清水門
住所 | 東京都千代田区北の丸公園1−1 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kanko-chiyoda.jp/tabid/214/Default.aspx |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.1 23 件の口コミ |
Shimizumon Gate | |
最寄りの枝 |
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清水門 件の口コミ
23 やっと来れました️
九段下と竹橋の中間地点、目の前は千代田区役所に東京法務局、皇居外苑/北の丸公園内でも人通りの多い日本武道館近くの「田安門」とは違いひっそり佇んでいる「清水門」、だから余計情緒と雰囲気が素敵です、更に清水門への長い進入路の「土橋」で雰囲気アップ、周辺の堀越しの石垣も江戸時代初期の武骨さ残し、櫓門との枡形形成と櫓門潜り抜け360度回り込んだ石段も昔のまま、江戸城内でも清水門周辺が一番昔からの雰囲気残してるのではと個人的感想、行けて良かった
江戸城内の城門で国の重要文化財に指定されているのは現存の三つ、田安門と外桜田門、そして清水門
【重要なポイント】
江戸城内は沢山の現存遺構が存在、例えば伏見櫓・富士見櫓・大手門・百人番所etc、これらは現存建造物で大変貴重な遺構なのですが「宮内庁管轄なので文化財に指定されていません」。
【清水門のポイント】
・明暦の大火が1657年に発生し焼失、万治元年/1658年に再建、当時の「高麗門」としては『最新式』、左右の鏡柱が旧式より上に伸ばして冠木を左右の鏡柱に差し込む形に成り、冠木の上部に「白壁」が誕生します、続き土塀などより上に立ち上がるので見映えが良くなります
・旧式は左右の鏡柱の上に冠木を乗せ、直接屋根を冠木の上に取り付けた形状に成ります。
・城郭訪問し、現存遺構の高麗門が新式か旧式か眺めて見るのも楽しいです
清水門の案内説明板
・土橋を進入する前の「清水門/案内説明板」が、右側の植木の陰目立たない壁に貼り付けてありました、もう少し土橋よりの明るい場所に設置した方が、皆さんに分かってもらいやすく良い様な
3年ぶり“規制なしGW”も終盤を迎えました!
急遽、九段下で用件がありました。が、想定よりも早く終わったので、突然ですが「皇居外苑 北の丸公園」に立ち寄ってみることに。
なぜって、いきなり天から降ってきたので・・・ (笑)
まずは、清水門から入ります。清水門は江戸城の内濠にある門の一つで、北の丸公園にある科学技術館の近くに続いています。構造は枡形門で高麗門と櫓門からなりますが、案内板によると江戸城の大火などで修築がなされているようです。
九段下駅から少しだけ離れているため、田安門とは違い休日とかでも人が少ないです。
清水門の創建年代は不明であるが、伊達家の「御当家紀年録」の記録から元和6年 (1620) にはすでに存在していたことは明らかである。その後、寛永元年 (1624) に安芸広島藩主浅野長晟によって再建されたが、明暦3年 (1657) の大火 (振袖火事) では類焼したものと考えられている。現存する清水門は、高麗門の扉の肘壺金具の刻銘によると万治元年 (1658) に再建されたもので、高麗門及び塀と櫓門からなる出桝形の形式である。高麗門を入ると正面は石垣を積み、左側は多門櫓などで囲わずに開放して清水濠に面し、右側は石垣を積み櫓門を構えている。御三卿の清水家は、9代将軍家重の次男重好が宝暦8年 (1758) に清水門内に屋敷を与えられて一家を興し、家名はこの門に由来して名付けられたものである。
主な文化財(建築物)は下記
・旧江戸城清水門 櫓門
・旧江戸城清水門 清水門
九段下駅から区役所方面に向かうとたどり着く入口です。他の門より入ってからの古いお城感が気に入っています。
ただし、入ってすぐに少し高めの階段が続くので、子供や年配の方にはおすすめできません。
科学技術館に行く時に見つけた、重要文化財。
東大の赤門とは違い、余り人気が無いようです。
通れる重要文化財です。江戸時代の門がどういう物だったかが見れます。
場所は「九段下」から5分位。自分は、JR水道橋駅から歩いて行きました。
徳川家康入府時に清水寺があった為の名前、慶長年間の江戸城拡張時に城に取り込まれ高麗門と桝形が安芸広島浅野家によって作られる。
のちに吉宗系の御三卿が作られ清水門に屋敷を得た徳川式部卿家を清水家と呼ぶ
建築当時の姿を残す唯一の場所、雁木坂の階段も江戸時代のままであるがこの場所を通る大名は殆どいなかった
江戸城の内濠にある門の一つで、北の丸公園にある科学技術館のあたりに続いております。
構造は枡形門で高麗門と櫓門からなります。案内板によると江戸城の大火などで修築がなされているようです。
九段下駅から少しだけ離れているため、田安門とは違い休日においても殆ど人が居りません。
しかしながらこちら側からも牛ヶ淵の土手に桜の花が咲く姿を望むことができます。九段坂側よりも遠くはなるものの桜がより正面向きに見え、なおかつ武道館の屋根もより広い範囲が見えます。夜になり空が暗くなると武道館のライトアップを背景に、対面にあるビルの明かりに照らされた桜の花が明るく見えるため桜見物の穴場となっております。
春の武道館周辺、つまり三の丸公園周辺は活気がある。
有名なのは千鳥ヶ淵の桜だろうが、実は反対側の清水門からの光景は穴場である。殆どの人は千鳥ヶ淵と靖国神社方面に行くのでここは人でも少なく綺麗な光景を堪能できる。
現在の清水門は昭和時代に再建されたもののようだが、門を潜って城内へ向かう石段に至ると当時の趣を感じられるだろう。
大河ドラマ『青天を衝け』第21回で登場した徳川慶喜の弟、昭武 (板垣李光人) が相続した清水徳川家のお屋敷があった場所。ちょうど現在は日本武道館。当時のままであろう門や石垣は目の前で見ると迫力ある。
坂下門等皇居の他の門に比べると小さな門で気づかずに通り過ぎてしまうほど小さくて目立たない。宮内庁のHPにも記載がない。
堀の中にスッポンらしき亀がいましたので噛まれないように注意してください。
九段下駅から徒歩5分、国指定の重要文化財に指定されている歴史的な門です。
旧江戸城の門として1457年に建立されました。
現在の門は1600年代に再建されたものとのことですが、それでも長い歴史を感じることができます。
千代田区役所前にあり、地下鉄九段下駅からは徒歩5分ほどで行くことが可能です。
この辺りは重要文化財が多いですので、例えば皇居等と合わせて観光するのがおすすめ。
門内に北の丸公園という公園があるので、晴れた日はお散歩道としても利用できます。
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東面する高麗門と南側に矩折りに建つ櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に国の重要文化財に指定されている。
1607年そ北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。
現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。
近くの田安門と異なりあまり人が出入りしません。雑草が生い茂っている感じですがこれがまた風情があります。門は立派です。竹橋駅と九段下駅の中間にあって多少不便なところにありますが千代田区役所の目の前です。堀にかかる橋は水平です。偶然かもしれませんが腕を組んでボード遊びをしている女の子二人組がいて、本人達もそうでしょうが見ている方も楽しいひとときを過ごさせてもらいました。ジョギングをしている方にスマホカメラのシャッターを切っていただいたりと人通りが少ない分静かでいいところでした。
近くで見るとすごい石垣ですね。清水門の創建年代は慶長12年(1607)と伝わりますが、クレーンなどない時代に、このような巨大な石をどのようにして積み上げていったのでしょうか…。「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されており、江戸城の他の桜田門と田安門とともに、重要文化財(建築物)に指定されています。
清水門の門は非常に目立つようにして建てられており、ランニングしている最中などに通りかかる人も多い場所であると感じました。
加えて、近くでこの建物、場所をみると、石垣がしっかりと積まれていてちょっとした観光スポットというよりも、お花見シーズンでは、お花見の場所へ直結した移動通路として使えます。
なので、桜や石垣などを楽しみながら散策するのは非常にお勧めできるものであると感じました。
外国人観光客だけでなく、日本武道館などに遊びにきた日本人でも十分に楽しめる観光スポットの一つであると思います。
創建年代は明らかではないが、1607年に、北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。北の丸は、武家地として利用され、江戸時代中期以降は、御三卿のうち田安家・清水家の屋敷と蔵地に利用された。門を潜り進むと北の丸公園があり、当時、北の丸公園の東側は一帯は清水家が所有し、1624年に、安芸広島藩主浅野長晟によって改築され、1657年の大火で焼失したため、翌、1658年に再修築された。明治時代から戦前までは、近衛歩兵連隊の駐屯地となった。「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されている。
清水門は、創建年代は明らかではないが、1607年(慶長12年)に、北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。北の丸は、武家地として利用され、江戸時代中期以降は、御三卿のうち田安家(田安徳川家)・清水家(清水徳川家)の屋敷と蔵地に利用された。門を潜り進むと北の丸公園があり、当時、北の丸公園の東側は一帯は清水家が所有し、西側一帯は田安家が所有していた。1624年(寛永元年)に、安芸広島藩主浅野長晟によって改築され、1657年(明暦3年)の大火で焼失したため、翌、1658年(万治元年)に再修築された。明治時代から戦前までは、近衛歩兵連隊の駐屯地となった。「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門には桜田門と田安門があり、重要文化財(建築物)に指定されている
江戸城清水門、あえて私は江戸城と言う。所々に整備されていない場所が有り、それが侍の時代を偲ばせます。
通路に土が丸出しの所があり、この土を侍が見ていたかもしれぬと想うと他の整備された所と違い歴史ロマンを感じます。
門の左手のお堀には鴨などの水鳥が泳いでいます。水に潜って餌を探す様子は面白いので水鳥の観察場所としてはよろしいです。平日、土日祝を問わず人があまりいませんので動植物観察と思索にふけるには良い場所です。