国道4号線の起点もここです。
2040年にはここの上を通る首都高のコースが変わりこの麒麟の翼に日が当たる日が来るというのが感慨深い。その時また見に来たいな。
ぜひ訪れてみてください。
日本の道路の起終点を定める「日本国道路元標」。五街道だけでなく、国道1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号が集まる7幹線国道の起点であることを示している。元は日本橋の中央にあったが1972年に少し端の方に移されたそう。この文字は当時の総理大臣、佐藤栄作のものである。里程標にはここから各地までの距離が書かれている。
対向車線側の橋の袂に東屋、花壇の縁に腰掛けスペースが2、3席分あり、割と落ち着いた空間です。
トイレもあります。
一人ぽつねんと長居は………………出来るかな?
ひと息ついたらさっさと去って行きましょう。
歌川広重の浮世絵にも描かれた、江戸時代の五街道の起点として知られる日本橋には現在でも日本国道路元標があります。
日本国道路元標は関東大震災後に(橋としての)日本橋の中央部に設置された東京市道路元標が都電の廃線に伴って、日本橋の北西の「元標の広場」に移されたときに、その場所に埋め込まれたそうです。片道2車線+3車線の車道の真ん中にあるため実物はなかなか目にするのは難しいのですが、移設された東京市道路元標の脇には日本国道路元標のレプリカが置かれています。
橋の袂の一角であり、目立つものではありませんが、日本橋の街歩きを楽しむ方がスマホやカメラを構えて日本国道路元標レプリカの撮影を行っている姿をよく見かけます。
日本橋の道路元標のレプリカがあります。本物は日本橋の道路の真ん中に埋め込まれていて危険ですのでレプリカをパチリ!
さて、これから東海道~伊勢街道を通り伊勢神宮まで歩いていきます。
どんな旅になるか楽しみです。
すべての道は日本橋に通ず、です。
橋の様々な造形も一見の価値蟻だと思います。お近くにご用のある際は、お立ち寄りになることをオススメします。
そのまま南下すれば、宝町、銀座と散策できます。
Interesting location in center of Nihonbashi (Tokyo's equivalent of midtown NY). Literally the central address for the entire country.
Historically interesting but not the most beautiful thanks to the road running just above the bridge.
日本橋は広重の版画でもお馴染みの五街道の起点、現在でも日本の道路の起点であり、橋の中央には元標が埋め込まれています、東京まで〇〇kmって標識はこの位置までの距離を表していますし、この橋からは北方向、南方向どちらへの移動も「下り」となります
現在の橋梁は明治末の建築で国指定重要文化財です、数々の装飾が日本のシンボルらしいですね、しかし、橋の上の首都高速が景観をかなり損ねています、これは前回の東京五輪に合わせて、突貫工事で作ったため、用地買収の手間がかからない河川の上に道路を施設したせい、高速を地下化して、日本橋の上から青空を望める様にしようという構想もあるみたいですが、莫大な予算がかかるので、どうなる事やら
日本で一番有名な江戸時代から続いている道路元標です。北側のレプリカからではなくこの橋の中央に埋め込まれているものが真の起点です。ここからキロポストはカウントされ、逆に一般道や高速における「東京まで」の距離はここまでを表しています。(23区に入ると「日本橋まで」に変わります)
たまたま撮った写真が、日本国道路元標だったとは。
日本橋のこの川の上の、ドラゴンがかっこよすぎて
たまに写真撮りに来てます。
なんで、こんなかっこいいの?? (^ ^)
好きです。
首都高速道路の地下化と周辺街区の再開発が計画されていますが、詳細については明らかにされていません。気になるのは、イベントやセレモニーが開催できる空間の確保です。橋と川と地下に、過去と現在と未来をつなぐ一体的な広場が生まれるのかどうか。東京駅と並ぶ歴史的なモニュメント。日本の明日に架ける橋になりますように。
東京までの距離はここまでの距離となる。
日本橋の真ん中にあるが、歩道にもそのレプリカがあり、安全に見ることができる。
元標の上にランプがあり、その先端がかろうじて首都高速を走っている時に見えるため、ここなんだなってわかる。
日本の中心、すべての道はここにつながっている。渡るたびに神聖さを感じさせられ。近くにくると訪れたくなる場所。
上に首都高があるが、それも同じ道路、異なる時代の技術の象徴として考えればとても良い風景である。