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日本美術院

住所 東京都台東区谷中4丁目2−8 日本美術院
電話 +81 3-3821-4510
時間 10:00-19:30
サイト nihonbijutsuin.or.jp
カテゴリー 協会/組織
評価 3.7 3 件の口コミ
Nihon Bijutsuin
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日本美術院 件の口コミ

3
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渡邉薫
30 十月 2021 13:21

稀に美術院を解放する時が有るので運が良ければ観れますよ。

ハナ
01 十二月 2019 4:40

有名な日本画の公募展…院展を主催する日本美術院の建物。建物外観は白と黒で、日本画のイメージの落ち着いた雰囲気の建物。
周りにお寺が立ち並ぶ静かな通りに有り、たまに一階の展自室で絵画展を行うことが有る。館内は、木の床が美しい。入り口で靴を脱いであがるタイプ。展示室は天井が高くて、素敵。

Ortelius
17 十月 2017 15:22

2017年9月27日〜10月2日
再興 第102回 院展
京都高島屋7階グランドホール
「白嶺」川瀬磨士など。
現代日本画の力作を一同に!

公益財団法人 日本美術院

1898年岡倉天心が東京美術学校を排斥されて辞職した際に、自主的に連座して辞職した美術家達(橋本雅邦、六角紫水、横山大観、下村観山、寺崎広業、小堀鞆音、菱田春草、西郷孤月)がいた。
彼らは岡倉の計画する美術研究の構想に賛同し、岡倉がそれをまとめる形で美術研究団体としての日本美術院を谷中大泉寺にて結成した。
以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開催するが、
1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになる。
1905年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉は、
1906年に第一部(絵画)をそこへ移転させる。しかし当時の岡倉はフェノロサの紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに同院への興味を失っていく。
1910年岡倉がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米したことにより、同院は事実上の解散状態となる。
1914年文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ大観や観山らは、前年に岡倉が歿したことを契機にその意志を引き継ぐ動きを見せ、日本美術院を再興した。
場所は谷中三崎坂南町52番地
(現所在地に同じ)。
現在日本を代表する日本画の美術団体としてその活動を継続している。

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