東本願寺
住所 | 東京都台東区西浅草1丁目5−5 |
電話 | +81 3-3843-9511 |
時間 | 09:00-17:00 |
サイト | www.honganji.or.jp |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 3.9 15 件の口コミ |
Higashi Hongan-ji | |
最寄りの枝 東本願寺ひばりが丘別院 — 東京都西東京市ひばりが丘4丁目8−22 東本願寺ひばりが丘別院 |
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東本願寺 件の口コミ
15 銀座線の田原町駅徒歩3分ほどにあるお寺さん。
平日、夏の暑い日に入口から佇まいが気になりお参りさせていただきました。広い境内と大きな本堂の迫力と共に青空がひときわ綺麗でした。本堂の中は工事中でしたが広々とし凛とした雰囲気が良かったです。次回は工事が終わったころに改めて伺いたいと思います。
人々の、歓喜する憩いの広場だはー
じっ人口密度が、やけに〇〇だ!
あえて水をさすなら、知らない曲ばかりだはー、そのうち横文字の曲が続くので、限界点を突破し、ご馳走さん退散しました。みんな凄いねぇ
市原音頭か新君津音頭をやってくれーと、叶わぬリクエストを一票。
浅草駅から徒歩で10分くらいですかね。おテラというよりも、巨大な会館という感じです。幼稚園や墓地等も併設してます。御朱印、その他、有ります。外には、親鸞さんの銅像が立っております。南無阿弥陀仏です。
何度訪れても心落ち着く場所であり、また同時に、厳粛な
気持ちになる場でもあります。
本堂内陣はとても荘厳で、
浄土真宗のご本尊である
阿弥陀さまに、是非、
多くの方達に手を合わせて
いただきたいです。
境内は、季節が進むと、四季折々の花が美しく咲き、心が
和みます。
Such a beautiful temple, built between 1931 and 1934, inspired by indian temples after Great Kanto Earthquake in 1923.
首都圏に唯一存在する浄土真宗の本山のお寺
何と言っても悠然な趣を感じる巨大な本堂は立派で堂内もまるで極楽浄土に来たかような綺羅びやかさで圧倒させられました
御本尊様の"阿弥陀如来像"は四天王寺の法塔心柱で制作された鎌倉時代前期の名作らしくて東京都の重要文化財に指定されている程です
御本尊様は普通に遠くから鑑賞できるので嬉しいが意外と小さい像で驚きました
さらに襖に書かれている立派な画も迫力がありヤバいので必見です
境内にある慈光殿の屋上には都内に現存する梵鐘の中では有数の風格を誇る非常に大きな台東区の指定有形文化財に指定されている"寛永の大梵鐘"も圧倒させられます
さらにその会館の2階と4階の待合スペースにはこのお寺の寺宝を展示しているギャラリーがあり無料でご鑑賞できるのは嬉しいです
特に他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた事で知られ「本願寺中興の祖」とも呼ばれた室町時代に活躍した浄土真宗の僧・蓮如上人の書&画、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人として有名で「板画」と称した木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた人物で仏教にもかなり造詣が深くてそのような作品も多く残した大正時代から昭和時代に活躍した板画家・棟方志功氏の画、身近な働く農民の姿や河童などを多く描いた事により「河童の芋銭」とも称され人気があり、また「牛里」の号で俳人としても活発に活動した明治時代から昭和時代初期に活躍した画家、俳人・小川芋銭氏の農村画、独自の財閥と日本の近代化の発展に陰ながら貢献した幕末期から大正時代に活躍した実業家、財界の指導者・渋沢栄一氏の書などはかなり必見です
さらにこの会館内にある現代システムを活用した永代供養墓には多磨霊園からこちらに移転して来たはじめ左翼的政治運動でに参加し数回投獄したが、のち転向して聖徳太子様や親鸞大聖人の教義を信仰しその人間原理に根ざした宗教論、美術論、文明・歴史論、文学論の著作の多く連載出版し、また武者小路実篤氏の人生論を解説つきで出版や自身の人生論・恋愛論の類の自叙伝などを出版してベストセラー作家にもなった人物でもあり、太宰治氏とは親密な関係性があった人物でもある昭和時代に活躍した文芸評論家、日本藝術院会員、社会運動家・亀井勝一郎氏とその父親であり函館貯蓄銀行支配人でもあった明治時代に活躍した銀行家、商人・亀井喜一郎氏と亀井勝一郎氏の弟でありレトルトカレー「函館カレー」が有名な五島軒の建物を再建した明治時代から昭和時代に活躍した建築家・亀井勝次郎氏の一族墓もあります?
一階の受付を通したら参らして下さるのも良かったです
受付の女性の方は凄く親切で優しい方で墓マイラーの自分でも普通に接して下さり凄く嬉しかったのと墓以外にも屋上の梵鐘や寺宝もしっかりと見ていて下さいと言うおもてなしの気持ちもあり凄く良かったです
墓域には数人の偉人とスポーツ選手も眠っています
墓域入って直ぐの左側にはあの有名な玩具会社・バンダイの創設者でありわが国初の玩具の品質保証制度を打ち出した人物でもある昭和時代から平成時代に活躍した経営者、バンダイ創業者、実業家・山科直治氏のユニークな形をしたタイプで可愛らしいお爺ちゃんの彼の肖像画が描かれているお墓があります?
真っ直ぐ少し進んで少し左側に入った場所に大兵相手にもがっぷり四つで対抗する力士であり、下半身の強さ、特に膝のバネに独特のものがあり、「異能力士」とあだ名された人物であり、また力道山氏の足に噛み付いた逸話からオオカミの異名を持ち、角界では動物のあだ名が付くと出世するという言い伝えを証明するかのように番付を上がったハシリ的な人物でもあり、引退後二子山部屋を創設したり、弟である大関・初代貴ノ花氏や横綱・2代若乃花氏、横綱・隆の里氏などを育て日本相撲協会の理事長も務めた人物でもあり、大酒飲みでも有名であった土俵の鬼と呼ばれた昭和時代から平成時代まで活躍した相撲力士、第45代横綱・初代 若乃花幹士氏の立派なお墓があります?
彼は本名の花田さんの一族墓に入っています
墓域から一直線に伸びる道を最後まで進んだ塀の近くにはこのお寺の発展とこの地域の発展に尽くしてくれた人物でもあり株式会社高橋総本店を創設したり、ホテル松葉に石庭及び体育施設や大東岬に海の家などを建設して福利厚生施設の発展に尽くしてくれた昭和時代から平成時代まで活躍した実業家、慈善事業家・高橋末吉氏の立派な石灯籠付でまあまあ墓域がある普通な感じの一族墓がありました?
また高橋氏のお墓から本堂真後ろ辺りの細い通路の近くには写楽別人説で歌麿説を唱えた人物であり直木賞候補になった著書『藤田嗣治』で彼の事をさらに世に知らしめた功績もあり、日曜版「日本の四季」の解説を担当した人物でもある昭和時代から平成時代まで活躍した美術評論家、解説者・田中穣氏のお墓があります?
彼のお墓は彼が唱えた美術評論についての面白い解説付きでさらに面白かったです
墓マイラーにとっては大満足なお寺でもあります
境内には余り見る所は少ないのがちょっとイマイチでした
ただ本当に癒やされる堂内で良かったです
東京メトロ田原町駅から。もう浅草に近いです。浅草寺ほどではありませんがとても大きな建物。天井も非常に高く中はとても荘厳な感じでした。訪れたときは読経をしていて声が響いていました。都市部に広々とした空間が広がり開放感のある境内でした。
一代勢力である東本願寺派の東京本部的なところと思われる。勢いのあった時代に建立されたであろう華麗な本堂も、経年劣化で壁面がはがれ、内陣の壮麗な背景画もお手入れできずにシワシワが目立つ。正直心配。
それにつけても、本堂で気軽にボケっと出来るのは有り難い。また来ます。
いつ訪れても静で落ち着いた環境。敷地内も清潔に保たれています。浅草浄苑の受付は、事前登録でQRコードが発行されますので、携帯電話をかざすだけ。このご時世(コロナ禍)以前からのシステムですが、簡略化されていてイイ取り組みだと感じました。
このお寺は最近、永代供養墓を購入したお寺です。宗派をとわず募集していたので、購入を決めた次第。先祖代々のお墓があるのは素晴らしい事ですが、代々きちんと供養出来るかというと?がつくのである。従って、納骨堂形式の供養墓は
此れからの墓になると思う。またこの形の供養墓は都会中心に拡大すると思う。
いろいろな諸費用が先祖供養を含めて将来的に発生するわけだが、費用が明確に決められているのは安心です。
天正19年(1591)に教如上人が江戸神田に江戸御坊光瑞寺を開創したのが始まりと伝わります。江戸における本願寺の録所(教務所・出張所)となりました。有り難く、”去此不遠”、”光雲無碍(こううんむげ)”の御朱印を頂きました。
浄土真宗を拓いた親鸞上人が祀られた、浅草本願寺 (東本願寺) です。1591年に徳川家康が教如に神田の寺地を与えたのが、本願寺の始まりですが、明暦の大火後に現在の地に移転し浅草本願寺に、江戸時代の寺院は、かなり広く多くの寺院が周辺に移転して寺町になり現在の本願寺は、1960 (昭和35年) に、完成された。又東京には築地本願寺 (西本願寺) と二つの寺院がありますが、こちらも本堂が、古代インドの石造寺院様式を取り入れ造れた。
It's big, really big. But, there's not really a park around it, just a cemetery and an empty space. The whole building is made of concrete and while the roof looks ancient, the rest is quite ugly.
You can get inside, and you can keep your shoes on, which is quite surprising. Alas, it's also disappointing from the inside, with little decoration, many TV monitors, lightings and sound systems. It feels more like an event hall than a temple.